親の仕事
- 2015/10/15
- 21:57
前にテレビの取材が入った時、私の長男がインタビューに答えて言ってました。「憶えているかぎり家では朝から尺八の音がしていた」。マアそうでしょうよ。長男が生まれる前から尺八屋ですからね。
「それで尺八が嫌になった」。今のガキは鯛山サマの美しい音に感動しねえのか。
「でも、そのうちに和楽器も良いと思う様になりました」。
インタビュアーは俳優のデビット伊東さんでしたが、撮影の後の雑談。「息子さんが後を継ぐって嬉しいものですか?」
「本当は嫌でした。衰退傾向のハッキリしている世界ですからね」 「私には息子はいないけど、もしいたら絶対に俳優商売はさせませんよ」 こういうのってショッチュウ聞くんですよね。親は親で自分の仕事の辛さも身に沁みていますから・・・。
尺八に関して言えば、私は辛いことなんて無かったです。それどころか個人的には楽しくて楽な仕事だと思います。ただ、それは限定句がつきます。今までは。私には。尺八音楽が好きな者にとって。
酒井竹保先生がおっしゃっていました。「小さいころから父の後を継いで尺八吹きになるつもりだったかですと。とんでもない。青年期には嫌で嫌でしょうがなかったですよ。それで証券会社に勤めたりもしましたがね、そのうちにタケの音色にひかれていきました」。
ハタから見えない苦労が有るのでしょう。先生の御父上の初代竹保先生が特定郵便局の権利を入手されたのは戦後だと聞いています。いずれにしろ竹保流の家元であっても収入の柱を別に持つ意思が有ったわけです。
とても有名な尺八演奏家であって、自分の息子には尺八と別に収入の柱になる職業を持たせた人は多いです。
かく申す私だって、三人の息子が学齢に達した10年くらいの間は、完全に休んだのは冠婚葬祭の旅行を別とすれば、正月の三日間と家族旅行の時だけでした。なにせ3人の息子の学費でしょう、家のローンでしょう、母親への仕送り、生活費だって5人ですからね。今より一年で500万円余計にかかっていました。
朝は8時半から礼状書き、製作は9時から12時、2時から5時、7時半から11時。こういうスケジュールが基本的には土日無しに続くのです。家と作業場が一緒ですから、これを息子も見ているのですよ。
それでいて、「和楽器も良い」ですから、まあ良いとします。嬉しくは無いけど・・・。今は思わぬ方向から風が吹き始めましたが、こうなると「ロック音痴」の私より若い者達の方が良いでしょう。
「それで尺八が嫌になった」。今のガキは鯛山サマの美しい音に感動しねえのか。
「でも、そのうちに和楽器も良いと思う様になりました」。
インタビュアーは俳優のデビット伊東さんでしたが、撮影の後の雑談。「息子さんが後を継ぐって嬉しいものですか?」
「本当は嫌でした。衰退傾向のハッキリしている世界ですからね」 「私には息子はいないけど、もしいたら絶対に俳優商売はさせませんよ」 こういうのってショッチュウ聞くんですよね。親は親で自分の仕事の辛さも身に沁みていますから・・・。
尺八に関して言えば、私は辛いことなんて無かったです。それどころか個人的には楽しくて楽な仕事だと思います。ただ、それは限定句がつきます。今までは。私には。尺八音楽が好きな者にとって。
酒井竹保先生がおっしゃっていました。「小さいころから父の後を継いで尺八吹きになるつもりだったかですと。とんでもない。青年期には嫌で嫌でしょうがなかったですよ。それで証券会社に勤めたりもしましたがね、そのうちにタケの音色にひかれていきました」。
ハタから見えない苦労が有るのでしょう。先生の御父上の初代竹保先生が特定郵便局の権利を入手されたのは戦後だと聞いています。いずれにしろ竹保流の家元であっても収入の柱を別に持つ意思が有ったわけです。
とても有名な尺八演奏家であって、自分の息子には尺八と別に収入の柱になる職業を持たせた人は多いです。
かく申す私だって、三人の息子が学齢に達した10年くらいの間は、完全に休んだのは冠婚葬祭の旅行を別とすれば、正月の三日間と家族旅行の時だけでした。なにせ3人の息子の学費でしょう、家のローンでしょう、母親への仕送り、生活費だって5人ですからね。今より一年で500万円余計にかかっていました。
朝は8時半から礼状書き、製作は9時から12時、2時から5時、7時半から11時。こういうスケジュールが基本的には土日無しに続くのです。家と作業場が一緒ですから、これを息子も見ているのですよ。
それでいて、「和楽器も良い」ですから、まあ良いとします。嬉しくは無いけど・・・。今は思わぬ方向から風が吹き始めましたが、こうなると「ロック音痴」の私より若い者達の方が良いでしょう。
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