興行
- 2015/09/18
- 23:31
私がプロレスの興行師になりたいと思ったのは中学2年の時で、それから11年間そう思い続けました。左様、大学の時に尺八は吹いていましたが尺八を職業にしようと思ったことは無いのです。
中学2年の時、「将来つきたい職業」と言うことでクラス全員が短文を書かされましたが、担任に「興行師などとんでもない」と教員室に呼ばれて意見されました。その時は私は理由が分からなかったです。10年経ったら理解できました。興行師は当時はヤクザの仕事、そうでないまでもヤクザと付き合わないではやれない種類の仕事だったからです。
ヤクザの弁護をするようですが、エッ、もとよりそのつもりですが、興行というのは本来がヤクザの稼業であって、ヤクザが一般人を排除して入り込んだのではないのです。
今の時代とは違います。今だってオトナならヤクザの力を利用しないでは成立しないビジネス分野を列挙できますよね。途中に「浄水器」が存在するだけです。中毒が起これば問題になるのは浄水器であって、飲んだ人には何の責任も有りません。
興行は「ミズモノ」と言われますが、たしかに人為の及ばない点は他のビジネスより大きいですかね。1970年ころでも大きな会場は地方に行くと県庁所在地以外には満足に無く、大勢の客を入れて儲けようと思えば、いきおい「青天興行」となりますが、ここで雨が降れば大変です。客入りは激減、場合によれば中止です。
邦楽で興行が成立しないものだろうか? 私はこう考えて20代の後半に頻繁に演奏会を企画しました。邦楽の演奏会は赤字になることが前提です。「それが文化」でこれまで済まされてきました。それで続くのか、少し脱線してお話ししましょう。
80年代までアメリカのプロレス界は契約というモノが無いのが普通でした。いつまで仕事が出来るのかも不明、ギャラも客の入りで違うので、当日貰うまでは分かりません。日本やオーストラリアとかの遠隔地に行く場合にのみ契約書が存在しました。1970年までで私の知ってる高額ギャラと言えば、1965年にオーストラリアがブルーノ・サンマルチノに払った2週間で25000ドル、日本では67年にジン・キニスキーに1週間8000ドル、69年にドリー・ファンク・Jrへの1週間10500ドル。この辺りが世界的にも最高ランクでしょう。通常のレスラーは一週間で500ドル。1ドルは360円でした。
このギャラは、義理や酔狂でハジキ出された額ではなく、シビアに計算された結果です。客をどくらい動員できるかの予想値に基ずくものです。キニスキーの場合、ギャラに航空券、滞在費を含めて総額五百万でも、客入りの悪い夏場の目玉、2試合だが青天会場だから3万の有料動員、平均千円、だから入り三千万。しかも「手打ち」だから全部が収入。こうハジキます。
邦楽は「文化」という事で興行の常識と無関係にギャラが支払われ、受け取る側も問題意識を持ちませんでしたが、それで通らない時代が来てしまいましたよ。
3年前の京都での尺八フェスティバルで、主催の倉橋容堂さんは赤字を出さなくて済んだようです。私は心配で事前に何度も電話しましたが、会が終了した時に倉橋さんから「どうやらアカを出さないで済んだ」と聞いた時は「これで次に繋がる」と大喜びしました。
一回目の岡山は赤字400万円、前回、4年前のシドニーは赤字450万円でした。黒は2回目のボルダーですが、その為に横山勝也先生は四方八方に頼み込み、けっか日本からの参加二百人を達成出来たからです。先生の御人徳以外ではありません。
こういうことでは続かない。誰もやり手がいなくなる。
倉橋容堂の方法は、事前に了解をとって、総収入から事後にギャラを決めるというヤリ方です。かつてのアメリカンプロレスと同じです。この方法しかない。断じて無い。
ヨーロッパの尺八イベントは、日本人のように大盤振る舞いはしません。ケチケチで質素です。余計な見栄をはらない。来年のプラハも基本的にそうなるでしょう。今現在の一部の人に提示されている招聘条件から判断して、そうだと思います。「それじゃ困る」って、甘ったれなさんな。もう邦楽にも興行感覚が求められているんだよ。「文化」で金の集まる時代じゃない・・・。
