尺八のお友達
- 2015/08/05
- 23:17
「貴方達の代になったら尺八界はみんな仲が良くなっているでしょうね」こう言ったのは青木鈴慕先生です。20年以上経ちますかね。
今の尺八のプロは本当に人の悪口を言いません。オトナになった、リコウになった、育ちが良い、警戒心が強い、いろいろ人によって受け止め方は違うと思いますが、今の世代の若い人全般に言えるのではないですか。ラチモ無い陰口をたたいて無用の敵を作らないというのは。
それに較べて昔の尺八家はプロ・アマ問わず、たしかに人の批判は激しかったですね。
30年以上も尺八界に君臨した「尺八三本会」ひとつとっても人間関係の複雑さを覗わせていました。決して「友情一本」というようなアマイ関係ではありませんでした。そうかと言って友情や信頼関係が無かったかと言えば、そうではありません。
青木鈴慕は横山勝也をもの凄くライバル視していました。喧嘩も絶えなかった。しかし古典本曲における横山勝也を「最大の名人ですよ」と評価していました。「しかし古曲はたいしたことは無い」とも思っていたと思います。人柄に対しても「彼は人にやさしい」、「あの人は気持ちが大きい」、「横山さんは頼まれるとイヤと言えない人だ」と高くかっていました。
横山勝也の方は青木鈴慕の人柄には、ある意味絶望していたと思います。それとは別に「地歌を吹いたら鈴慕さんが一番うまいと思います」とか「あの音の立ち上がりの強さ、演奏の美しさ、絶品だね」とか褒める点は手放しでした。
山本邦山に対する悪口は横山勝也からは私は聞いたことが有りません。青木鈴慕は時々「あの人は立ち回りが上手な近江商人だ」と悪口も言いますが、人と衝突しない山本先生にうまくコントロールされていたようです。「山本さん、今度さ・・・」 「ああ、その日は他に」、すると青木先生に皮肉たっぷりに「ああ、そう、アナタはスーパースターだもんね、忙しいよね」とイヤミを言われても、気が付かないふりをして「ウン、有難う」ですからね、喧嘩になりませんや。私は三本会に邦山がいなかったら、あんなにも長く続かなかったと思います。
70年代の初めは、超売れっ子の邦山のスケジュールがなかなか空かず、三本会の演奏会に横山先生の線から宮田耕八朗さん(先生を付けないのは御本人の希望)が入ることが多かったのですが、青木先生は露骨に演奏中でもイヤな顔をしていました。七孔が入ると合わないのです。人並みはずれた頭脳を持ち、冷静な時は緻密に考えがまわるくせに、こういう感情制御がオトナになっていないところが、私は青木先生の大好きな点なのです。
青木鈴慕は山本邦山のセンスは高く買っており、ここ一番の相方としては最も信頼していたと思います。横山勝也に対するのと違いライバルという感じを持たなかったのは「ショセン彼は都山」という言葉に表れています。現代曲における邦山の凄さは認めても、古典では自分の方が上と思っていたからでしょう。
山本先生は、青木先生が「芸術祭大賞」を御取りになったパーティーの時、「ほんと良かった、良かった」とナミダを流して喜んでいました。強い友情も存在していたのは間違い有りません。
横山先生に言われたことが有ります。「アナタの尊敬する青木さん、あの人は冷たいね、ボルダーでの大会ね、仕事として来ただけで何も協力しないばかりか、弟子の参加を止めたと言うじゃないですか」、余程にハラに据えかねた御様子でした。美星のお宅でのことです。
私は横山勝也を尊敬はしていても弟子では有りませんからハッキリ言えます。こういう風なことを言いました。
尺八で生活している人で尺八界の発展を願わない人なんていません、しかし一方で互いに競争相手なのです。競争相手がもてはやされる事な妬ましいのも事実です。協力すれば有難いですが、協力を得られなくても仕方が無いです。
その時の私の気持ちそのままです。あれから20年近く経ち、今はと言えば、誰が大きな注文を取っても、どの製管師がテレビや新聞で採りあげられても嬉しいです。ただ「良かったですね」、と思うばかりです。それほど製管の世界も落ちぶれてしまいました。業界全体が曲がり角を越えて、極端な衰退を迎えたので、私は同業者に対して連帯意識が強くなりました。
かつて青木先生の言っていた「アナタ達の時代は皆仲が良い」って、まさかこういう事じゃないですよね。
