柔道
- 2015/07/20
- 22:21
高校時代にⅯという友人がいました。柔道部の主将で、きわめて温厚な男でしたが、もし本当の喧嘩になったら学校で最強とウワサされていました。その頃の私は常日頃、柔道を「雑巾ダンス」と呼んでいました。継ぎはぎだらけの柔道着で二人組み合っているのがダンスそっくりでしょう。「柔道なんざ五段、六段が頂点だってえじゃないか、七段ヨロヨロ、八段ヨタヨタ、九段車椅子、エッ、それで、十段寝たっきりだって」、「柔よく剛を制すとか言うけどよ、ヘーシンクにかかると、まるで子供扱いじゃん」こういう事を言って挑発しても、いつも笑っているだけで相手になりません。ほかのモノも私とⅯが親友で、Ⅿが怒らないので手出しはしませんでした。本来なら5,6回地獄を見ていてもオカシク無いですね。
葛飾の修徳高校柔道部のエースで後でプロレスラーになったタイガー戸口に「早稲田のⅯを憶えていますか?」と聞いたら「憶えているよ、早稲田ではⅯとAというデブチャンが強かったな」と言いまして、それまでⅯを軽く見ていた所が有って、反省しました。長いことナメていてゴメンナサイ。
この柔道がオリンピック競技になったのは、公開競技としては1932年のロサンゼルスで早くも採用され、1964年の東京大会で正式種目となりました。、開催国に敬意を評してくれた形ですが、次の次ミュンヘン大会からは今に至るも正式種目です。
この種の格闘技は世界中に存在しますが、柔道はフリー、グレコローマンに次ぐポピュラーな「組みあい格闘技」と言って良いと思います。世界に広まり、今や競技人口ではフランス、ロシア、ブラジルなど日本を上回っているかも知れない国すら存在します。
江戸時代には柔術は百以上の流が有り、それぞれ、投げ、絞め、関節技、当身など専門性を持っていたと言います。嘉納治五郎は、それを取捨選択し、編み上げて講道館柔道を創りましたが、この先行流派の「良いとこ採り」の過程無くして世界柔道に成るわけない。単なる強弱だけで無く、そこに精神性と科学性が有ればこそ最も世界に広まった日本文化に成りました。
尺八。流派によって演奏する曲が違う、だから最も有名な尺八曲「鹿の遠音」も尺八を吹く人の八割は吹いたことも無い。しかも「ソフトの制限」がいまだ強制されている。都山の人が琴古を個人的に習うのはもう見て見ぬふりですが、もし講習会を開いたら、連盟なら大丈夫、楽会では問題化します。
今はまだ、ようやく「ソフト制限」が壊れた始めた段階です。柔道で言ったら明治時代ですね。
でも有難いことに、外国では自分優先、最初から流派の理屈や師匠の一方的都合が通らない世界、言わばボーダーレスですから、ソフトより速くハードが普及しています。
演歌は世界に普及しないがカラオケは何処にでも有る、まあ、こういうことですね。
葛飾の修徳高校柔道部のエースで後でプロレスラーになったタイガー戸口に「早稲田のⅯを憶えていますか?」と聞いたら「憶えているよ、早稲田ではⅯとAというデブチャンが強かったな」と言いまして、それまでⅯを軽く見ていた所が有って、反省しました。長いことナメていてゴメンナサイ。
この柔道がオリンピック競技になったのは、公開競技としては1932年のロサンゼルスで早くも採用され、1964年の東京大会で正式種目となりました。、開催国に敬意を評してくれた形ですが、次の次ミュンヘン大会からは今に至るも正式種目です。
この種の格闘技は世界中に存在しますが、柔道はフリー、グレコローマンに次ぐポピュラーな「組みあい格闘技」と言って良いと思います。世界に広まり、今や競技人口ではフランス、ロシア、ブラジルなど日本を上回っているかも知れない国すら存在します。
江戸時代には柔術は百以上の流が有り、それぞれ、投げ、絞め、関節技、当身など専門性を持っていたと言います。嘉納治五郎は、それを取捨選択し、編み上げて講道館柔道を創りましたが、この先行流派の「良いとこ採り」の過程無くして世界柔道に成るわけない。単なる強弱だけで無く、そこに精神性と科学性が有ればこそ最も世界に広まった日本文化に成りました。
尺八。流派によって演奏する曲が違う、だから最も有名な尺八曲「鹿の遠音」も尺八を吹く人の八割は吹いたことも無い。しかも「ソフトの制限」がいまだ強制されている。都山の人が琴古を個人的に習うのはもう見て見ぬふりですが、もし講習会を開いたら、連盟なら大丈夫、楽会では問題化します。
今はまだ、ようやく「ソフト制限」が壊れた始めた段階です。柔道で言ったら明治時代ですね。
でも有難いことに、外国では自分優先、最初から流派の理屈や師匠の一方的都合が通らない世界、言わばボーダーレスですから、ソフトより速くハードが普及しています。
演歌は世界に普及しないがカラオケは何処にでも有る、まあ、こういうことですね。
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