破壊
- 2015/10/11
- 20:23
私は戦後の昭和25年生まれですが、少年時代には核戦争で世界の破滅が有り得ると誰もが思っていました。私は勿論ですが朝鮮戦争は記憶に有りません。
物ごころついてからの大事件としては、まず1958年の金門島事変です。中国と台湾が金門島周辺で交戦した事件で、台湾の軍事力が圧倒的だったので、ほどなく終結しましたが、核の使用が検討されていたと言われます。これは、まだ幼かったのでチンプンカンプンでしたし、周りのオトナもさして危機感は感じていなかった様です。
しかし1962年のキューバ危機の時は、今にも第三次世界大戦が起きるかも知れないとオトナも心配していました。冗談で無く、この時は核戦争の一歩手前まで行きました。後になって当時の資料を読むと、本当にこの時は世界が破滅する寸前だったことが分かります。
それからベトナム戦争が延々と続いたでしょう。これが世界大戦に発展するとは流石に誰も思いませんでしたが、核使用は本気で検討されていました。「ホーチミンルート」に核汚染地帯を作る目的だったと言います。
1979年にはベトナムがカンボジアに侵攻し、その報復に中国がベトナムに戦争をしかけたりで、30になるまでは日本の近くで絶え間なく戦争が起こっていました。それから考えると今は平和になりましたねえ・・・。
今はテロ、それも自爆テロです。私達のように海外に年に何回も出ていると、理屈の上ではテロの被害に会う事も有り得るのでしょうが、あまり心配していません。人からは、「わずかの金額の差なんだからテロに会う危険性の高い中東廻りはやめた方が良い」と忠告されますが、バカヤロウ、そのわずかの差が大切なんだろうが。一人二万違って3人なら幾らだ。2ⅹ3=?、ゲッ、6万じゃねえか、命より重いぜ。特にオレが行かない場合には・・・。
まあ良い。人はあまり言いませんが、90年初めのソ連邦崩壊は深刻でした。よく核が拡散しなかったと思います。あの当時は軍部もドサクサ紛れの金儲けをしていて、日本から現金書留で5万円くらい送金したら、本当に国際郵便小包で原爆が宅配されかねない状況でしたわ。
去年あたりでも、まだプーチンがウクライナに「核を使うぞ」と恫喝する事態に成りましたが、切迫感は昔と比べたら雲泥の差です。
今のように安全のネットが張り巡らされていると、「どうせ脅しだよ」とタカをくくっていられます。
3年前、京都での尺八フェスティバルの時ですよ。まだロシア、ウクライナは平和で、ロシア人とウクライナ人のコンビが来ていました。御両人とも片言の英語しか話せず、互いはロシア語で会話していました。
ウクライナの方は奇しくもプーチンにそっくりで、私達は「ミスター・プーチン」と呼んでいましたが、本人も別に嫌がらず、相棒のロシア人と仲良く1尺6寸管を一本ずつ購入しました。四日も顔を合わせていると情が移って、「次はヨーロッパに私達が行くからね」と約束しましたが、去年も今年もヨーロッパ尺八サマースクールには相棒のロシア人ともども姿を見せていません。
私なんぞは単純な人生観で生きていますから、仲良くなったウクライナ人とロシア人が、そろって仲良く来年のプラハには顔を見せてもらいたい。だって、まだたった3年しかたっていないのですよ。
あと3年たっても日本は切迫していないでしょう。日本には安心感が有ります。つくずく平和ですなあ。
物ごころついてからの大事件としては、まず1958年の金門島事変です。中国と台湾が金門島周辺で交戦した事件で、台湾の軍事力が圧倒的だったので、ほどなく終結しましたが、核の使用が検討されていたと言われます。これは、まだ幼かったのでチンプンカンプンでしたし、周りのオトナもさして危機感は感じていなかった様です。
しかし1962年のキューバ危機の時は、今にも第三次世界大戦が起きるかも知れないとオトナも心配していました。冗談で無く、この時は核戦争の一歩手前まで行きました。後になって当時の資料を読むと、本当にこの時は世界が破滅する寸前だったことが分かります。
それからベトナム戦争が延々と続いたでしょう。これが世界大戦に発展するとは流石に誰も思いませんでしたが、核使用は本気で検討されていました。「ホーチミンルート」に核汚染地帯を作る目的だったと言います。
1979年にはベトナムがカンボジアに侵攻し、その報復に中国がベトナムに戦争をしかけたりで、30になるまでは日本の近くで絶え間なく戦争が起こっていました。それから考えると今は平和になりましたねえ・・・。
今はテロ、それも自爆テロです。私達のように海外に年に何回も出ていると、理屈の上ではテロの被害に会う事も有り得るのでしょうが、あまり心配していません。人からは、「わずかの金額の差なんだからテロに会う危険性の高い中東廻りはやめた方が良い」と忠告されますが、バカヤロウ、そのわずかの差が大切なんだろうが。一人二万違って3人なら幾らだ。2ⅹ3=?、ゲッ、6万じゃねえか、命より重いぜ。特にオレが行かない場合には・・・。
まあ良い。人はあまり言いませんが、90年初めのソ連邦崩壊は深刻でした。よく核が拡散しなかったと思います。あの当時は軍部もドサクサ紛れの金儲けをしていて、日本から現金書留で5万円くらい送金したら、本当に国際郵便小包で原爆が宅配されかねない状況でしたわ。
去年あたりでも、まだプーチンがウクライナに「核を使うぞ」と恫喝する事態に成りましたが、切迫感は昔と比べたら雲泥の差です。
今のように安全のネットが張り巡らされていると、「どうせ脅しだよ」とタカをくくっていられます。
3年前、京都での尺八フェスティバルの時ですよ。まだロシア、ウクライナは平和で、ロシア人とウクライナ人のコンビが来ていました。御両人とも片言の英語しか話せず、互いはロシア語で会話していました。
ウクライナの方は奇しくもプーチンにそっくりで、私達は「ミスター・プーチン」と呼んでいましたが、本人も別に嫌がらず、相棒のロシア人と仲良く1尺6寸管を一本ずつ購入しました。四日も顔を合わせていると情が移って、「次はヨーロッパに私達が行くからね」と約束しましたが、去年も今年もヨーロッパ尺八サマースクールには相棒のロシア人ともども姿を見せていません。
私なんぞは単純な人生観で生きていますから、仲良くなったウクライナ人とロシア人が、そろって仲良く来年のプラハには顔を見せてもらいたい。だって、まだたった3年しかたっていないのですよ。
あと3年たっても日本は切迫していないでしょう。日本には安心感が有ります。つくずく平和ですなあ。
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