歌声喫茶
- 2015/08/03
- 23:58
私の学生時代には、まだ歌声喫茶がたくさん有りました。昭和30年代にはもっと多かったと聞いています。
地方から就職で上京してきた人達、当時は休みは日曜だけですし、仕事は精神的にはともかく、肉体的にはかなり辛いものでした。
私の父親は小さな工場を経営していて、中卒や夜学高校生たちを何人も雇っていました。父は「仏以上の大橋」と言われたほどに、そういう少年たちにも高給を払って、言わば父親代わりー戦争で父親を亡くした少年が多かったですねーの気持ちでいましたが、周りを見渡してもヒドイ労働環境の所がが多かったと思います。よくウチの従業員が友達を連れて来ましたもの。友達はダイタイ、今の工場から父の工場に移りたいという希望を持って来るんですが、その内容は、はたで聞いていた私にも社会に出ることを怯えさせるのに十分でした。休日は月1か2、12時間労働、文句付。人手不足の時代とは言え、中卒の零細工場員はヒドイ待遇でしたわ。
そうは言ったって父だってそうそう雇えません。断ることも多かったですが、今でも当時父の所で働いた少年達は幸運だったと思っています。引退して久しいのに父の葬儀に400人もの参列者が有ったのは陰徳ですな。
そういう辛い仕事のほんの束の間、歌声喫茶に来て、皆がコーヒー一杯で合唱していました。当時ですから音痴の人が多かったのですが、リードする人に合わせて恥ずかしがらずに大きな声で歌っていました。
私の大学時代、「あれは共産党のオルグ、洗脳の場だ」と言われていました。それが本当か嘘かは知りませんが、確かにロシア民謡や労働歌は多かったですね。でも当時はロシア民謡は人気が高く「カチューシャ」や「トロイカ」は皆が歌っていましたよ。私が歌声喫茶に行ったのは5回くらいですが、そこで思想的な話を持ち出されたことは1度も有りません。あくまで自分の経験だけでしか無いですけどね。
でも、そう言われれば、歌声喫茶での歌はラジオや有線で流れてくる歌とは、かなり毛色が違っていました。でもマアあんな歌で洗脳されるもんかしら?そう思います。
当時は共産主義者のオルグが工場等に入って、仕事が終わった後、若い工員を集めて集会をよくやっていましたから、そういう流れで歌声喫茶でもオルグする事が有ったのかも知れません。
ロシア民謡は大好きです。若い頃は外国に行くと必ずその国の民謡レコードを買って帰りましたが、中でも一番好きなのがロシア民謡です。
70年代の終わり頃、「ポーリッシュカポーレ」が普通の歌謡曲と一緒に流行しましたし、今人気が無いのが不思議なくらい良い歌が多いです。
ロシアでこのところ尺八を吹く人が増えています。「確実に百人は越えた」という話を最近聞きました。その半数以上が「地無し派」で、ロシアには竹が存在するので、自分達で作って吹いているとキク・ディ女史が言っていました。
もう一つ、昭和40年代には新宿の歌舞伎町に邦楽喫茶が有ったのですよ。10年前まで日暮里駅前に有った和音と違って、純然たる喫茶店です。紅屋という店名でしたから、きっと経営は箏屋さんですね。常にレコードの邦楽が流れていて、リクエストにも応じていました。ジャズ喫茶の邦楽版ですよ。私達法政大学三曲会の顔を見ると、どういうわけか「合奏曲ト短調」のレコードがかかりました。
その頃は箏屋が歌舞伎町に喫茶店を出せる良い時代でしたね。箏屋最大の牧本が倒れたのが20年近く前、今は箏屋も20年前の半数だと言います。
今度は名門・小川楽器が倒れました。この先の10年で今有る箏屋の三分の一が無くなると言う観測も有りますし、ホントウ、どうなんの?邦楽界は・・・。
地方から就職で上京してきた人達、当時は休みは日曜だけですし、仕事は精神的にはともかく、肉体的にはかなり辛いものでした。
私の父親は小さな工場を経営していて、中卒や夜学高校生たちを何人も雇っていました。父は「仏以上の大橋」と言われたほどに、そういう少年たちにも高給を払って、言わば父親代わりー戦争で父親を亡くした少年が多かったですねーの気持ちでいましたが、周りを見渡してもヒドイ労働環境の所がが多かったと思います。よくウチの従業員が友達を連れて来ましたもの。友達はダイタイ、今の工場から父の工場に移りたいという希望を持って来るんですが、その内容は、はたで聞いていた私にも社会に出ることを怯えさせるのに十分でした。休日は月1か2、12時間労働、文句付。人手不足の時代とは言え、中卒の零細工場員はヒドイ待遇でしたわ。
そうは言ったって父だってそうそう雇えません。断ることも多かったですが、今でも当時父の所で働いた少年達は幸運だったと思っています。引退して久しいのに父の葬儀に400人もの参列者が有ったのは陰徳ですな。
そういう辛い仕事のほんの束の間、歌声喫茶に来て、皆がコーヒー一杯で合唱していました。当時ですから音痴の人が多かったのですが、リードする人に合わせて恥ずかしがらずに大きな声で歌っていました。
私の大学時代、「あれは共産党のオルグ、洗脳の場だ」と言われていました。それが本当か嘘かは知りませんが、確かにロシア民謡や労働歌は多かったですね。でも当時はロシア民謡は人気が高く「カチューシャ」や「トロイカ」は皆が歌っていましたよ。私が歌声喫茶に行ったのは5回くらいですが、そこで思想的な話を持ち出されたことは1度も有りません。あくまで自分の経験だけでしか無いですけどね。
でも、そう言われれば、歌声喫茶での歌はラジオや有線で流れてくる歌とは、かなり毛色が違っていました。でもマアあんな歌で洗脳されるもんかしら?そう思います。
当時は共産主義者のオルグが工場等に入って、仕事が終わった後、若い工員を集めて集会をよくやっていましたから、そういう流れで歌声喫茶でもオルグする事が有ったのかも知れません。
ロシア民謡は大好きです。若い頃は外国に行くと必ずその国の民謡レコードを買って帰りましたが、中でも一番好きなのがロシア民謡です。
70年代の終わり頃、「ポーリッシュカポーレ」が普通の歌謡曲と一緒に流行しましたし、今人気が無いのが不思議なくらい良い歌が多いです。
ロシアでこのところ尺八を吹く人が増えています。「確実に百人は越えた」という話を最近聞きました。その半数以上が「地無し派」で、ロシアには竹が存在するので、自分達で作って吹いているとキク・ディ女史が言っていました。
もう一つ、昭和40年代には新宿の歌舞伎町に邦楽喫茶が有ったのですよ。10年前まで日暮里駅前に有った和音と違って、純然たる喫茶店です。紅屋という店名でしたから、きっと経営は箏屋さんですね。常にレコードの邦楽が流れていて、リクエストにも応じていました。ジャズ喫茶の邦楽版ですよ。私達法政大学三曲会の顔を見ると、どういうわけか「合奏曲ト短調」のレコードがかかりました。
その頃は箏屋が歌舞伎町に喫茶店を出せる良い時代でしたね。箏屋最大の牧本が倒れたのが20年近く前、今は箏屋も20年前の半数だと言います。
今度は名門・小川楽器が倒れました。この先の10年で今有る箏屋の三分の一が無くなると言う観測も有りますし、ホントウ、どうなんの?邦楽界は・・・。
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