好みの巾
- 2015/10/13
- 21:17
世の中にはラーメン好きの人がいて、行列を作っている店を次々と調べて並んで食べている。私はラーメンが特別好きというのではないので、行列に並んでまで食べたくありません。ダイイチ、食べる順番を列を作って待つなんて、昔の外食券食堂みたいで嫌ですよ。新潟県人を父に持つ生粋の江戸っ子のオラとしては、沽券にかかわりますだ。
それで並んで食べているヤツに聞くと、「美味いと思う処も有り、何てことない店も有った」との事。好みに個人差が有りますからね。
私の住む小田原のラーメン屋ではブッダガヤが人気ランキングでは1位です。熊本ラーメンですが15人も入ればいっぱいの店で、驚くことに、滅多に行列なんて出来ません。妻の実家から30メートルなので、ここ30年で百回は行ってますが「待ち」は一回も有りません。それでどうしてナンバーワンの人気かと言いますと。狭い好みの「完全な囲い込み」です。
食べた人の3割が病みつきになり、3割が「マアマア喰えるけど」と感じ、残り4割が「食えたものじゃない」と言います。亡くなった香川一朝さんなんか、「大橋さんが絶賛するから食べたけどヒドカッタ。でも分からないのも悔しいから3回行ったよ。でも駄目だった。半分も食えないよ」と言ってましたし、事実食べられない人も多いのです。私の妻も若い頃に一度食べ「マズイ」と思い、近所なのに、それから一度も行かず、私と結婚して付き合いで食べているうちに好きになったと言います。私の子供は3人とも大好き。妻の兄弟たちは全員が嫌いです。
つまり好きな者は熱狂的に好きですから、人気投票となると票がバラケないのです。それで1位になるのです。
桂花が出てくるまで、ほとんどの東京人は熊本ラーメンを知りませんでした。桂花は一般向けの味(勿論美味い)ですが、ブッダガヤはもっと好みの巾を狭めているのです。
「尺八もそうしろと言うんだろう?」とおっしゃるアナタ、もう少し聞いてくださいな。好みといったところで人類を対象としている以上は、好みの巾は広いようで狭いのです。
食物は古い時代は採集が困難で、それ故に、飢えから逃れる為に身の廻りに存在する物は何でも手あたりしだいに食べました。そうして段々と食料調達が進むに従って、マズイ物には手を出さなくなるのです。
今の日本で主食は何でも選べる環境で、米以外にはせいぜい小麦まで。特殊な健康オタクでなければ、粟や稗、黍、まして高梁を主食にしている人はいませんわな。
酒だってそうでがしょうが。終戦直後じゃあるまいし、今の時代にカストリの闇焼酎を作って売れば、酒税法違反でお役人が来る前に潰れていますよ。人の嗜好は多様と言っても、昔の携行食「干し飯」を作って食べている人なんていないでしょう。選択肢の中だけで個人の好みが存在します。味のヒエラルキーの中で選択肢の中にも入らないモノの方が多いのです。
つまり範囲が狭くても支持する人も存在する範囲でなければなりません。ですから、ある程度の人に一定期間以上支持されているモノ、つまり他人の好きなモノについては、私は自分が理解できなくても、とりあえず尊重しています。
そこで尺八。尺八って楽器、言わばハードですよね。言わばソフトを表現する為の道具でしかありません。ですからソフトの多様化に合わせて姿を変えたり、多様化するのは当たり前ですよ。
ソフトは時代によって好みが変化しますので、何でも有りが最良の状態です。「フザケルナ、本道を進むことが何より大切だ」とおっしゃる方の存在もまた大切です。それも強力な主張で大いに一部の人の支持を集めます。
ラーメンと同じ。醤油、塩、ミソ、豚骨、魚貝、みんな有ってファンがいる。トコトン外れれば消えるだけの事・・・。
それで並んで食べているヤツに聞くと、「美味いと思う処も有り、何てことない店も有った」との事。好みに個人差が有りますからね。
私の住む小田原のラーメン屋ではブッダガヤが人気ランキングでは1位です。熊本ラーメンですが15人も入ればいっぱいの店で、驚くことに、滅多に行列なんて出来ません。妻の実家から30メートルなので、ここ30年で百回は行ってますが「待ち」は一回も有りません。それでどうしてナンバーワンの人気かと言いますと。狭い好みの「完全な囲い込み」です。
食べた人の3割が病みつきになり、3割が「マアマア喰えるけど」と感じ、残り4割が「食えたものじゃない」と言います。亡くなった香川一朝さんなんか、「大橋さんが絶賛するから食べたけどヒドカッタ。でも分からないのも悔しいから3回行ったよ。でも駄目だった。半分も食えないよ」と言ってましたし、事実食べられない人も多いのです。私の妻も若い頃に一度食べ「マズイ」と思い、近所なのに、それから一度も行かず、私と結婚して付き合いで食べているうちに好きになったと言います。私の子供は3人とも大好き。妻の兄弟たちは全員が嫌いです。
つまり好きな者は熱狂的に好きですから、人気投票となると票がバラケないのです。それで1位になるのです。
桂花が出てくるまで、ほとんどの東京人は熊本ラーメンを知りませんでした。桂花は一般向けの味(勿論美味い)ですが、ブッダガヤはもっと好みの巾を狭めているのです。
「尺八もそうしろと言うんだろう?」とおっしゃるアナタ、もう少し聞いてくださいな。好みといったところで人類を対象としている以上は、好みの巾は広いようで狭いのです。
食物は古い時代は採集が困難で、それ故に、飢えから逃れる為に身の廻りに存在する物は何でも手あたりしだいに食べました。そうして段々と食料調達が進むに従って、マズイ物には手を出さなくなるのです。
今の日本で主食は何でも選べる環境で、米以外にはせいぜい小麦まで。特殊な健康オタクでなければ、粟や稗、黍、まして高梁を主食にしている人はいませんわな。
酒だってそうでがしょうが。終戦直後じゃあるまいし、今の時代にカストリの闇焼酎を作って売れば、酒税法違反でお役人が来る前に潰れていますよ。人の嗜好は多様と言っても、昔の携行食「干し飯」を作って食べている人なんていないでしょう。選択肢の中だけで個人の好みが存在します。味のヒエラルキーの中で選択肢の中にも入らないモノの方が多いのです。
つまり範囲が狭くても支持する人も存在する範囲でなければなりません。ですから、ある程度の人に一定期間以上支持されているモノ、つまり他人の好きなモノについては、私は自分が理解できなくても、とりあえず尊重しています。
そこで尺八。尺八って楽器、言わばハードですよね。言わばソフトを表現する為の道具でしかありません。ですからソフトの多様化に合わせて姿を変えたり、多様化するのは当たり前ですよ。
ソフトは時代によって好みが変化しますので、何でも有りが最良の状態です。「フザケルナ、本道を進むことが何より大切だ」とおっしゃる方の存在もまた大切です。それも強力な主張で大いに一部の人の支持を集めます。
ラーメンと同じ。醤油、塩、ミソ、豚骨、魚貝、みんな有ってファンがいる。トコトン外れれば消えるだけの事・・・。
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