笛遊び
- 2015/10/26
- 21:08
現存する笛として最も古いモノは4万年前にネアンデルタール人が吹いていた骨笛でしょう。中部ヨーロッパで見つかりアナグマの骨製だということです。
クロマニヨン人、つまり私達の祖先も,その頃に骨で笛を作っていてドイツで発見されています。五孔の笛ですから何とも泣かせますな。
ネアンデルタール人と我々の祖先は数万年にわたって共存していました。二万数千年前に絶滅したクロマニヨン人と混血が有ったという学説が極く最近になって発表されましたが、前は全く別の種の人間で、婚姻は有り得ないし、子供が出来ることも無い。そう言われていました。しばらく論争が通きそうです。
日本でも相当古くから笛が存在していたのは確かでしょうが、いかんせん高温多湿の風土ですから、木や笹竹など植物性では実物が残っていません。マンモスやナウマンゾウの骨で笛は作れるでしょうが、寡聞にして、そういうモノが見つかったとも聞いていません。
縄文時代になると、かなり早い時期から石笛や土笛が出てきます。ですから、作るのがより簡単な木の枝や笹竹で作らなかったはずがないでしょう。残ってはいませんが・・・。
誰でも考えることですが、最初の楽器は打楽器なのでしょう。その次は笛、繊維を兎にも角にも造りださなければならない弦楽器はダイブ後で、おそらく弓の発明と同時でしょう。
子供の時に、竹で笛を作って遊びましたが、すぐ飽きてしまいました。音程が合わないので曲にならないからです。笛遊びの主流は口笛でした。
それをヒトヒネリしたモノに草笛が有ります。
40年くらい前まで、長野県の小諸城址に坊さんがいて日がな一日、草笛を吹いて暮らしていました。憶えている人も多いと思います。口の悪い連中からは「乞食坊主」と言われていましたが、身なりも質素ではあっても汚くはないし、観光客に金銭を恵んでもらうワケでもないし、どうやって生活しているのか不思議でした。でも観光客が弁当などを差し入れれば別に辞退もせず食べていました。
哀愁感のある寂びた草笛の音色で、「椰子の実」や「惜別の歌」といった藤村作詞の歌をはじめ「浜辺の歌」とか「荒城の月」なんかを吹いていました。藤村の『小諸なる古城のほとり』に出てくる「佐久の草笛」ってこれですかね。
私も尺八を吹いているので、言わば同好の気安さで、草笛を教えてもらいましたとも。その辺の葉っぱを千切って指で刻みをいれ、口に含み口笛を吹く要領でやるのです。
その坊さんは、それから間もなく亡くなりましたが、どういう経緯が有って、そんな事をしているのか、どうやって生活しているのか聞けば良かった。その時は、聞いたら失礼だと思ったんですよ。聞けば、意外にあっけらかんと「笛遊びですよ」と言ったかも知れません。
その頃の尺八界って「シャレですよ」とか「遊びですよ」とか気楽に言えない雰囲気が有りましたよね。
クロマニヨン人、つまり私達の祖先も,その頃に骨で笛を作っていてドイツで発見されています。五孔の笛ですから何とも泣かせますな。
ネアンデルタール人と我々の祖先は数万年にわたって共存していました。二万数千年前に絶滅したクロマニヨン人と混血が有ったという学説が極く最近になって発表されましたが、前は全く別の種の人間で、婚姻は有り得ないし、子供が出来ることも無い。そう言われていました。しばらく論争が通きそうです。
日本でも相当古くから笛が存在していたのは確かでしょうが、いかんせん高温多湿の風土ですから、木や笹竹など植物性では実物が残っていません。マンモスやナウマンゾウの骨で笛は作れるでしょうが、寡聞にして、そういうモノが見つかったとも聞いていません。
縄文時代になると、かなり早い時期から石笛や土笛が出てきます。ですから、作るのがより簡単な木の枝や笹竹で作らなかったはずがないでしょう。残ってはいませんが・・・。
誰でも考えることですが、最初の楽器は打楽器なのでしょう。その次は笛、繊維を兎にも角にも造りださなければならない弦楽器はダイブ後で、おそらく弓の発明と同時でしょう。
子供の時に、竹で笛を作って遊びましたが、すぐ飽きてしまいました。音程が合わないので曲にならないからです。笛遊びの主流は口笛でした。
それをヒトヒネリしたモノに草笛が有ります。
40年くらい前まで、長野県の小諸城址に坊さんがいて日がな一日、草笛を吹いて暮らしていました。憶えている人も多いと思います。口の悪い連中からは「乞食坊主」と言われていましたが、身なりも質素ではあっても汚くはないし、観光客に金銭を恵んでもらうワケでもないし、どうやって生活しているのか不思議でした。でも観光客が弁当などを差し入れれば別に辞退もせず食べていました。
哀愁感のある寂びた草笛の音色で、「椰子の実」や「惜別の歌」といった藤村作詞の歌をはじめ「浜辺の歌」とか「荒城の月」なんかを吹いていました。藤村の『小諸なる古城のほとり』に出てくる「佐久の草笛」ってこれですかね。
私も尺八を吹いているので、言わば同好の気安さで、草笛を教えてもらいましたとも。その辺の葉っぱを千切って指で刻みをいれ、口に含み口笛を吹く要領でやるのです。
その坊さんは、それから間もなく亡くなりましたが、どういう経緯が有って、そんな事をしているのか、どうやって生活しているのか聞けば良かった。その時は、聞いたら失礼だと思ったんですよ。聞けば、意外にあっけらかんと「笛遊びですよ」と言ったかも知れません。
その頃の尺八界って「シャレですよ」とか「遊びですよ」とか気楽に言えない雰囲気が有りましたよね。
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