和装
- 2015/08/28
- 23:55
亡くなった中井猛先生はいつも和装、着流しでした。トッピな格好をしている人が珍しくない昨今ですが、街での着流しは、正月以外にはマズ見ません。ハードロックのニイチャンより目立ちます。
一度だけ中井先生の洋服姿を拝見しました。カラオケパーティで砂崎知子さんはじめ、宮城会の人達が笑い転げていましたので見に行くと中井先生でした。ブレザーにノーネクタイ、そこまでは良いのですが足元を見ると足袋に雪駄でした。流石に下はズボンでした。袴ではありません。私の若い時に浴衣にズボンという人を見た事が有ります。本人は外出するから袴の代わりにズボンをはいたんでしょうね。
中井先生に聞いたことが有ります。「羽織の紐を結べますか?」 御出来になるそうです。
羽織紐は普通は誰でも大丈夫なように、あらかじめ結んである紐を「ワカン」という金具で付けます。紐を結んでに取り付けることは私も出来ますし、祖父も出来ました。家では着物だった私の父は出来ませんでした。問題はワカン無しで結べるかということで、中井先生以外に「出来る」と言った人を知りません。落語家や時代劇の役者は出来ます。昔はそんなものが無かったのですから結すべないでは話になりません。
一度、藤山寛美が劇中で話しながら羽織紐を結びましたが、その鮮やかさに見惚れました。
こういう昔の日本人は誰でも出来たことが今は忘れられた技になってしまいました。私の尺八には袋がサービス品として付いていますが、紐を正しく結べた人はマズいません。房が結び止めになっていますが、輪を作って手に下げる人はいませんね。
尺八を中継ぎから分離するのだって、今の皆のやりかた、親指を添えて手の横を敲く方法は間違ってますぜ。正しくは左手で中継ぎを鷲掴みにして手のコウを右手で敲くのです。どういうワケか中学の音楽の教科書にも間違ったやりかたが載っています。
「中継ぎがはずれない」と言って持ってくる人の全員が、この間違った抜き方をやってます。私が瞬間的にはずすと皆がビックリしますが、正しい抜き方をやれば誰でも出来ます。
私は尺八吹きですから着物も袴も着れますが、もう普通の人は着る機会そのものが有りません。私の子供時代は学校から帰ると下駄履きでしたが今はそれも無く、また当時は50過ぎた女の人はダイタイ着物でしたが、もう違います。モンペにいたっては見る事が無くなりました。
失われた文化を歎いているのかって? それより風俗は移ると言いたいのです。伝統が姿を変えて新しいモノが生まれ、いつの間にか新しい伝統文化になるのです。例えば男の着物として作務衣は今はよく見ますな。でも、あれって私の若い頃は禅宗の坊さんだって着ていなかった、昭和40年代になってからのモノでっせ。
「平安初期の服装は正確なところは誰にも分からない、まして庶民はお手上げ」と作家の海音寺潮五郎が言っていました。すると我々のイメージに有る在原業平や伊勢の服装は「光琳カルタ」の百人一首あたりで作られたものなのでしょう。弟の乾山の作だったかと記憶していますが、「太田道灌、簑を借る」で山吹の花を捧げている紅皿の髪型は江戸時代のものでした。今の人は江戸期の人の逆で、この辺りの風俗の違いは分かります。学校の教育なんかじゃありません。テレビと漫画のオカゲです。
普通に伝統と思っている物も、時代毎に新しくなっていってるんです。
まして曲や楽器の形態の固定なんか何の意味が有りますかい?
一度だけ中井先生の洋服姿を拝見しました。カラオケパーティで砂崎知子さんはじめ、宮城会の人達が笑い転げていましたので見に行くと中井先生でした。ブレザーにノーネクタイ、そこまでは良いのですが足元を見ると足袋に雪駄でした。流石に下はズボンでした。袴ではありません。私の若い時に浴衣にズボンという人を見た事が有ります。本人は外出するから袴の代わりにズボンをはいたんでしょうね。
中井先生に聞いたことが有ります。「羽織の紐を結べますか?」 御出来になるそうです。
羽織紐は普通は誰でも大丈夫なように、あらかじめ結んである紐を「ワカン」という金具で付けます。紐を結んでに取り付けることは私も出来ますし、祖父も出来ました。家では着物だった私の父は出来ませんでした。問題はワカン無しで結べるかということで、中井先生以外に「出来る」と言った人を知りません。落語家や時代劇の役者は出来ます。昔はそんなものが無かったのですから結すべないでは話になりません。
一度、藤山寛美が劇中で話しながら羽織紐を結びましたが、その鮮やかさに見惚れました。
こういう昔の日本人は誰でも出来たことが今は忘れられた技になってしまいました。私の尺八には袋がサービス品として付いていますが、紐を正しく結べた人はマズいません。房が結び止めになっていますが、輪を作って手に下げる人はいませんね。
尺八を中継ぎから分離するのだって、今の皆のやりかた、親指を添えて手の横を敲く方法は間違ってますぜ。正しくは左手で中継ぎを鷲掴みにして手のコウを右手で敲くのです。どういうワケか中学の音楽の教科書にも間違ったやりかたが載っています。
「中継ぎがはずれない」と言って持ってくる人の全員が、この間違った抜き方をやってます。私が瞬間的にはずすと皆がビックリしますが、正しい抜き方をやれば誰でも出来ます。
私は尺八吹きですから着物も袴も着れますが、もう普通の人は着る機会そのものが有りません。私の子供時代は学校から帰ると下駄履きでしたが今はそれも無く、また当時は50過ぎた女の人はダイタイ着物でしたが、もう違います。モンペにいたっては見る事が無くなりました。
失われた文化を歎いているのかって? それより風俗は移ると言いたいのです。伝統が姿を変えて新しいモノが生まれ、いつの間にか新しい伝統文化になるのです。例えば男の着物として作務衣は今はよく見ますな。でも、あれって私の若い頃は禅宗の坊さんだって着ていなかった、昭和40年代になってからのモノでっせ。
「平安初期の服装は正確なところは誰にも分からない、まして庶民はお手上げ」と作家の海音寺潮五郎が言っていました。すると我々のイメージに有る在原業平や伊勢の服装は「光琳カルタ」の百人一首あたりで作られたものなのでしょう。弟の乾山の作だったかと記憶していますが、「太田道灌、簑を借る」で山吹の花を捧げている紅皿の髪型は江戸時代のものでした。今の人は江戸期の人の逆で、この辺りの風俗の違いは分かります。学校の教育なんかじゃありません。テレビと漫画のオカゲです。
普通に伝統と思っている物も、時代毎に新しくなっていってるんです。
まして曲や楽器の形態の固定なんか何の意味が有りますかい?
スポンサーサイト