肉ずけ
- 2015/10/23
- 11:53
今日も新しいお客から電話が入りましたが、学生時代に尺八を吹いていて、今度リタイアしたので数十年ぶりに再開したい、そう言う御話でした。私達の年代は大学邦楽の全盛時代ですから、停年を機会に再び尺八を始める人も多いです。
それで、しばし当時の思い出話です。地方の有名な尺八家についての話しは今をおいて聞けない。ドンドン直接知っている人がいなくなります。今日の電話の方は大阪の人で、玉川社の大藪秀嶺の弟子だったので、しばし大藪先生の事を聞きました。「人名」でしかなかった過去の名人の姿がおぼろげながらイメージされていきます。
いろいろの人がいて今の尺八界が有る。それが過去に消えてしまうのは残念です。例えば初代都山。超有名な人ですが、「大きな体の人だった」、「こんな事が有った、あんな事が有った」そういう事を直接知っている人には、もう間もなく会えなくなります。聞いておきたい事は、まだ山ほど有る。
かなり日本に詳しい外国人や特定の国に通じた日本人っていますね。でも、その多くは知識であって、肉ずけされたイメージではないのです。義経と言えば、美男子で身が軽い、秀吉と言うと猿のような小男で知恵がまわる、家康、狸みたいに太っていて重厚。本当かどうかは別にして日本人であれば瞬間的に思い浮かぶ民族単位でのイメージが有ります。ところが外国人に対する事になると、ノッペリした知識になってしまいます。
日本人は教育水準が高いので、外国人から「どうしてオレの国の事なのに、そんな事まで知ってんだ」と不思議がられますわなあ。もっとも欧米と中国だけでしょうがね。単位を小さくしてサークルレベルの人数であれば、今ではあらゆる国に通じたファンがいます。
でも知識はあくまで知識。膨らみの有る人物像という点で、その国の人と比べたら貧弱なものです。生きていた人間としての血肉骨が存在していません。
そういうものも少しずつ変わるのは分かります。最近の中国映画を見ると、もうあまり伝統的なイメージにこだわりませんね。実際は違うかも知れないからと言うより、もう、そういうのから離れて表現したいのでしょう。
『三国志演義』、日本でもファンは多いですな。ですが、もう呉の孫権は青い目では描かれませんし、劉備の耳は長くない。「江東の碧眼児」、「ウサギ」というアダナはまだ多くの人が記憶していますが、そういうのは別なのでしょう。でも流石に関羽は長いアゴヒゲをはやしています。
韓国の時代劇大河ドラマでは、国家的な意図が有るのでしょうか、ものすごく古い時代の人物、たとえば朱蒙や善徳女王といった人物には、新しくイメージを作ろうとしていますね。
日本だってそうでしょうが。20年以上前、私が最後に見たNHKの大河ドラマで、秀吉が仲村トオル、家康が郷ひろみでしたよ。今は、永く日本人の武田信玄像だった、アタマがハゲていてデップリ太った信玄の画像に異議が出ていますから、中井貴一でも良いのでしょう。
歴史上の人物は良いですよ、後からでも記録を調べて人物像を復元できますもの。でも尺八家となると人物像を復元できるほどの資料が有りません。ですから、ささやかでも私が聞いている事を書き残しましょう。
「何の為」と言う方の為にではありません。
この道の前を歩いてくれた人達の事が知りたいと思うのは、きっと私だけではないと思うんですよ。
それで、しばし当時の思い出話です。地方の有名な尺八家についての話しは今をおいて聞けない。ドンドン直接知っている人がいなくなります。今日の電話の方は大阪の人で、玉川社の大藪秀嶺の弟子だったので、しばし大藪先生の事を聞きました。「人名」でしかなかった過去の名人の姿がおぼろげながらイメージされていきます。
いろいろの人がいて今の尺八界が有る。それが過去に消えてしまうのは残念です。例えば初代都山。超有名な人ですが、「大きな体の人だった」、「こんな事が有った、あんな事が有った」そういう事を直接知っている人には、もう間もなく会えなくなります。聞いておきたい事は、まだ山ほど有る。
かなり日本に詳しい外国人や特定の国に通じた日本人っていますね。でも、その多くは知識であって、肉ずけされたイメージではないのです。義経と言えば、美男子で身が軽い、秀吉と言うと猿のような小男で知恵がまわる、家康、狸みたいに太っていて重厚。本当かどうかは別にして日本人であれば瞬間的に思い浮かぶ民族単位でのイメージが有ります。ところが外国人に対する事になると、ノッペリした知識になってしまいます。
日本人は教育水準が高いので、外国人から「どうしてオレの国の事なのに、そんな事まで知ってんだ」と不思議がられますわなあ。もっとも欧米と中国だけでしょうがね。単位を小さくしてサークルレベルの人数であれば、今ではあらゆる国に通じたファンがいます。
でも知識はあくまで知識。膨らみの有る人物像という点で、その国の人と比べたら貧弱なものです。生きていた人間としての血肉骨が存在していません。
そういうものも少しずつ変わるのは分かります。最近の中国映画を見ると、もうあまり伝統的なイメージにこだわりませんね。実際は違うかも知れないからと言うより、もう、そういうのから離れて表現したいのでしょう。
『三国志演義』、日本でもファンは多いですな。ですが、もう呉の孫権は青い目では描かれませんし、劉備の耳は長くない。「江東の碧眼児」、「ウサギ」というアダナはまだ多くの人が記憶していますが、そういうのは別なのでしょう。でも流石に関羽は長いアゴヒゲをはやしています。
韓国の時代劇大河ドラマでは、国家的な意図が有るのでしょうか、ものすごく古い時代の人物、たとえば朱蒙や善徳女王といった人物には、新しくイメージを作ろうとしていますね。
日本だってそうでしょうが。20年以上前、私が最後に見たNHKの大河ドラマで、秀吉が仲村トオル、家康が郷ひろみでしたよ。今は、永く日本人の武田信玄像だった、アタマがハゲていてデップリ太った信玄の画像に異議が出ていますから、中井貴一でも良いのでしょう。
歴史上の人物は良いですよ、後からでも記録を調べて人物像を復元できますもの。でも尺八家となると人物像を復元できるほどの資料が有りません。ですから、ささやかでも私が聞いている事を書き残しましょう。
「何の為」と言う方の為にではありません。
この道の前を歩いてくれた人達の事が知りたいと思うのは、きっと私だけではないと思うんですよ。
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