文連
- 2015/07/02
- 23:06
「三曲さーん、誰か一人レポを出してよ」、サヨクが部室に顔を出しました。そこで私が行くことになりました。
大学の文科系クラブは正式なクラブと認定されると文化倶楽部連盟、通称「文連」に所属します。そうなると部室の割り当ても有り、年間いくらの予算も貰えます。所属しないと同好会となり、何の優遇も受けられません。
その代り、いわば交際費として「文連」の頼みも少しは聞く必要が有りました。法政の「文連」は中核派が仕切っていました。
当時は学生運動が盛んな時です。私が3年の時、1971年ですが、百人を超える民青が30人程度の中核と正門前で激突しました。激突と言っても、「歌ばかり歌っている」と揶揄された民青と、タオルで顔を隠し、メット、ゲバ棒で武装した中核とでは喧嘩になりませんわ、その時も蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う民青を中核が追いまくるという一方的なものになりました。
私ら野次馬は高見の見物ですが、場違いに仲裁に入ったりすればヤラレます。その時、私の見てる前で、逃げ遅れた民青の男が6,7人の中核にフクロにされましたが、後で、その男はカタワにされたと知りました。
中核や革マルには独自の言語が有り、彼らがアジ演説や立看で「完全殲滅」といえば相手は死亡、「殲滅」であれば「再起不能にした」と言うことです。
こう言うと、当時の大学を殺伐とした無法地帯の様に思うでしょうが、前にも言いましたように敵対セクトに入って活動したりしなければ危険な目に逢ったりはしません。
中核の支配する「文連」と言っても、普段は学生運動への強制的参加を求められる事など有りませんし、ペライベートで何を言おうと、それが言論の範囲に留まるならば問題化したりもしません。
現に私は「反サヨク」の言動を何時でも何処でも公然と表明していましたが、それで「三曲会を懲らしめるのは予算を削るのが一番効果が有る」などと言ったサヨクなど見たことも有りません。
「アホサヨク」とオトナからバカにされていた連中ですが「キミの意見はボクと異なるが、キミが意見を述べる権利は尊重する」というボルテールくらい読んでいました。
私達三曲会はノンポリの集まりで学生運動に関わっている人間は皆無でした。それでも時には「文連」の頼みも聞かねばなりません。一回やニ回、依頼を無視しても何でも無いでしょうが、全て拒否すれば「文連」からの援助も少しずつ減るでしょうね。
その時は、敵対セクトである連合赤軍が学校付近に現れたので、顔の割れていない三曲会から一人「レポ」という、尾行して連絡を入れる人間を出して欲しいという依頼で、私が出ました。
連合赤軍の一行から百メートル位の距離をとって後追いしていましたが、そういうのって相手も前後に一般人に紛れて斥候を入れているんですね、それまで知りませんでした。
その時、二人組の男に「オイ、オマエ、中核のレポだろう」といきなり前後を囲まれました。「怖かったろう?」って、全然。
自慢にゃならないが、その半年前までモノホンだったアタイだよ、アカガクセイなんかにビビるわけないでしょうが・・・。
その時は連合赤軍がモノホンよりコワイ連中とは知らなったのです。「メクラ、蛇に怖じず」とはコノこったい。まあ私にレポを頼んだ中核も親切心でしょうが「相手は危険な連中だから気をつけてな」とは言いましたよ、でもなあ、「危険だから」と言ったってせいぜいオマエラ程度だと思うだろうが、イイカゲンにせんとコラエンゾ。
「オレはあっちに用が有って行くんだ、あの連中がいるから行けないだけだ」と言い訳けしました。「それじゃその袋に入れた長い物は何だ?」と言うので、三曲会というクラブで尺八を吹いているんだ、そう言って尺八を見せると無事に釈放されました。
理性のトンだ人間も流石に尺八と学生運動とは結びつかなっかったのですな、「時代遅れのヤツだから右翼かも知れない」と思っても、とりあえずサヨクの敵対セクトには見えなかったんでしょうな、今思い出してもニガワライがこみ上げます。
