イソップ物語
- 2015/08/25
- 09:43
イソップ物語は誰でも読んだことが有りますよね。イソップは実在した人物らしいですが、イソップ物語はイソップ個人が創ったのでは無く、小アジアやギリシアあたりでの寓話を集めたものだと言われています。
それにしても紀元前600年頃に、あれほどの水準の寓話が有った事は驚きです。日本は文字も無い縄文時代ですからね。言っときますけど、「超古代文字」とか「神武紀元」とか言う人とは私は論争しないの。
東アジアの先進国・中国だって紀元前600年と言えば「春秋五覇」の頃ですよね、政治、軍事がらみでは今でも話される高度な寓話が豊富に有りますが、民間レベルでのものは、私が知らないだけかも知れませんが、あまり聞きません。
イソップ物語の「蟻とキリギリス」皆知っています。これが何処の国でも「若い時に怠けていると後で後悔するぞ」という一種の「教訓話」として読まれるらしいですが、それにしろ起源前7世紀にあって、なお若い時に「キリギリス生活」が出来た社会というのは素晴らしいですね。社会の厚みを感じます。
尺八のプロって「キリギリス」?。すくなくとも、この30年若い時に邦楽で生活していた人の多くは中年過ぎて冬を向かえたキリギリスになりました。30年前は教授産業としての邦楽が崩壊期に入り、どこの地方の町にも存在していた箏の専業教授者が生活出来なくなり、それ以前に生活できなくなっていた尺八にいたっては、戦前から、あるいは高度成長期までに尺八教授業を始めていた人達が半失業状態になり、生活に窮して製管師や弟子、あるいは糸方に不義理を重ねる事態になっていました。
その後にプロになった人達も、お約束だった「伝統産業の年功による持ち上がり」が無くなってしまい、年を重ねて良くなっていくどころか、邦楽状況全般の悪化と若手にガチンコ勝負を挑まれた結果、年だけとって収入が増えないという最悪の事態になってしまいました。
「老齢になったプロは若い者の到底及ばないモノスゴイ境地に達している」なんて今は誰も思ってくれない時代です。そりゃそうですわ。尺八歴46年、プロになって36年の私でも半信半疑なのですから。全く嘘とも断じきれないが本当とは到底思えません。一般には、ハイ、年をとるとヘタになります。
余程の財産家の子女でないかぎり、邦楽で生きて行こうと思ったら、この「キリギリス」を覚悟してかかる必要が有ります。生活実感に乏しい若い時に「キリギリス」の生き方を志向して、その後でも修正はききますが、流石に50過ぎては無理でしょう。
でも誰もキリギリスを目指さない社会って、それはそれで貧困ですよね。キリギリス人間の多くが「良かった」と思える世の中って捨てたもんではありませんでしょう。収入が少なくったって満足度の高い人生を勝ち取れるかどうか、それって技量とともに時代を見る目もきっと必要ですわな。
いくら何でも「幸福を感じる」下限の収入って有りますもんね
ところで、「蟻の人生」を選んだ人はどうなのですか?良かった、まあまあ良かった、仕方が無い、辛かった?
それにしても紀元前600年頃に、あれほどの水準の寓話が有った事は驚きです。日本は文字も無い縄文時代ですからね。言っときますけど、「超古代文字」とか「神武紀元」とか言う人とは私は論争しないの。
東アジアの先進国・中国だって紀元前600年と言えば「春秋五覇」の頃ですよね、政治、軍事がらみでは今でも話される高度な寓話が豊富に有りますが、民間レベルでのものは、私が知らないだけかも知れませんが、あまり聞きません。
イソップ物語の「蟻とキリギリス」皆知っています。これが何処の国でも「若い時に怠けていると後で後悔するぞ」という一種の「教訓話」として読まれるらしいですが、それにしろ起源前7世紀にあって、なお若い時に「キリギリス生活」が出来た社会というのは素晴らしいですね。社会の厚みを感じます。
尺八のプロって「キリギリス」?。すくなくとも、この30年若い時に邦楽で生活していた人の多くは中年過ぎて冬を向かえたキリギリスになりました。30年前は教授産業としての邦楽が崩壊期に入り、どこの地方の町にも存在していた箏の専業教授者が生活出来なくなり、それ以前に生活できなくなっていた尺八にいたっては、戦前から、あるいは高度成長期までに尺八教授業を始めていた人達が半失業状態になり、生活に窮して製管師や弟子、あるいは糸方に不義理を重ねる事態になっていました。
その後にプロになった人達も、お約束だった「伝統産業の年功による持ち上がり」が無くなってしまい、年を重ねて良くなっていくどころか、邦楽状況全般の悪化と若手にガチンコ勝負を挑まれた結果、年だけとって収入が増えないという最悪の事態になってしまいました。
「老齢になったプロは若い者の到底及ばないモノスゴイ境地に達している」なんて今は誰も思ってくれない時代です。そりゃそうですわ。尺八歴46年、プロになって36年の私でも半信半疑なのですから。全く嘘とも断じきれないが本当とは到底思えません。一般には、ハイ、年をとるとヘタになります。
余程の財産家の子女でないかぎり、邦楽で生きて行こうと思ったら、この「キリギリス」を覚悟してかかる必要が有ります。生活実感に乏しい若い時に「キリギリス」の生き方を志向して、その後でも修正はききますが、流石に50過ぎては無理でしょう。
でも誰もキリギリスを目指さない社会って、それはそれで貧困ですよね。キリギリス人間の多くが「良かった」と思える世の中って捨てたもんではありませんでしょう。収入が少なくったって満足度の高い人生を勝ち取れるかどうか、それって技量とともに時代を見る目もきっと必要ですわな。
いくら何でも「幸福を感じる」下限の収入って有りますもんね
ところで、「蟻の人生」を選んだ人はどうなのですか?良かった、まあまあ良かった、仕方が無い、辛かった?
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