芸の系譜
- 2015/09/15
- 21:36
これまで尺八界の心情または行動を支配してきたのは系譜です。40年前の都山流分裂後、それぞれ名簿を出しました。今にいたるも日本尺八連盟の名簿には師匠の名前とともに親師匠が載っています。
20年前ですと師匠から師匠へたどっていけました。そうすると一つの地域を支配する大ボスが見えてきます。結局のところ流の分裂とは派閥抗争です。中に不思議と感じられるケースも有って、そこはそれ、個別に事情を調べると興味深いところが分かります。
エッ、具体的にはって、まあ良いでしょうよ、別に秘密でも何でもない。たとえば、島原帆山のおひざ元である広島でも分裂直後に楽会にとどまった師匠がいました。楽会の中心派閥である富井舜山の弟子、神奈川のKさんは尺八連盟です。新潟の楽会支部長は連盟の飯吉正山の弟子でした。山本邦山のもとからも分裂時に番頭格の弟子達が出てしまい、直後は邦山が深刻に悩みました。キリが有りませんが、個別に事情は有るものの、普通は師匠が動くと弟子もその方向に動きます。
こういう仕組みが良いとか悪いとかでなく、若い人や外国人にはピンとこないと思います。この仕組みから比較的自由なのは我々製管師です。ただし琴古ではありません。
琴古は長く「ブロック経済」でした。ですから竹友社の製管師が鈴慕会や竹盟社に売り込みをかけるとかは、まず有りません。都山の場合、せいぜい連盟や新都山に籍の有る製管師は楽会の機関誌である楽報に広告が出せないくらいです。これが上田や琴古ですと大丈夫のようですから、比較にならなほど自由です。
私達は何処の流、会派であれ自由に交流します。琴古の何処の社中であれ売り込みをかけます。系譜から離れて自由に動けない琴古の製管師の今の凋落ぶりは30年前にははっきり分かっていました。
「アンタだって琴古だろうが」とおっしゃる方、そうですよ。本当は何の問題もありゃしませんわ。鈴慕会に籍を持っていた私が他の琴古社中に創業以来売り込みをかけて今までクレームがついたことは、ただのいっぺんも有りません。
「系譜を尊重するのは芸をやる者の礼儀だぞ」と言う人もいますよね、ですから良い悪いではないです。もうこの仕組みは壊れましたから、その先の話をします。
今、古典本曲を吹きたくて多くの都山流の人が琴古の師匠のところでレッスンを受けています。反対のケースは有りません。しかし琴古の人で現代曲をやりたい人も多いのです。現代曲の譜面は圧倒的に都山譜です。また曲作りでは都山の方が上手い。ですから本当は相互に交流できるのです。
まさか都山流の本曲が琴古に売れると本気で考えている人がいるとは思えない。都山の売り物はそんな所には有りません。こういう発言が今の時点でも問題化するとしたら、もうダメですね。
20年前ですと師匠から師匠へたどっていけました。そうすると一つの地域を支配する大ボスが見えてきます。結局のところ流の分裂とは派閥抗争です。中に不思議と感じられるケースも有って、そこはそれ、個別に事情を調べると興味深いところが分かります。
エッ、具体的にはって、まあ良いでしょうよ、別に秘密でも何でもない。たとえば、島原帆山のおひざ元である広島でも分裂直後に楽会にとどまった師匠がいました。楽会の中心派閥である富井舜山の弟子、神奈川のKさんは尺八連盟です。新潟の楽会支部長は連盟の飯吉正山の弟子でした。山本邦山のもとからも分裂時に番頭格の弟子達が出てしまい、直後は邦山が深刻に悩みました。キリが有りませんが、個別に事情は有るものの、普通は師匠が動くと弟子もその方向に動きます。
こういう仕組みが良いとか悪いとかでなく、若い人や外国人にはピンとこないと思います。この仕組みから比較的自由なのは我々製管師です。ただし琴古ではありません。
琴古は長く「ブロック経済」でした。ですから竹友社の製管師が鈴慕会や竹盟社に売り込みをかけるとかは、まず有りません。都山の場合、せいぜい連盟や新都山に籍の有る製管師は楽会の機関誌である楽報に広告が出せないくらいです。これが上田や琴古ですと大丈夫のようですから、比較にならなほど自由です。
私達は何処の流、会派であれ自由に交流します。琴古の何処の社中であれ売り込みをかけます。系譜から離れて自由に動けない琴古の製管師の今の凋落ぶりは30年前にははっきり分かっていました。
「アンタだって琴古だろうが」とおっしゃる方、そうですよ。本当は何の問題もありゃしませんわ。鈴慕会に籍を持っていた私が他の琴古社中に創業以来売り込みをかけて今までクレームがついたことは、ただのいっぺんも有りません。
「系譜を尊重するのは芸をやる者の礼儀だぞ」と言う人もいますよね、ですから良い悪いではないです。もうこの仕組みは壊れましたから、その先の話をします。
今、古典本曲を吹きたくて多くの都山流の人が琴古の師匠のところでレッスンを受けています。反対のケースは有りません。しかし琴古の人で現代曲をやりたい人も多いのです。現代曲の譜面は圧倒的に都山譜です。また曲作りでは都山の方が上手い。ですから本当は相互に交流できるのです。
まさか都山流の本曲が琴古に売れると本気で考えている人がいるとは思えない。都山の売り物はそんな所には有りません。こういう発言が今の時点でも問題化するとしたら、もうダメですね。
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