大学の文科系クラブは正式なクラブと認定されると文化倶楽部連盟、通称「文連」に所属します。そうなると部室の割り当ても有り、年間いくらの予算も貰えます。所属しないと同好会となり、何の優遇も受けられません。
その代り、いわば交際費として「文連」の頼みも少しは聞く必要が有りました。法政の「文連」は中核派が仕切っていました。
当時は学生運動が盛んな時です。私が3年の時、1971年ですが、百人を超える民青が30人程度の中核と正門前で激突しました。激突と言っても、「歌ばかり歌っている」と揶揄された民青と、タオルで顔を隠し、メット、ゲバ棒で武装した中核とでは喧嘩になりませんわ、その時も蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う民青を中核が追いまくるという一方的なものになりました。
私ら野次馬は高見の見物ですが、場違いに仲裁に入ったりすればヤラレます。その時、私の見てる前で、逃げ遅れた民青の男が6,7人の中核にフクロにされましたが、後で、その男はカタワにされたと知りました。
中核や革マルには独自の言語が有り、彼らがアジ演説や立看で「完全殲滅」といえば相手は死亡、「殲滅」であれば「再起不能にした」と言うことです。
こう言うと、当時の大学を殺伐とした無法地帯の様に思うでしょうが、前にも言いましたように敵対セクトに入って活動したりしなければ危険な目に逢ったりはしません。
中核の支配する「文連」と言っても、普段は学生運動への強制的参加を求められる事など有りませんし、ペライベートで何を言おうと、それが言論の範囲に留まるならば問題化したりもしません。
現に私は「反サヨク」の言動を何時でも何処でも公然と表明していましたが、それで「三曲会を懲らしめるのは予算を削るのが一番効果が有る」などと言ったサヨクなど見たことも有りません。
「アホサヨク」とオトナからバカにされていた連中ですが「キミの意見はボクと異なるが、キミが意見を述べる権利は尊重する」というボルテールくらい読んでいました。
私達三曲会はノンポリの集まりで学生運動に関わっている人間は皆無でした。それでも時には「文連」の頼みも聞かねばなりません。一回やニ回、依頼を無視しても何でも無いでしょうが、全て拒否すれば「文連」からの援助も少しずつ減るでしょうね。
その時は、敵対セクトである連合赤軍が学校付近に現れたので、顔の割れていない三曲会から一人「レポ」という、尾行して連絡を入れる人間を出して欲しいという依頼で、私が出ました。
連合赤軍の一行から百メートル位の距離をとって後追いしていましたが、そういうのって相手も前後に一般人に紛れて斥候を入れているんですね、それまで知りませんでした。
その時、二人組の男に「オイ、オマエ、中核のレポだろう」といきなり前後を囲まれました。「怖かったろう?」って、全然。
自慢にゃならないが、その半年前までモノホンだったアタイだよ、アカガクセイなんかにビビるわけないでしょうが・・・。
その時は連合赤軍がモノホンよりコワイ連中とは知らなったのです。「メクラ、蛇に怖じず」とはコノこったい。まあ私にレポを頼んだ中核も親切心でしょうが「相手は危険な連中だから気をつけてな」とは言いましたよ、でもなあ、「危険だから」と言ったってせいぜいオマエラ程度だと思うだろうが、イイカゲンにせんとコラエンゾ。
「オレはあっちに用が有って行くんだ、あの連中がいるから行けないだけだ」と言い訳けしました。「それじゃその袋に入れた長い物は何だ?」と言うので、三曲会というクラブで尺八を吹いているんだ、そう言って尺八を見せると無事に釈放されました。
理性のトンだ人間も流石に尺八と学生運動とは結びつかなっかったのですな、「時代遅れのヤツだから右翼かも知れない」と思っても、とりあえずサヨクの敵対セクトには見えなかったんでしょうな、今思い出してもニガワライがこみ上げます。
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