うっかりミス
- 2015/10/25
- 20:34
「弘法も筆の誤り」と言いますが、人間いくつになっても、ついウッカリというのからは解放されませんなあ。勿論ウッカリやったミスを居直るつもりはありません。ですが嵯峨天皇、橘逸勢とならんで平安初期に「三筆」とうたわれた弘法大師空海ですらミスをするというのですから我々凡人がやったって不思議はないでしょうよ。
もう少し降だった時代に「三蹟」と言われた能書家達。藤原佐理、藤原行成、小野道風ですが、私は小学生の頃、小野道風を毎日のように見ていました。その頃の私では聖徳太子は最低の千円にしたってメッタには見られませんや。その時代の子供は「家遊び」と言えば将棋、トランプ、そして花札です。花札で11月の「雨」は道風さんですが、もともとの11月札は斧定九朗だったんですがね、悪行の報いで鉄砲で撃たれて死んでしまいます。撃ったほうはイノシシと間違えたそうですが、ウッカリでも相手が悪人でも殺人は殺人ですからな・・・。こう言うのはサスガにマズイでしょう。
さらに時代が下って江戸初期、「寛永の三筆」。近衛信尹、松花堂昭乗、本阿弥光悦ですが、この光悦の鶴下絵三十六歌仙和歌巻。重要文化財になってますが、ここで光悦はウッカリミスを三か所やってます。字を書く俵屋宗達の下絵があまりに見事だったので心の平静が保てなかったからだと言われています。
かようにウッカリミスが一番多いのは心が騒いでいる時でしょう。尺八の製作でも演奏でもミスをして、シマッタア~と思うと冷静さを失い次々と失敗を重ねます。キャリアが長くなると失敗の回数は減りますが、それよりミスを上手に処理できるようになるもんです。
ほとんど失敗の無い青木鈴慕御大でも「アレッ」と思うミスは有ります。ただ青木先生はアドリブも多いですから、失敗もそういうものかという風に処理されてしまいます。私なんかに分かるレベルのことはやりません。「それじゃ、どうしてオマエは分かるんだ?」ですと、当然の疑問です。ご自分でおしゃるからですよ。「分かった?あの曲で2か所間違えたのを」。
言わなければ私には分かるわけないのに・・・。
私の大学時代ですが、「邪馬台国は無かった」という論文を出した人がいました。宋本の『三国志』では邪馬臺国でなく邪馬壹国となっており、臺と壹は全く違う字であり混同されることは無い。そういう主張でした。
学者からは相手にされませんでした。「どう思います?」 聞くと学者さんの答えは「混同されることは無いと言ったってアナタ、ウッカリミスは有るでしょうが」でした。
これはウッカリなのでしょう。同じ宋本で『後漢書』の方は邪馬臺国となっていますもの。「混同は有り得ない」と言っても、どちらかが、タブン『三国志』の方がウッカリミスをしたのでしょう。
管尻の開孔がバカデカイ尺八って有りますな。今は意図して作る事が多いのですが、かつてはウッカリで全長を長く切断したのを音程調整したためです。その事で音色が明るくなることが発見出来なかったのは、明るくならない尺八も有るからです。木管楽器にはママ有る現象です。クラリネットには管尻にアサガオが有りますがフルートには無いですよね。
アサガオだって始まりはウッカリミスから始まったのだと思いますよ。臺と壹を混同しても、せいぜい豆で、定説にならない異説を一つ出したくらいでしょうが、孔を大きくしてしまったミスはアサガオと金管楽器の魅力を生みました。
もう少し降だった時代に「三蹟」と言われた能書家達。藤原佐理、藤原行成、小野道風ですが、私は小学生の頃、小野道風を毎日のように見ていました。その頃の私では聖徳太子は最低の千円にしたってメッタには見られませんや。その時代の子供は「家遊び」と言えば将棋、トランプ、そして花札です。花札で11月の「雨」は道風さんですが、もともとの11月札は斧定九朗だったんですがね、悪行の報いで鉄砲で撃たれて死んでしまいます。撃ったほうはイノシシと間違えたそうですが、ウッカリでも相手が悪人でも殺人は殺人ですからな・・・。こう言うのはサスガにマズイでしょう。
さらに時代が下って江戸初期、「寛永の三筆」。近衛信尹、松花堂昭乗、本阿弥光悦ですが、この光悦の鶴下絵三十六歌仙和歌巻。重要文化財になってますが、ここで光悦はウッカリミスを三か所やってます。字を書く俵屋宗達の下絵があまりに見事だったので心の平静が保てなかったからだと言われています。
かようにウッカリミスが一番多いのは心が騒いでいる時でしょう。尺八の製作でも演奏でもミスをして、シマッタア~と思うと冷静さを失い次々と失敗を重ねます。キャリアが長くなると失敗の回数は減りますが、それよりミスを上手に処理できるようになるもんです。
ほとんど失敗の無い青木鈴慕御大でも「アレッ」と思うミスは有ります。ただ青木先生はアドリブも多いですから、失敗もそういうものかという風に処理されてしまいます。私なんかに分かるレベルのことはやりません。「それじゃ、どうしてオマエは分かるんだ?」ですと、当然の疑問です。ご自分でおしゃるからですよ。「分かった?あの曲で2か所間違えたのを」。
言わなければ私には分かるわけないのに・・・。
私の大学時代ですが、「邪馬台国は無かった」という論文を出した人がいました。宋本の『三国志』では邪馬臺国でなく邪馬壹国となっており、臺と壹は全く違う字であり混同されることは無い。そういう主張でした。
学者からは相手にされませんでした。「どう思います?」 聞くと学者さんの答えは「混同されることは無いと言ったってアナタ、ウッカリミスは有るでしょうが」でした。
これはウッカリなのでしょう。同じ宋本で『後漢書』の方は邪馬臺国となっていますもの。「混同は有り得ない」と言っても、どちらかが、タブン『三国志』の方がウッカリミスをしたのでしょう。
管尻の開孔がバカデカイ尺八って有りますな。今は意図して作る事が多いのですが、かつてはウッカリで全長を長く切断したのを音程調整したためです。その事で音色が明るくなることが発見出来なかったのは、明るくならない尺八も有るからです。木管楽器にはママ有る現象です。クラリネットには管尻にアサガオが有りますがフルートには無いですよね。
アサガオだって始まりはウッカリミスから始まったのだと思いますよ。臺と壹を混同しても、せいぜい豆で、定説にならない異説を一つ出したくらいでしょうが、孔を大きくしてしまったミスはアサガオと金管楽器の魅力を生みました。
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