今の尺八のプロは本当に人の悪口を言いません。オトナになった、リコウになった、育ちが良い、警戒心が強い、いろいろ人によって受け止め方は違うと思いますが、今の世代の若い人全般に言えるのではないですか。ラチモ無い陰口をたたいて無用の敵を作らないというのは。
それに較べて昔の尺八家はプロ・アマ問わず、たしかに人の批判は激しかったですね。
30年以上も尺八界に君臨した「尺八三本会」ひとつとっても人間関係の複雑さを覗わせていました。決して「友情一本」というようなアマイ関係ではありませんでした。そうかと言って友情や信頼関係が無かったかと言えば、そうではありません。
青木鈴慕は横山勝也をもの凄くライバル視していました。喧嘩も絶えなかった。しかし古典本曲における横山勝也を「最大の名人ですよ」と評価していました。「しかし古曲はたいしたことは無い」とも思っていたと思います。人柄に対しても「彼は人にやさしい」、「あの人は気持ちが大きい」、「横山さんは頼まれるとイヤと言えない人だ」と高くかっていました。
横山勝也の方は青木鈴慕の人柄には、ある意味絶望していたと思います。それとは別に「地歌を吹いたら鈴慕さんが一番うまいと思います」とか「あの音の立ち上がりの強さ、演奏の美しさ、絶品だね」とか褒める点は手放しでした。
山本邦山に対する悪口は横山勝也からは私は聞いたことが有りません。青木鈴慕は時々「あの人は立ち回りが上手な近江商人だ」と悪口も言いますが、人と衝突しない山本先生にうまくコントロールされていたようです。「山本さん、今度さ・・・」 「ああ、その日は他に」、すると青木先生に皮肉たっぷりに「ああ、そう、アナタはスーパースターだもんね、忙しいよね」とイヤミを言われても、気が付かないふりをして「ウン、有難う」ですからね、喧嘩になりませんや。私は三本会に邦山がいなかったら、あんなにも長く続かなかったと思います。
70年代の初めは、超売れっ子の邦山のスケジュールがなかなか空かず、三本会の演奏会に横山先生の線から宮田耕八朗さん(先生を付けないのは御本人の希望)が入ることが多かったのですが、青木先生は露骨に演奏中でもイヤな顔をしていました。七孔が入ると合わないのです。人並みはずれた頭脳を持ち、冷静な時は緻密に考えがまわるくせに、こういう感情制御がオトナになっていないところが、私は青木先生の大好きな点なのです。
青木鈴慕は山本邦山のセンスは高く買っており、ここ一番の相方としては最も信頼していたと思います。横山勝也に対するのと違いライバルという感じを持たなかったのは「ショセン彼は都山」という言葉に表れています。現代曲における邦山の凄さは認めても、古典では自分の方が上と思っていたからでしょう。
山本先生は、青木先生が「芸術祭大賞」を御取りになったパーティーの時、「ほんと良かった、良かった」とナミダを流して喜んでいました。強い友情も存在していたのは間違い有りません。
横山先生に言われたことが有ります。「アナタの尊敬する青木さん、あの人は冷たいね、ボルダーでの大会ね、仕事として来ただけで何も協力しないばかりか、弟子の参加を止めたと言うじゃないですか」、余程にハラに据えかねた御様子でした。美星のお宅でのことです。
私は横山勝也を尊敬はしていても弟子では有りませんからハッキリ言えます。こういう風なことを言いました。
尺八で生活している人で尺八界の発展を願わない人なんていません、しかし一方で互いに競争相手なのです。競争相手がもてはやされる事な妬ましいのも事実です。協力すれば有難いですが、協力を得られなくても仕方が無いです。
その時の私の気持ちそのままです。あれから20年近く経ち、今はと言えば、誰が大きな注文を取っても、どの製管師がテレビや新聞で採りあげられても嬉しいです。ただ「良かったですね」、と思うばかりです。それほど製管の世界も落ちぶれてしまいました。業界全体が曲がり角を越えて、極端な衰退を迎えたので、私は同業者に対して連帯意識が強くなりました。
かつて青木先生の言っていた「アナタ達の時代は皆仲が良い」って、まさかこういう事じゃないですよね。
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