現代邦楽時代
- 2015/08/06
- 22:18
1960年代70年代は現代邦楽の時代です。その前の新邦楽、そしてその後の邦楽器オリジナルと明確な区分が有るわけでは無く、ちょっと区別の難しい曲も有りますが、何となくのトレンドが有るのです。
新邦楽は伝統邦楽に西洋音楽が融合したもの、現代邦楽は邦楽は必ずしも伝統とは限らず、加わる要素も西洋音楽とも限りません。
この現代邦楽を引っぱったのはNHKです。その頃に若手と呼ばれた尺八家は、もう邦楽だけでなくクラシックやジャズにも造詣の深い人が多かった。典型的な邦楽家だ思われている山口五郎や北原篁山が洋楽器でも相当の演奏をすることなど、あまり知られていませんが、この年代の人は、その一時代前までの邦楽家とかなり違った人達です。現代邦楽は、この若手演奏家達とNHKの方針が結びついて幕が開きました。
背景には西洋文化に対抗する「カウンターカルチャー創造」の世界的な高まりが有りました。
1975年頃には現代邦楽の行き詰まりを早くも多くの人が感じていました。私の個人的見解では、現代邦楽って聴いて面白くないんですよね、あれで広汎な支持を得られるとはどうしても思えなかった・・・。
案の定、NHKも1974年いっぱいで手を引きました。1976年の初め、横山勝也先生が嘆いていました。「おととしまでは年間でNHKの仕事は70万くらい有りましたよ。それが去年(1975)は5万円でした」。この頃は大学での初任給が7万くらいでした。さしも現代邦楽に力をいれたNHKも70年代半ばには、その委嘱作品や放送も激減しました。
もう見切りをつけたんだと思います。アカデミックなだけで何が何だか分からないモノ、実験だと思うモノ、自己満足だけじゃねえの、そういう曲のオンパレードでしたもんね、
今日残っている曲は、その時にも残るだろうと思われていました。数十曲に一曲でも残った曲が有ったのは新邦楽も同じです。たぶん古曲も同じだったと思います。そういう上に伝統が積み上がるのですな。
現代邦楽を支持したのは主として学生です。学生の広汎な支持を得たと言うより、他の学生に影響力を与えられる学生が現代邦楽の旗手達を支持していたという方が近いと思います。一種の運動、イデオロギーみたいなところも感じました。
今の邦楽器オリジナルは、聞いてツマラナイモノは最初から相手にされませんね。「みんな正直になった」という意見が多数派ですが、邦楽は流行歌とは違いますから、人気の有る無しで全部が決まるわけではないです。
しかし「5パーセントの人にしか理解されなくても良い」と言えたのは、その5パーセント自体がある程度の人数だった現代邦楽時代まででしたね。
新邦楽は伝統邦楽に西洋音楽が融合したもの、現代邦楽は邦楽は必ずしも伝統とは限らず、加わる要素も西洋音楽とも限りません。
この現代邦楽を引っぱったのはNHKです。その頃に若手と呼ばれた尺八家は、もう邦楽だけでなくクラシックやジャズにも造詣の深い人が多かった。典型的な邦楽家だ思われている山口五郎や北原篁山が洋楽器でも相当の演奏をすることなど、あまり知られていませんが、この年代の人は、その一時代前までの邦楽家とかなり違った人達です。現代邦楽は、この若手演奏家達とNHKの方針が結びついて幕が開きました。
背景には西洋文化に対抗する「カウンターカルチャー創造」の世界的な高まりが有りました。
1975年頃には現代邦楽の行き詰まりを早くも多くの人が感じていました。私の個人的見解では、現代邦楽って聴いて面白くないんですよね、あれで広汎な支持を得られるとはどうしても思えなかった・・・。
案の定、NHKも1974年いっぱいで手を引きました。1976年の初め、横山勝也先生が嘆いていました。「おととしまでは年間でNHKの仕事は70万くらい有りましたよ。それが去年(1975)は5万円でした」。この頃は大学での初任給が7万くらいでした。さしも現代邦楽に力をいれたNHKも70年代半ばには、その委嘱作品や放送も激減しました。
もう見切りをつけたんだと思います。アカデミックなだけで何が何だか分からないモノ、実験だと思うモノ、自己満足だけじゃねえの、そういう曲のオンパレードでしたもんね、
今日残っている曲は、その時にも残るだろうと思われていました。数十曲に一曲でも残った曲が有ったのは新邦楽も同じです。たぶん古曲も同じだったと思います。そういう上に伝統が積み上がるのですな。
現代邦楽を支持したのは主として学生です。学生の広汎な支持を得たと言うより、他の学生に影響力を与えられる学生が現代邦楽の旗手達を支持していたという方が近いと思います。一種の運動、イデオロギーみたいなところも感じました。
今の邦楽器オリジナルは、聞いてツマラナイモノは最初から相手にされませんね。「みんな正直になった」という意見が多数派ですが、邦楽は流行歌とは違いますから、人気の有る無しで全部が決まるわけではないです。
しかし「5パーセントの人にしか理解されなくても良い」と言えたのは、その5パーセント自体がある程度の人数だった現代邦楽時代まででしたね。
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