世の中には利口な人がいるもんですな。誰も読まないではなく読めない、しかも一冊6万円。故に誰も買わない。そういう本を出版して国会図書館に百数十部だか送り、定価の半額と決まっている代金を受け取る。凄い。誰も考えつかなかった。理論的には誰でも出来て、しかも取りっパグレが無い。カ、カンゼン犯罪だ。いや、どこを押しても犯罪ではない。よく考えついたものです。
オーダーのない品を一方的に送り付けて買ってもらう。信じられないでしょうが、かつての尺八界で横行とまでは言えないまでも、そこそこ行われていた商売のやり方です。
ある日、注文もしていない尺八が届く。アレッ、変だなと思い送り主を見る。どういうこと?そこで思いつく。「ははあ、そういえば何か月か前に製管師の誰々さんに会ったな。その時に何か言ったかしら」。
そこで中を見ると手紙が入っていた。「先だってお会いした時、機会が有ったら私の作った尺八を見たいとおっしゃったので、お送りしました」
これで売れた時代が有ったのです。私も間違えて送った尺八を恐縮して謝ったところ、「行先が決まっていないのだったら買いますが」と言われたことが有りますし、親しくもない製管師から「いくらでも良いので買ってください」と一方的に送られて買った経験も有ります。つい最近でも私の周りにいますけど・・・。
どうして買ったかって。いくらでも売れた時代でしたから。それに安くて品質も良かったからです。
尺八が売れていた時代は、買う方が現役世代であったこともモチロン、何よりの理由は、それまで持っていた尺八の品質たるや楽器とは言えないシロモノでしたからです。昭和30年代までの40年間に大量の尺八吹きが生まれましたが、その方達が「買い替え需要」の主体で、しかも世はインフレ、現役、だから売れたのですよ。
今の時代だったら、罵倒された上で全品返品。間違いない。ただ私の周りの人、窮状を訴えられた上に何本を送られてきて気の毒だから、いらないけど一本買ったそうです。食堂を経営していてお金に不自由していないとは言え、優しいですね。
昔ですけどね。とは言っても私が憶えている程度の昔です。私の周りに何人もいましたね、師匠から自分の知らない宛名で手紙が来た。そういう名前になった、いや、されたわけです。モチロン免状料は只なわけネエでしょうが。
こういう事が起こらない程度には都山や上田は「進歩的流派」でしたが、それでも現代の時代に実態が追い付いていません。
それにしても、かつてはこういう時代が有った。私は良い時代であったとも思います。二度と来ては欲しくないけど。
お知らせ明日から関西展示会です。詳細は10月21日のブログを見てください。
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