名人がいる(二) 飯吉正山
- 2015/08/13
- 20:38
昨日12日、飯吉正山さんが亡くなりました。かねて体の具合が悪いとは聞いていたのですが、九十歳で大往生なさいました。
生涯、新潟の上越を離れることなく「北越の尺八王」と言うに相応しい生涯でした。
京都での試験を首席で突破した時に、在りし日の初代・都山をして「雪深い高田(上越)にも、これほどの吹き手がいたのか」と驚嘆せしめたというのは有名なエピソードです。
飯吉翔山さんは御子息、四年前に他界した飯吉礼山さんは御令弟、正派の箏曲家・宮越圭子さんは御令嬢です。同じ加藤貮山門下の佐藤幸宇山さんも登録では飯吉正山門人ということになっています。
佐藤さんは北部長野で最大160人の大勢力でしたが、飯吉正山さんも最盛期には、ほぼ同じ規模でしたから、往時には上越と北信という隣あわせた地域に一大尺八ステーションが存在していました。
私が15年前に長岡で展示会を開いた時にいらっしゃいました。当時の長岡は朝から夕方まで来客がつめかけ、その頃は私とスタッフ2人の3人態勢でしたからナカナカ手が回らず、しばらくは挨拶も出来ませんでしたが、その間、飯吉さんは展示してある尺八をじっくり吹き、また邦星堂の接客の仕方を気に入ってくださり、以後は門下の尺八の注文は私のところに出してくださいました。
その時、民謡の人が「10本全て買い替える」と言うのを、私が「半分の尺八は良いモノで十分使えるから、買うのは5本だけにした方が良い」と提案したのを「尺八の商いはそうでなくてはいけません」と後々まで感心して下さいましたが、別に感心されるほどの事ではなく、私の同世代の「売れてる製管師」はダイタイそうです。「イケイケ」で売れたのは80年代までですわ。
それから15年しか経っていませんが、尺八界の旺盛な需要、活気はすっかり失われてしまいました。日本尺八連盟が鳩山邦夫会長の時代には飯吉さんと佐賀の柴田聖山さんが副会長で、柴田さんも最晩年は私を贔屓にしてくださいました。一つの時代が終わったと感無量です。
飯吉正山の全盛時代、その演奏力は新潟では知らぬ者などいませんでした。上越は尺八連盟の孤立圏です。西の富山、東の中越、下越、南の長野、いずれも連盟はいません。その中にあって活発に活動し、新潟の都山流楽会の人も「飯吉さんの会はすごく勢いが有る」と絶賛していました。今は松沢剣照山、朝倉劫山という優れた吹き手を擁する楽会も当時は飯吉正山に圧倒されていました。
飯吉正山の民謡譜面集が邦楽ジャーナル社から刊行されました。生きていらしゃるうちに刊行されたのは良かったと思います。飯吉さんは民謡の仕事もかなり有りましたし、外地引上げ者で戦後に虚無僧で糊口をしのいだ加藤貳山の教えをうけただけに、イザとなれば古典本曲も吹けるフトコロの深い尺八家でした。ご冥福をお祈りします。
生涯、新潟の上越を離れることなく「北越の尺八王」と言うに相応しい生涯でした。
京都での試験を首席で突破した時に、在りし日の初代・都山をして「雪深い高田(上越)にも、これほどの吹き手がいたのか」と驚嘆せしめたというのは有名なエピソードです。
飯吉翔山さんは御子息、四年前に他界した飯吉礼山さんは御令弟、正派の箏曲家・宮越圭子さんは御令嬢です。同じ加藤貮山門下の佐藤幸宇山さんも登録では飯吉正山門人ということになっています。
佐藤さんは北部長野で最大160人の大勢力でしたが、飯吉正山さんも最盛期には、ほぼ同じ規模でしたから、往時には上越と北信という隣あわせた地域に一大尺八ステーションが存在していました。
私が15年前に長岡で展示会を開いた時にいらっしゃいました。当時の長岡は朝から夕方まで来客がつめかけ、その頃は私とスタッフ2人の3人態勢でしたからナカナカ手が回らず、しばらくは挨拶も出来ませんでしたが、その間、飯吉さんは展示してある尺八をじっくり吹き、また邦星堂の接客の仕方を気に入ってくださり、以後は門下の尺八の注文は私のところに出してくださいました。
その時、民謡の人が「10本全て買い替える」と言うのを、私が「半分の尺八は良いモノで十分使えるから、買うのは5本だけにした方が良い」と提案したのを「尺八の商いはそうでなくてはいけません」と後々まで感心して下さいましたが、別に感心されるほどの事ではなく、私の同世代の「売れてる製管師」はダイタイそうです。「イケイケ」で売れたのは80年代までですわ。
それから15年しか経っていませんが、尺八界の旺盛な需要、活気はすっかり失われてしまいました。日本尺八連盟が鳩山邦夫会長の時代には飯吉さんと佐賀の柴田聖山さんが副会長で、柴田さんも最晩年は私を贔屓にしてくださいました。一つの時代が終わったと感無量です。
飯吉正山の全盛時代、その演奏力は新潟では知らぬ者などいませんでした。上越は尺八連盟の孤立圏です。西の富山、東の中越、下越、南の長野、いずれも連盟はいません。その中にあって活発に活動し、新潟の都山流楽会の人も「飯吉さんの会はすごく勢いが有る」と絶賛していました。今は松沢剣照山、朝倉劫山という優れた吹き手を擁する楽会も当時は飯吉正山に圧倒されていました。
飯吉正山の民謡譜面集が邦楽ジャーナル社から刊行されました。生きていらしゃるうちに刊行されたのは良かったと思います。飯吉さんは民謡の仕事もかなり有りましたし、外地引上げ者で戦後に虚無僧で糊口をしのいだ加藤貳山の教えをうけただけに、イザとなれば古典本曲も吹けるフトコロの深い尺八家でした。ご冥福をお祈りします。
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