袖すりあうも 其九(林英哲さん)
- 2015/11/03
- 21:20
同じ邦楽界にいて、しかも住んでいた場所が近くで、それでも会わない人っているんですよ。私にとって林英哲さんがそうです。一回しかお会いしたことが無いから、この「袖すりあうも」に登場していただきます。
1982年ですから、もうズイブン前になってしまいました。友人の小池哲二の仕事でライリー・リーさんが日本に来て、しばらく滞在しました。ある日、時間が空いたので事務所にしていたホテル(オークラですぞ、オークラ)から出て飲みに行こうと相談が纏まり、小池さん、琵琶の関川(現・鶴祐)さん、リーさん、私の4人で外出しましたが、リーさんが「せっかくだからエイテツも呼ぼうよ」と言い出し、ホテルで待ち合わせました。(しつこいようですが、オークラでっせ、オークラ)。私とは関係無いですが、1週間以上も広い部屋を借りていたので支払いも大変だったでしょう。もっとも読売新聞社が払ってくれたんですがね。
小池さんも関川さんも英哲さんとは旧知の中で、初対面は私だけでした。
英哲さんが知っている宇崎竜童のやっていた洋風居酒屋へ行きましたが、その時は英哲さんは独立した直後で、まだ世間的には無名でした。(まだしもオレの方が名前が売れてたんじゃねえのか)
その時の私の印象。小柄でオトナシイ方、自己主張は私以上にしないし、これで和太鼓のプロとして生活出来るんだろうか?昭和40年代の初めに旗揚げして1年もたなかった日本初のプロ太鼓集団「王将太鼓」の二の舞になるんじゃないだろうな。そういう感じでしたな。
その頃は、和太鼓は今みたいに盛んでは無く、それで生活するというのに実感が持てませんでした。英哲さんがそれまで属していた鬼太鼓座にしても基盤は実演ではなくスポンサー収入です。
でも鬼太鼓座にいても田耕さんがデタラメをやっていて、そこを離れる事情は私も聞いて知っていました。同時に出た人達が結成したのが鼓童ですが、英哲さんは独自の道を歩きました。
私が驚いたのは、飲んでホテルに帰った後、皆が口を揃えて「彼なら実力が有るんだから大丈夫」、「独立して良かった」、「これで安心」と手放しで評価していた事です。初対面の私としては、そういうものか、でした。
その皆の予想が正しかったのは言うまでも有りません。その後、縁うすく私はお会いしていません。英哲さんはしばらく小田原に住んでいましたが、行こう行こうと思っていて、ついに機会が有りませんでした。
和太鼓はアマチュアの大会が今や東京ドームです。ここ30年では最も人口を増やした成功した和楽器と言って良いでしょう。日本だけでなくアメリカでも盛んですし、リーさんも今ではオーストラリアで尺八以上に活動しています。
太鼓が今日の隆盛をむかえたのは、英哲さんや鼓童の活躍は当然ですが、学校の部活、町興し運動、カルチャーに採りあげられた事も大きいでしょう。その為には、演奏姿の格好良さが必須です。
尺八が永く若い人の足を遠ざけてきた「爺臭さ」、「格好悪さ」、これが何と今の若い人はそう思わない。むしろ格好良いと感じる時代になっています。(分かってますね、ジイサマが背中丸めてプォ~が、じゃねえですからね)
これから和太鼓に続くのは尺八です。日本に何千有るか分からないアマチュアバンドが、味付け、他のバンドとの差別化、単純に良いから、理由はそれぞれでもメインまたはサブ楽器に尺八を採用する時代が来ました。
どうだ、和太鼓は尺八みたいに簡単に入れないだろう・・・。
※お知らせ
関西展示会が6日和歌山、7日京都、8日大阪と有ります。詳細は10月21日のブログを読んでください。
1982年ですから、もうズイブン前になってしまいました。友人の小池哲二の仕事でライリー・リーさんが日本に来て、しばらく滞在しました。ある日、時間が空いたので事務所にしていたホテル(オークラですぞ、オークラ)から出て飲みに行こうと相談が纏まり、小池さん、琵琶の関川(現・鶴祐)さん、リーさん、私の4人で外出しましたが、リーさんが「せっかくだからエイテツも呼ぼうよ」と言い出し、ホテルで待ち合わせました。(しつこいようですが、オークラでっせ、オークラ)。私とは関係無いですが、1週間以上も広い部屋を借りていたので支払いも大変だったでしょう。もっとも読売新聞社が払ってくれたんですがね。
小池さんも関川さんも英哲さんとは旧知の中で、初対面は私だけでした。
英哲さんが知っている宇崎竜童のやっていた洋風居酒屋へ行きましたが、その時は英哲さんは独立した直後で、まだ世間的には無名でした。(まだしもオレの方が名前が売れてたんじゃねえのか)
その時の私の印象。小柄でオトナシイ方、自己主張は私以上にしないし、これで和太鼓のプロとして生活出来るんだろうか?昭和40年代の初めに旗揚げして1年もたなかった日本初のプロ太鼓集団「王将太鼓」の二の舞になるんじゃないだろうな。そういう感じでしたな。
その頃は、和太鼓は今みたいに盛んでは無く、それで生活するというのに実感が持てませんでした。英哲さんがそれまで属していた鬼太鼓座にしても基盤は実演ではなくスポンサー収入です。
でも鬼太鼓座にいても田耕さんがデタラメをやっていて、そこを離れる事情は私も聞いて知っていました。同時に出た人達が結成したのが鼓童ですが、英哲さんは独自の道を歩きました。
私が驚いたのは、飲んでホテルに帰った後、皆が口を揃えて「彼なら実力が有るんだから大丈夫」、「独立して良かった」、「これで安心」と手放しで評価していた事です。初対面の私としては、そういうものか、でした。
その皆の予想が正しかったのは言うまでも有りません。その後、縁うすく私はお会いしていません。英哲さんはしばらく小田原に住んでいましたが、行こう行こうと思っていて、ついに機会が有りませんでした。
和太鼓はアマチュアの大会が今や東京ドームです。ここ30年では最も人口を増やした成功した和楽器と言って良いでしょう。日本だけでなくアメリカでも盛んですし、リーさんも今ではオーストラリアで尺八以上に活動しています。
太鼓が今日の隆盛をむかえたのは、英哲さんや鼓童の活躍は当然ですが、学校の部活、町興し運動、カルチャーに採りあげられた事も大きいでしょう。その為には、演奏姿の格好良さが必須です。
尺八が永く若い人の足を遠ざけてきた「爺臭さ」、「格好悪さ」、これが何と今の若い人はそう思わない。むしろ格好良いと感じる時代になっています。(分かってますね、ジイサマが背中丸めてプォ~が、じゃねえですからね)
これから和太鼓に続くのは尺八です。日本に何千有るか分からないアマチュアバンドが、味付け、他のバンドとの差別化、単純に良いから、理由はそれぞれでもメインまたはサブ楽器に尺八を採用する時代が来ました。
どうだ、和太鼓は尺八みたいに簡単に入れないだろう・・・。
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