中学2年の時、「将来つきたい職業」と言うことでクラス全員が短文を書かされましたが、担任に「興行師などとんでもない」と教員室に呼ばれて意見されました。その時は私は理由が分からなかったです。10年経ったら理解できました。興行師は当時はヤクザの仕事、そうでないまでもヤクザと付き合わないではやれない種類の仕事だったからです。
ヤクザの弁護をするようですが、エッ、もとよりそのつもりですが、興行というのは本来がヤクザの稼業であって、ヤクザが一般人を排除して入り込んだのではないのです。
今の時代とは違います。今だってオトナならヤクザの力を利用しないでは成立しないビジネス分野を列挙できますよね。途中に「浄水器」が存在するだけです。中毒が起これば問題になるのは浄水器であって、飲んだ人には何の責任も有りません。
興行は「ミズモノ」と言われますが、たしかに人為の及ばない点は他のビジネスより大きいですかね。1970年ころでも大きな会場は地方に行くと県庁所在地以外には満足に無く、大勢の客を入れて儲けようと思えば、いきおい「青天興行」となりますが、ここで雨が降れば大変です。客入りは激減、場合によれば中止です。
邦楽で興行が成立しないものだろうか? 私はこう考えて20代の後半に頻繁に演奏会を企画しました。邦楽の演奏会は赤字になることが前提です。「それが文化」でこれまで済まされてきました。それで続くのか、少し脱線してお話ししましょう。
80年代までアメリカのプロレス界は契約というモノが無いのが普通でした。いつまで仕事が出来るのかも不明、ギャラも客の入りで違うので、当日貰うまでは分かりません。日本やオーストラリアとかの遠隔地に行く場合にのみ契約書が存在しました。1970年までで私の知ってる高額ギャラと言えば、1965年にオーストラリアがブルーノ・サンマルチノに払った2週間で25000ドル、日本では67年にジン・キニスキーに1週間8000ドル、69年にドリー・ファンク・Jrへの1週間10500ドル。この辺りが世界的にも最高ランクでしょう。通常のレスラーは一週間で500ドル。1ドルは360円でした。
このギャラは、義理や酔狂でハジキ出された額ではなく、シビアに計算された結果です。客をどくらい動員できるかの予想値に基ずくものです。キニスキーの場合、ギャラに航空券、滞在費を含めて総額五百万でも、客入りの悪い夏場の目玉、2試合だが青天会場だから3万の有料動員、平均千円、だから入り三千万。しかも「手打ち」だから全部が収入。こうハジキます。
邦楽は「文化」という事で興行の常識と無関係にギャラが支払われ、受け取る側も問題意識を持ちませんでしたが、それで通らない時代が来てしまいましたよ。
3年前の京都での尺八フェスティバルで、主催の倉橋容堂さんは赤字を出さなくて済んだようです。私は心配で事前に何度も電話しましたが、会が終了した時に倉橋さんから「どうやらアカを出さないで済んだ」と聞いた時は「これで次に繋がる」と大喜びしました。
一回目の岡山は赤字400万円、前回、4年前のシドニーは赤字450万円でした。黒は2回目のボルダーですが、その為に横山勝也先生は四方八方に頼み込み、けっか日本からの参加二百人を達成出来たからです。先生の御人徳以外ではありません。
こういうことでは続かない。誰もやり手がいなくなる。
倉橋容堂の方法は、事前に了解をとって、総収入から事後にギャラを決めるというヤリ方です。かつてのアメリカンプロレスと同じです。この方法しかない。断じて無い。
ヨーロッパの尺八イベントは、日本人のように大盤振る舞いはしません。ケチケチで質素です。余計な見栄をはらない。来年のプラハも基本的にそうなるでしょう。今現在の一部の人に提示されている招聘条件から判断して、そうだと思います。「それじゃ困る」って、甘ったれなさんな。もう邦楽にも興行感覚が求められているんだよ。「文化」で金の集まる時代じゃない・・・。
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