バナナ
- 2015/07/16
- 22:39
私の子供の頃、バナナはとても高いモノでした。60才以上の人は濃厚に憶えていますよね、と言うことは尺八界の85パーセントの人にはそのまま話が通じるということです。病気にでもならないと親は買ってくれなかった。
でも尺八界の30パーセントの戦前に少年時代をおくった人は、「子供の頃はバナナが安くてサンザン食べた」と記憶しているはずです。
今の人は見た事無いでしょうが、その昔「バナナの叩き売り」というのが有りました。戦前、日本が台湾を領土にしていた時は、バナナは自由に安く手に入りましたので、人の集まる場所では何処でもやっていたと聞きます。
私の子供の頃は、バナナの輸入は政治利権で一社しか扱えなかったので、価格は高く流通は複雑に設定されていましたが、それでも「バナナの叩き売り」は有りました。でも、きわめて少なくなっていて、私の同世代の者でも「見た事が無い」と言う人間も多いのです。
腐りかけで廃棄処分のモノ、イタミが一部でているモノ、なかには全くの良品、こういうバナナが抜き取られ横流しされてテキヤの手に流れて、「叩き売り」されていました。
私は大学時代に一時テキヤの仲間に入っていましたから、このカラクリは熟知していますが、カタギさんでも実は誰でも知っていました。それで問題にならなかったのは日本が発展途上国だったからですわ、給料が安いから「抜き取りが余禄」と考えていたフトドキモノがいたんですな。在庫管理の甘かった昭和40年代までは一流メーカーでも不良品の横流しが有りました。、
火事にあって水をかぶったというタテマエの万年筆「泥万」や長針と短針が逆になっている腕時計、あるいは左右の腕の長さの違う背広など、貴方も買ったこと有るでしょうが・・・。
これが昭和30年代だと立派な良品まで闇に流れていたそうです。
叩き売りの口上は子供なら3回も見たら憶えてしまう程度のモノですが、客との駆け引きの呼吸は才能や年期がモノを言いますね。ウマいテキヤのタンカバイは何度見ても面白い。
それにしても「叩き売り」は見上げたものです。当時は年々物価が上がって庶民が困っていましたが、逆に一声毎に物価が下がる、まさに総理大臣にふさわしい。おっと、これは私と同名の小説家の言ったことでした。
私が民謡の会には誘われてもメッタに店を開かない理由。
10年くらい前に日民の両国国技館での大会で出店をしましたが、その時に「バナナの叩き売り」さながらの光景を見て一度でイヤになりました。客の一声もう一声で、40万の尺八が8万、30万が6万になるのです。「値引きに応じないと売れないよ」とハッキリと客にも言われました。それなら私はオリますわ。
同じ民謡でも、私はそれまで米谷との付き合いが多かったのでメンクライましたよ。別に民謡ではそういうのが一般的な習慣なのでしょうが、私は御免こうむります。
でも尺八界の30パーセントの戦前に少年時代をおくった人は、「子供の頃はバナナが安くてサンザン食べた」と記憶しているはずです。
今の人は見た事無いでしょうが、その昔「バナナの叩き売り」というのが有りました。戦前、日本が台湾を領土にしていた時は、バナナは自由に安く手に入りましたので、人の集まる場所では何処でもやっていたと聞きます。
私の子供の頃は、バナナの輸入は政治利権で一社しか扱えなかったので、価格は高く流通は複雑に設定されていましたが、それでも「バナナの叩き売り」は有りました。でも、きわめて少なくなっていて、私の同世代の者でも「見た事が無い」と言う人間も多いのです。
腐りかけで廃棄処分のモノ、イタミが一部でているモノ、なかには全くの良品、こういうバナナが抜き取られ横流しされてテキヤの手に流れて、「叩き売り」されていました。
私は大学時代に一時テキヤの仲間に入っていましたから、このカラクリは熟知していますが、カタギさんでも実は誰でも知っていました。それで問題にならなかったのは日本が発展途上国だったからですわ、給料が安いから「抜き取りが余禄」と考えていたフトドキモノがいたんですな。在庫管理の甘かった昭和40年代までは一流メーカーでも不良品の横流しが有りました。、
火事にあって水をかぶったというタテマエの万年筆「泥万」や長針と短針が逆になっている腕時計、あるいは左右の腕の長さの違う背広など、貴方も買ったこと有るでしょうが・・・。
これが昭和30年代だと立派な良品まで闇に流れていたそうです。
叩き売りの口上は子供なら3回も見たら憶えてしまう程度のモノですが、客との駆け引きの呼吸は才能や年期がモノを言いますね。ウマいテキヤのタンカバイは何度見ても面白い。
それにしても「叩き売り」は見上げたものです。当時は年々物価が上がって庶民が困っていましたが、逆に一声毎に物価が下がる、まさに総理大臣にふさわしい。おっと、これは私と同名の小説家の言ったことでした。
私が民謡の会には誘われてもメッタに店を開かない理由。
10年くらい前に日民の両国国技館での大会で出店をしましたが、その時に「バナナの叩き売り」さながらの光景を見て一度でイヤになりました。客の一声もう一声で、40万の尺八が8万、30万が6万になるのです。「値引きに応じないと売れないよ」とハッキリと客にも言われました。それなら私はオリますわ。
同じ民謡でも、私はそれまで米谷との付き合いが多かったのでメンクライましたよ。別に民謡ではそういうのが一般的な習慣なのでしょうが、私は御免こうむります。
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