テレビの凋落
- 2015/08/12
- 23:13
テレビの時代がどうやら終わりそうです。見てもつまらないというのは今に始まった事ではなく、男で社会人の場合、もうかなり前からテレビは見ていない人が大方でしょう。ただでさえツマラナイ上にインターネットに喰われたんですな。
このところスポンサー離れで広告収入が減り、企業として正念場を迎えたようです。テレビは許認可事業ですから新規参入が難しいと言いますが、やがて近いうちに崩れるでしょう。アメリカ人達は「日本は人口も多いのに、どうしてテレビのチャンネルがあんなに少ないんだ?」と20年も前から言っていました。アメリカ並みだと今の5倍有っても不思議ではないですね。
私達の子供時代はテレビ番組が話題の中心でした。昨日見たテレビのことを学校で話す、これが小学生中学生の本分で、その合間に勉強していました。中に変わり者がいて、夜、テレビを見ないで勉強していた者もおりましたが、結果ロクな人間にならなかったと思います。
テレビが家庭に入り始めたのは、私の周りでは昭和32年くらいからです。先駆けて入った家には近所の人達が詰めかけました。一緒にプロレスや野球を見ましたが、私達子供には楽しくとも、さて、その家の主婦にしたら本当はどうだったでしょう、迷惑だったんと違いまっか?。いち早くテレビを入れられた誇らしさは有っても頻繁の来客ではねえ・・・。
テレビは昭和34年くらいには、ほとんどの家庭に入っていましたが、創生期には笑えない事がかなり有ったと言います。
酒を飲みながら野球中継を見ていて、贔屓のチームが「サヨナラ負け」をしたので、怒って飲んでいたビール瓶を画面にぶつけた。
同じくサヨナラ負け、オヤジが子供に「となりのテレビでは勝ってるかも知れん、見てこい」
中に人が入っていると思いテレビの裏に廻って見た。
主人公が危なくなったシーンで興奮してテレビに掴みかかった。
あんまり人をコケに出来ませんわ、私だって大好きな「水戸黄門」での由美かおるの入浴シーン、いつも私のテレビ画面では腰のあたりまでしか映りません。だから思い切って大きな画面のテレビに換えて、これでバッチリよ、と思ったら、やっぱり腰までしか映らねえじゃねえか、サギだろうよ。それともテレビ局め、オレに喧嘩を売ってんのか? もしそうなら「不幸のハガキ」を出すぞ。
昭和37年のこと、テレビでプロレスを見ていて、グレート東郷の流血シーンで表に出ただけで老人が6人ショック死したのです。当時ですら大騒ぎになったのですから、もし今なら大問題になったでしょう。その時、東郷は最初のうち、「ショーが上手くいった」とむしろ手柄顔だったと言います。慌てたプロレス会社では「たまたま心臓の弱い人が発作を起こしたのだろう、何千万人という人が見ているんだから、そういう事も有る、以後は十分注意します」で一般向けには通しましたが、テレビ局相手には、むしろ評価が上がったと邪推します。
最初の頃のテレビ撮影の様子を島原帆山先生に聞いたことが有ります。「私が最初にテレビに出た時の事、寒月を吹いたんですがね、盥みたいなモノに水が入って入るんだ、そばに松の枝や船や家のオモチャがおいて有りました。何だこれは、と思いました」
後日、放映された画面を見て目を疑ったそうです。山に囲まれた湖。夕暮れに霞む家や船、松の枝越しに音も無く月が昇って行く、そこで帆山先生が「寒月」を吹いているのです。
作りモノの世界でタクサンの人に夢を見せたテレビも今は過渡期です。でも今現在は「腐っても何とやら」、まだ一番の強力な宣伝媒体です。ただし、尺八の場合、番組で採りあげられても、ほとんど注文には結びつきません。
このところスポンサー離れで広告収入が減り、企業として正念場を迎えたようです。テレビは許認可事業ですから新規参入が難しいと言いますが、やがて近いうちに崩れるでしょう。アメリカ人達は「日本は人口も多いのに、どうしてテレビのチャンネルがあんなに少ないんだ?」と20年も前から言っていました。アメリカ並みだと今の5倍有っても不思議ではないですね。
私達の子供時代はテレビ番組が話題の中心でした。昨日見たテレビのことを学校で話す、これが小学生中学生の本分で、その合間に勉強していました。中に変わり者がいて、夜、テレビを見ないで勉強していた者もおりましたが、結果ロクな人間にならなかったと思います。
テレビが家庭に入り始めたのは、私の周りでは昭和32年くらいからです。先駆けて入った家には近所の人達が詰めかけました。一緒にプロレスや野球を見ましたが、私達子供には楽しくとも、さて、その家の主婦にしたら本当はどうだったでしょう、迷惑だったんと違いまっか?。いち早くテレビを入れられた誇らしさは有っても頻繁の来客ではねえ・・・。
テレビは昭和34年くらいには、ほとんどの家庭に入っていましたが、創生期には笑えない事がかなり有ったと言います。
酒を飲みながら野球中継を見ていて、贔屓のチームが「サヨナラ負け」をしたので、怒って飲んでいたビール瓶を画面にぶつけた。
同じくサヨナラ負け、オヤジが子供に「となりのテレビでは勝ってるかも知れん、見てこい」
中に人が入っていると思いテレビの裏に廻って見た。
主人公が危なくなったシーンで興奮してテレビに掴みかかった。
あんまり人をコケに出来ませんわ、私だって大好きな「水戸黄門」での由美かおるの入浴シーン、いつも私のテレビ画面では腰のあたりまでしか映りません。だから思い切って大きな画面のテレビに換えて、これでバッチリよ、と思ったら、やっぱり腰までしか映らねえじゃねえか、サギだろうよ。それともテレビ局め、オレに喧嘩を売ってんのか? もしそうなら「不幸のハガキ」を出すぞ。
昭和37年のこと、テレビでプロレスを見ていて、グレート東郷の流血シーンで表に出ただけで老人が6人ショック死したのです。当時ですら大騒ぎになったのですから、もし今なら大問題になったでしょう。その時、東郷は最初のうち、「ショーが上手くいった」とむしろ手柄顔だったと言います。慌てたプロレス会社では「たまたま心臓の弱い人が発作を起こしたのだろう、何千万人という人が見ているんだから、そういう事も有る、以後は十分注意します」で一般向けには通しましたが、テレビ局相手には、むしろ評価が上がったと邪推します。
最初の頃のテレビ撮影の様子を島原帆山先生に聞いたことが有ります。「私が最初にテレビに出た時の事、寒月を吹いたんですがね、盥みたいなモノに水が入って入るんだ、そばに松の枝や船や家のオモチャがおいて有りました。何だこれは、と思いました」
後日、放映された画面を見て目を疑ったそうです。山に囲まれた湖。夕暮れに霞む家や船、松の枝越しに音も無く月が昇って行く、そこで帆山先生が「寒月」を吹いているのです。
作りモノの世界でタクサンの人に夢を見せたテレビも今は過渡期です。でも今現在は「腐っても何とやら」、まだ一番の強力な宣伝媒体です。ただし、尺八の場合、番組で採りあげられても、ほとんど注文には結びつきません。
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