畳の文化
- 2015/08/21
- 17:45
今でも韓国の「キーセン・ツアー」って有るんですか?88年のソウルオリンピックまでは、韓国へ行くのは、ほとんどオヤジだけ。彼の地で「キーセンパーティー」という触れ込みの「買春パーティー」がお楽しみでした。
「本当の妓生とはアンナモノじゃない」と言う人はいましたがね、「ホンモノ、マガイモノ」が有るとして、どっちにしろ最近はトンと聞きませんなぁ。
私も「ホンモノ」を一回、興味が有ったのでやりました。なるほど事前に「買春交渉はしないように」と言われました。「マガイモノ」は付き合いで何回か行きましたが、どっちにしろ全然面白くないんですわ。私は「女遊び」は大好きですが、芸者とかキーセン遊びとか趣味に合いません。
まあ、それはトモカク、キーセンに限らず韓国の女性って座る時、立て膝なんですよ。
それに韓国では食器を手で持たない。また金属製です。王朝時代に毒殺を怖れて「毒に反応して色の変わる銀製にした」ですと、ヘエ。フーン。ペロッ(眉に唾をつける音)。たしかに銀であれば、昔の毒の代表であるヒ素には反応するかもしれませんがね・・・。マア、毒殺をこころみる人も余程にトロクなければ、そんな事くらい知ってるでしょうよ。
日本でも江戸時代の初めまでは、女性は座る時、立て膝です。板張りの床に畳が敷かれて柔らかくなり風習が変わりました。朝鮮では冬が厳しいので、18世紀になるとオンドルが一般にも普及して行き、こっちは逆に硬くなって風習が変りました。
硬いオンドル床では陶製の食器は床に落とすと割れてしまいます。だから手で持たないで箸と匙で食べるようになりました。近年は食器もステンレスですが、その前は庶民はアルマイト、もっと粗末だとプラスチックでした。李朝時代は主に陶器または木製でした。
豊臣秀吉の「朝鮮出兵」の時、夥しい物品、人間を略奪して来ましたが、日本で井戸茶碗として珍重されたのは朝鮮庶民の粗末な飯茶碗です。
日本では畳が普及して変わったのは「正座の習慣」だけじゃ有りませんですよ。私達に直接関係してくる邦楽でも、前からどうしてだろうと思っていた不思議な嗜好が有るんですわ。
邦楽器って「雑音」、音楽用語で「噪音」という言葉が有りますが面倒だから雑音とします、その雑音に美を見出していますよね。三弦や琵琶にわざわざ「さわり」を付けたり、尺八や箏でも技巧として「雑音」を出しています。この、音楽に雑音あるいは「音の濁り」を美しさとして取り入れている、これって世界的の見ても、あまり類の無い、日本音楽の特徴と違いましょうか?
反響が吸い取られる畳と無関係では無いと思うんですよ。畳、障子、唐紙、いずれも音の響きが優しい。しかも火鉢くらいしか有効な暖房器具を持たなかった日本の座敷は、空間を小さくしきる必要が有った。そこで生まれた近世邦楽文化ですから、その狭い空間での演奏中にハタと雑音が耳に障らないどころか美であることに気が付いたんと違いますでしょうか?
小空間向きの楽器で、あまり煩くないので余韻の美しさも十分に味わえます。「雑音」も最初は「音の濁り」、言わばスパイスとして受け止められたように思います。
「エライゾ、オレもそうだと思った」と言う尺八オジサン。まともな音が有っての雑音ですよ、アンタの尺八、全部雑音じゃないの・・・。でも、だからこそ「虚音」とか言いくるめて堂々と吹いてこれましたよね、私はこれって、イヤこれも、素晴らしい楽器の楽しみ方だと思うんですよ。趣味ですもの、ヘタな人が小さくなっている世界って変じゃないですか?
「本当の妓生とはアンナモノじゃない」と言う人はいましたがね、「ホンモノ、マガイモノ」が有るとして、どっちにしろ最近はトンと聞きませんなぁ。
私も「ホンモノ」を一回、興味が有ったのでやりました。なるほど事前に「買春交渉はしないように」と言われました。「マガイモノ」は付き合いで何回か行きましたが、どっちにしろ全然面白くないんですわ。私は「女遊び」は大好きですが、芸者とかキーセン遊びとか趣味に合いません。
まあ、それはトモカク、キーセンに限らず韓国の女性って座る時、立て膝なんですよ。
それに韓国では食器を手で持たない。また金属製です。王朝時代に毒殺を怖れて「毒に反応して色の変わる銀製にした」ですと、ヘエ。フーン。ペロッ(眉に唾をつける音)。たしかに銀であれば、昔の毒の代表であるヒ素には反応するかもしれませんがね・・・。マア、毒殺をこころみる人も余程にトロクなければ、そんな事くらい知ってるでしょうよ。
日本でも江戸時代の初めまでは、女性は座る時、立て膝です。板張りの床に畳が敷かれて柔らかくなり風習が変わりました。朝鮮では冬が厳しいので、18世紀になるとオンドルが一般にも普及して行き、こっちは逆に硬くなって風習が変りました。
硬いオンドル床では陶製の食器は床に落とすと割れてしまいます。だから手で持たないで箸と匙で食べるようになりました。近年は食器もステンレスですが、その前は庶民はアルマイト、もっと粗末だとプラスチックでした。李朝時代は主に陶器または木製でした。
豊臣秀吉の「朝鮮出兵」の時、夥しい物品、人間を略奪して来ましたが、日本で井戸茶碗として珍重されたのは朝鮮庶民の粗末な飯茶碗です。
日本では畳が普及して変わったのは「正座の習慣」だけじゃ有りませんですよ。私達に直接関係してくる邦楽でも、前からどうしてだろうと思っていた不思議な嗜好が有るんですわ。
邦楽器って「雑音」、音楽用語で「噪音」という言葉が有りますが面倒だから雑音とします、その雑音に美を見出していますよね。三弦や琵琶にわざわざ「さわり」を付けたり、尺八や箏でも技巧として「雑音」を出しています。この、音楽に雑音あるいは「音の濁り」を美しさとして取り入れている、これって世界的の見ても、あまり類の無い、日本音楽の特徴と違いましょうか?
反響が吸い取られる畳と無関係では無いと思うんですよ。畳、障子、唐紙、いずれも音の響きが優しい。しかも火鉢くらいしか有効な暖房器具を持たなかった日本の座敷は、空間を小さくしきる必要が有った。そこで生まれた近世邦楽文化ですから、その狭い空間での演奏中にハタと雑音が耳に障らないどころか美であることに気が付いたんと違いますでしょうか?
小空間向きの楽器で、あまり煩くないので余韻の美しさも十分に味わえます。「雑音」も最初は「音の濁り」、言わばスパイスとして受け止められたように思います。
「エライゾ、オレもそうだと思った」と言う尺八オジサン。まともな音が有っての雑音ですよ、アンタの尺八、全部雑音じゃないの・・・。でも、だからこそ「虚音」とか言いくるめて堂々と吹いてこれましたよね、私はこれって、イヤこれも、素晴らしい楽器の楽しみ方だと思うんですよ。趣味ですもの、ヘタな人が小さくなっている世界って変じゃないですか?
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