袖すりあうも 其八(灰田勝彦さん)
- 2015/08/09
- 21:00
大学時代、夏休みには第一家庭電器でバイトしました。もう潰れてしまいましたがね、その頃は勢いが有り、急激に店舗を拡大していました。第一家庭電器が、と言うより家電業界が売れて売れて、という時代でした。
その頃は家電製品は高い物で、私は三洋扇風機専門でしたが、扇風機の大が1万、中が五千円、小の卓上型が三千円でした。大学出の初任給手取り4万時代ですよ、今だったら大相当が2千円で買えますから高いですよね、でも飛ぶように売れました。勿論自慢して言うのですが、私一人で夏の一月半で四百台売って特別ボーナスを貰ったくらいです。実は客がひっきりなしに来るのですから、誰だって売れますよ。
1971年の夏、第一家庭電器ひばりヶ丘店でバイトしているとビックリするくらいカッコイイ長身の老人が入ってきました。懐メロ大ファンの私には、すぐ灰田勝彦だと分かりました。
今の若い人は勿論知らないでしょうが、当時だって半分忘れられた歌手でした。でも私の親の代ですと今の郷ひろみ位の知名度が有りました。私は「灰田メロディ」はあまり趣味では無いのですが、お兄さんの有紀彦さんの作曲した「鈴懸の道」だけは大好きです。
灰田さんは人情家の反面怒りっぽい人だと後から聞きましたが、私はその時一回ですから、明るくて朗らかな人だという印象しか有りません。まだ珍しかったカセットテープを買いに来ましたので聞きました。
「どうすんですか?」 「大阪にいる孫に歌を入れて送るんだよ」 「このテープですと灰田先生の歌が綺麗に入りますよ」 「アハハハ、そうですか、有難う、じゃ、あと二ついただきましょう」 「もし私がプレゼントしたら歌っていただけますか?」 「ここでか?アハハハ、それはチョットね、アハハハ、ありがとう」 冗談の通じる陽気なお爺さんという感じでしたが、考えてみたら灰田さんは当時60、今の私より若かったんですよね・・・。
カセットが普及した70年代半ばの邦楽のFⅯ放送はタイムスイッチというモノでほとんど録音していました。その夥しいカセットテープは貴重なモノも有ったのに、10年位前に整理したところ全部駄目になっていました。有名な尺八家の演奏は復刻版ⅭⅮでもレコードでも聴くことはできますが、当時はレコードを出せる人は極々一部の人で、ほとんどの尺八吹きの演奏は残っていません。FⅯの音源と、もしかして演奏会の時のものが有りますかね・・・。
1980年頃レコードの製作に関わりましたが、千部で百万近い金がかかり普通の人が自費で出すのは困難でした。レコード会社も「邦楽は利益は出ないが文化事業だと思って出している、だけど千だして半分は買い取って欲しい」というスタンスでしたから、有名な人、弟子の多い人しか出せませんでした。ちなみに、今年亡くなった唯是震一さんのレコード、当時ⅭBSソニーが出していましたが、会員1万人の正派にして売れたレコードは毎回判で押したように千でした。
1990年頃から「デンスケ録音」でカセットテープを作ると誰でも少数を簡単に出せるようになりました。当時6万円ほどだったデンスケに別売りのエコー機を付けるなど、機能を上手に使うと音質も良く、宮田耕八朗さんなどプロでも「デンスケ録音」でのカセットを販売していました。
でも同時にヒドイ内容の素人演奏にビックリする事がショッチュウになりました。その前は、かりにもレコードになって売られている以上は、ある程度の水準以下ということは無かったでしょう。
今はコンピューターでさらに誰でも出せる時代になりました。これは良いことに違いありません。ユーチューブみたいに豊富な選択肢が有ると、無料だということもあって、ヒドイ演奏でもハラが立たないから不思議です。
その頃は家電製品は高い物で、私は三洋扇風機専門でしたが、扇風機の大が1万、中が五千円、小の卓上型が三千円でした。大学出の初任給手取り4万時代ですよ、今だったら大相当が2千円で買えますから高いですよね、でも飛ぶように売れました。勿論自慢して言うのですが、私一人で夏の一月半で四百台売って特別ボーナスを貰ったくらいです。実は客がひっきりなしに来るのですから、誰だって売れますよ。
1971年の夏、第一家庭電器ひばりヶ丘店でバイトしているとビックリするくらいカッコイイ長身の老人が入ってきました。懐メロ大ファンの私には、すぐ灰田勝彦だと分かりました。
今の若い人は勿論知らないでしょうが、当時だって半分忘れられた歌手でした。でも私の親の代ですと今の郷ひろみ位の知名度が有りました。私は「灰田メロディ」はあまり趣味では無いのですが、お兄さんの有紀彦さんの作曲した「鈴懸の道」だけは大好きです。
灰田さんは人情家の反面怒りっぽい人だと後から聞きましたが、私はその時一回ですから、明るくて朗らかな人だという印象しか有りません。まだ珍しかったカセットテープを買いに来ましたので聞きました。
「どうすんですか?」 「大阪にいる孫に歌を入れて送るんだよ」 「このテープですと灰田先生の歌が綺麗に入りますよ」 「アハハハ、そうですか、有難う、じゃ、あと二ついただきましょう」 「もし私がプレゼントしたら歌っていただけますか?」 「ここでか?アハハハ、それはチョットね、アハハハ、ありがとう」 冗談の通じる陽気なお爺さんという感じでしたが、考えてみたら灰田さんは当時60、今の私より若かったんですよね・・・。
カセットが普及した70年代半ばの邦楽のFⅯ放送はタイムスイッチというモノでほとんど録音していました。その夥しいカセットテープは貴重なモノも有ったのに、10年位前に整理したところ全部駄目になっていました。有名な尺八家の演奏は復刻版ⅭⅮでもレコードでも聴くことはできますが、当時はレコードを出せる人は極々一部の人で、ほとんどの尺八吹きの演奏は残っていません。FⅯの音源と、もしかして演奏会の時のものが有りますかね・・・。
1980年頃レコードの製作に関わりましたが、千部で百万近い金がかかり普通の人が自費で出すのは困難でした。レコード会社も「邦楽は利益は出ないが文化事業だと思って出している、だけど千だして半分は買い取って欲しい」というスタンスでしたから、有名な人、弟子の多い人しか出せませんでした。ちなみに、今年亡くなった唯是震一さんのレコード、当時ⅭBSソニーが出していましたが、会員1万人の正派にして売れたレコードは毎回判で押したように千でした。
1990年頃から「デンスケ録音」でカセットテープを作ると誰でも少数を簡単に出せるようになりました。当時6万円ほどだったデンスケに別売りのエコー機を付けるなど、機能を上手に使うと音質も良く、宮田耕八朗さんなどプロでも「デンスケ録音」でのカセットを販売していました。
でも同時にヒドイ内容の素人演奏にビックリする事がショッチュウになりました。その前は、かりにもレコードになって売られている以上は、ある程度の水準以下ということは無かったでしょう。
今はコンピューターでさらに誰でも出せる時代になりました。これは良いことに違いありません。ユーチューブみたいに豊富な選択肢が有ると、無料だということもあって、ヒドイ演奏でもハラが立たないから不思議です。
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