歌詞の壁
- 2015/09/03
- 17:12
地歌や箏曲の演奏や鑑賞に際しては、現代人にはどうしても歌詞がネックになってしまう、その様なことを青木鈴慕先生に言ったことがありました。
地歌は江戸時代の流行歌だとは言っても、今の人間には歌詞の意味が分からず感情移入が出来ません。歌詞の文法的な解釈を言ってんじゃありませんぜ、そんな事なら高校生でも、おっと高校生の方がもっと理解できますわ。微妙なところがピンとこないということを言ってんだす。
たとえば「楫枕」、その凄絶なまでに美しい後歌とか言ったって、今の人が感じますか? 秋の木漏れ陽の下、ハイネの詩集を開き「ああ」とため息をつくような楽しみ方なら良いでしょうよ。また日本語になってしまっては一辺倒のリズムですが意味に感動する人の多い漢詩とも違います。私らの世代の者が、英語の歌を意味も分からず歌っていたのは、メロディやリズム、何より雰囲気が格好良かったからです。「アメリカかぶれ」とか「植民地根性」とか言ったって、言うのも自由やるのも自由ですもんね。
ひるがえって、そもそも地歌はそういう楽しみ方が出来ません。
青木先生の答え、「地歌の歌詞の意味にとらわれてはいけません」 そう申しますと?
「地歌の歌詞は、分かって良し、分からなくって良し、そこそこに分かって最も良し」だそうです。中井猛先生に同様のことをお聞きすると、青木先生のおっしゃる通りだとのことです。
「地歌は歌詞の意味をトコトン反映して作曲したものではありません」 では、どう吹けば良いのでしょうか?
「それは鯛山さんの感じた様に吹きなされ」
成程。地歌、箏曲は歌詞が曲に濃厚には反映されていないと言っても「秋の言葉」は不自然にハズミを入れるでもしなければ春みたいには吹けませんわ。曲の中で季節が移っていく「八重衣」は、習ったように吹くと、早春は早春、晩秋は晩秋です。
それを、あまり考えすぎると演奏がクサくなる、そういう事ですな。
私の知るかぎり、尺八でも箏でも、プロの演奏家で地歌の歌詞の意味を正確に知っているという人は少ない、ないしはほとんどいない。ここにも尺八と箏には温度差が有り、尺八の何十倍ものオタクがいる箏の人はアマを含めて、尺八より、ずっと良く知っています。それでも松尾恵子先生の御主人の清二先生は「箏を弾く者が地歌の歌詞の意味を知らなくてどうする」と怒っていました。すごく「演奏に歌詞の意味を反映すべき」と考えていらしゃたようです。
これが尺八となると、プロ、アマ問わず、おそらく9割がたは意味を考えずに吹いていると思います。
だけど演奏に使っている歌詞は文法的には国語学者が目をむくようなのがタクサン有りますぜ・・・。
国語学者といえば金田一春彦先生。お亡くなりになって、もう10年位経ちますが、いつも日本三曲協会の新年会にはいらっしゃいました。御父上の京助先生は大男だったと聞いていますが、親に似ず小柄な方で常にニコニコしていました。
中井猛先生は戸籍上は生涯独身でしたが、「中井猛を結婚させる運動」が一時は有って、「もし結婚したら式の仲人を引き受ける」と言っていた方が、その金田一春彦先生でした。みんな別の世界の人になってしまい、寂しいことですな・・・。
地歌は江戸時代の流行歌だとは言っても、今の人間には歌詞の意味が分からず感情移入が出来ません。歌詞の文法的な解釈を言ってんじゃありませんぜ、そんな事なら高校生でも、おっと高校生の方がもっと理解できますわ。微妙なところがピンとこないということを言ってんだす。
たとえば「楫枕」、その凄絶なまでに美しい後歌とか言ったって、今の人が感じますか? 秋の木漏れ陽の下、ハイネの詩集を開き「ああ」とため息をつくような楽しみ方なら良いでしょうよ。また日本語になってしまっては一辺倒のリズムですが意味に感動する人の多い漢詩とも違います。私らの世代の者が、英語の歌を意味も分からず歌っていたのは、メロディやリズム、何より雰囲気が格好良かったからです。「アメリカかぶれ」とか「植民地根性」とか言ったって、言うのも自由やるのも自由ですもんね。
ひるがえって、そもそも地歌はそういう楽しみ方が出来ません。
青木先生の答え、「地歌の歌詞の意味にとらわれてはいけません」 そう申しますと?
「地歌の歌詞は、分かって良し、分からなくって良し、そこそこに分かって最も良し」だそうです。中井猛先生に同様のことをお聞きすると、青木先生のおっしゃる通りだとのことです。
「地歌は歌詞の意味をトコトン反映して作曲したものではありません」 では、どう吹けば良いのでしょうか?
「それは鯛山さんの感じた様に吹きなされ」
成程。地歌、箏曲は歌詞が曲に濃厚には反映されていないと言っても「秋の言葉」は不自然にハズミを入れるでもしなければ春みたいには吹けませんわ。曲の中で季節が移っていく「八重衣」は、習ったように吹くと、早春は早春、晩秋は晩秋です。
それを、あまり考えすぎると演奏がクサくなる、そういう事ですな。
私の知るかぎり、尺八でも箏でも、プロの演奏家で地歌の歌詞の意味を正確に知っているという人は少ない、ないしはほとんどいない。ここにも尺八と箏には温度差が有り、尺八の何十倍ものオタクがいる箏の人はアマを含めて、尺八より、ずっと良く知っています。それでも松尾恵子先生の御主人の清二先生は「箏を弾く者が地歌の歌詞の意味を知らなくてどうする」と怒っていました。すごく「演奏に歌詞の意味を反映すべき」と考えていらしゃたようです。
これが尺八となると、プロ、アマ問わず、おそらく9割がたは意味を考えずに吹いていると思います。
だけど演奏に使っている歌詞は文法的には国語学者が目をむくようなのがタクサン有りますぜ・・・。
国語学者といえば金田一春彦先生。お亡くなりになって、もう10年位経ちますが、いつも日本三曲協会の新年会にはいらっしゃいました。御父上の京助先生は大男だったと聞いていますが、親に似ず小柄な方で常にニコニコしていました。
中井猛先生は戸籍上は生涯独身でしたが、「中井猛を結婚させる運動」が一時は有って、「もし結婚したら式の仲人を引き受ける」と言っていた方が、その金田一春彦先生でした。みんな別の世界の人になってしまい、寂しいことですな・・・。
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