一神教
- 2015/08/20
- 23:24
「禅ってどうしてアメリカで人気が有るんでしょうか?」 こういう質問を受けた事は何十度となく有ります。私に聞くって間違ってやしませんかね。私は尺八屋であって、尺八を日々作って売って、それで生活してるだけ。どうしてそんな事を・・・。
尺八を「禅ミュージック」とか言ってる西洋人がいますが、禅の影響を濃厚に受けているのは日本文化のあるていど共通項ですからね、なにも尺八だけのことじゃないでしょうに。
中国人とは私はあまりと言うか、ほとんど日本の伝統文化の話しをしたことが無いのです。例外は「ミュージックチャイナ」。私のブースを訪問してくれた千人近い人達の中には、かなり日本文化に詳しい人達がいました。
「日本の雅楽の伝統は四百年前からと言うのが正しいのではないか?」と言われて驚いたくらいです。でも平均的日本人は平均的中国人より中国史を知っていると思います。なにせ学校の世界史は三分の一が中国史ですもんね。オレだって少しは憶えているくらいですからね。
韓国人も日本の歴史や伝統文化は良く知らないですね。日本人の韓国に関する知識と同じくらいだと思います。何より日本の伝統文化なんかには興味が無いみたいです。
その点、西洋人達は日本人に伝統文化や歴史に関する事をよく聞いてきます。ただ日本に関する知識は中国人や韓国人にも及ばぬ人が多いですね。それでも旺盛な知識欲を満たす為に、日本人なら知っているか、もしくは多少なりとも知っているのではないか? そういう事で聞くんでしょう、私ら製管師に伝統文化のことを聞いてくる人達も同じですな。
「よく良く知らない事は言うな」とか「知ったかぶりをするな」とか私もそう言われて育ってきましたよ。でも、それでは「私には確実なことが分からない」でオトナの世界、まして西洋人相手に通ると思う?
大切なのは「私はこう思う」で良いから、ともかく答えることだと思うのですが・・・。
禅がアメリカに広まったのは鈴木大拙が、とかいう事を聞きたいのではではないことは分かります。こういう質問をなさる方は、もうそういう事は知っています。だって質問してくる人の半分は禅宗の坊さんなんですもの。質問自体が「問答」なのです。躊躇や逡巡は許されません。
一神教の人達にとって、この世界の本質は常に「一」、クリーターとクリーチャーの二者相対で最後の最後までクリーターの「一」が残る。いつも人間の上に君臨する「一」からの解放を求める人は、世の本質は「0」という禅に魅力を感じる。これが私の答えです。「0」の発見は数学ではインド人が、哲学では中国人が。 「もうやめろ」 ハイ。
一神教は多神教の中から出てくる。幸い古代エジプトの歴史は記録されていましたし、同じく「旧約聖書」にも詳しく記述してあります。それを読むと、イクナートンの宗教改革やモーゼの説法の背景が良く理解できます。強い力の集中の為には、それぞれの神を信奉する勢力の存在を放置できない。
これが日本ですと神に上下をつけることで折り合いをつけたんですが、さらに時代が進み、さらなる価値観の一体化をはかる為に「仏」を共通神にすることで、マア何とか始末がついたんですな。
尺八の流派が、自らのアイデンティティを確立する為にソフトの固定化に固執するのは分かります。でも流や会の論理でしかないですからね、今の時代「ソフト一神教」は無理、これ以上は維持出来ないと皆が分かっています。だけど後の事態の予想がつかないので、新たな地平に踏み出せないのでしょう。
多神教の知恵。みんな認めたら楽になりまっせ。「そんなのイカン」という骨の有る意見もこのところ聞きません。尺八界が落ちぶれたからですかね?どうせこれからは皆が自由勝手にソフトを選ぶ時代になるのです。頑固に他の価値観を認めない硬骨漢もいないと尺八界が段々つまらなくなりますよ。
尺八を「禅ミュージック」とか言ってる西洋人がいますが、禅の影響を濃厚に受けているのは日本文化のあるていど共通項ですからね、なにも尺八だけのことじゃないでしょうに。
中国人とは私はあまりと言うか、ほとんど日本の伝統文化の話しをしたことが無いのです。例外は「ミュージックチャイナ」。私のブースを訪問してくれた千人近い人達の中には、かなり日本文化に詳しい人達がいました。
「日本の雅楽の伝統は四百年前からと言うのが正しいのではないか?」と言われて驚いたくらいです。でも平均的日本人は平均的中国人より中国史を知っていると思います。なにせ学校の世界史は三分の一が中国史ですもんね。オレだって少しは憶えているくらいですからね。
韓国人も日本の歴史や伝統文化は良く知らないですね。日本人の韓国に関する知識と同じくらいだと思います。何より日本の伝統文化なんかには興味が無いみたいです。
その点、西洋人達は日本人に伝統文化や歴史に関する事をよく聞いてきます。ただ日本に関する知識は中国人や韓国人にも及ばぬ人が多いですね。それでも旺盛な知識欲を満たす為に、日本人なら知っているか、もしくは多少なりとも知っているのではないか? そういう事で聞くんでしょう、私ら製管師に伝統文化のことを聞いてくる人達も同じですな。
「よく良く知らない事は言うな」とか「知ったかぶりをするな」とか私もそう言われて育ってきましたよ。でも、それでは「私には確実なことが分からない」でオトナの世界、まして西洋人相手に通ると思う?
大切なのは「私はこう思う」で良いから、ともかく答えることだと思うのですが・・・。
禅がアメリカに広まったのは鈴木大拙が、とかいう事を聞きたいのではではないことは分かります。こういう質問をなさる方は、もうそういう事は知っています。だって質問してくる人の半分は禅宗の坊さんなんですもの。質問自体が「問答」なのです。躊躇や逡巡は許されません。
一神教の人達にとって、この世界の本質は常に「一」、クリーターとクリーチャーの二者相対で最後の最後までクリーターの「一」が残る。いつも人間の上に君臨する「一」からの解放を求める人は、世の本質は「0」という禅に魅力を感じる。これが私の答えです。「0」の発見は数学ではインド人が、哲学では中国人が。 「もうやめろ」 ハイ。
一神教は多神教の中から出てくる。幸い古代エジプトの歴史は記録されていましたし、同じく「旧約聖書」にも詳しく記述してあります。それを読むと、イクナートンの宗教改革やモーゼの説法の背景が良く理解できます。強い力の集中の為には、それぞれの神を信奉する勢力の存在を放置できない。
これが日本ですと神に上下をつけることで折り合いをつけたんですが、さらに時代が進み、さらなる価値観の一体化をはかる為に「仏」を共通神にすることで、マア何とか始末がついたんですな。
尺八の流派が、自らのアイデンティティを確立する為にソフトの固定化に固執するのは分かります。でも流や会の論理でしかないですからね、今の時代「ソフト一神教」は無理、これ以上は維持出来ないと皆が分かっています。だけど後の事態の予想がつかないので、新たな地平に踏み出せないのでしょう。
多神教の知恵。みんな認めたら楽になりまっせ。「そんなのイカン」という骨の有る意見もこのところ聞きません。尺八界が落ちぶれたからですかね?どうせこれからは皆が自由勝手にソフトを選ぶ時代になるのです。頑固に他の価値観を認めない硬骨漢もいないと尺八界が段々つまらなくなりますよ。
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