蘭童曲
- 2015/11/14
- 16:45
福田蘭童の曲、甘く哀愁感ただよう曲達です。これは長く忘れられていた曲でした。昭和51年春の横山勝也リサイタルで出された時、概ね評価は二つに分かれました。
私は、美しくて尺八の特徴を良く理解していると思い、それから結婚式などで頼まれると「月草の夢」、「桔梗幻想曲」、「月光弄笛」などを吹きました。2,3分で終わり、初めて尺八を聴く人にも好評でした。それまで結婚式などで尺八を依頼されると吹く曲に困っていました。「春の海」なら一番良いのでしょうが、箏が必要です。ちなみに私も「春の海」を結婚式で吹いたのは一回だけです。藤田都志先生直々の御指名でしたので吹かせていただきました。
藤田先生の相方は宮田耕八朗が多いのですが、かつては青木鈴慕、山本邦山、横山勝也といった人達とも演奏していました。ですが私との「春の海」が一番出来が良かったようです。その何よりの証拠に、演奏中にもかかわらず「イヨー日本一」と声がかかりました。日本一ですから、これ以上は原理的に無いはずです。
すこし脱線しましたが、ようするに私個人の見解としては、結婚式などには「蘭童曲」に勝るものは無いということです。
この曲を評価しない人の言い分も、それはそれで分かります。退嬰的、大正浪漫みたい、短すぎて演奏会向きではない、時代遅れの演歌を聞いてるみたい。
まあ、これは好みで、どちらが正しいということでは無いですから、ようは嫌いな人は吹かなければ良い。ただそれだけの事です。
福田蘭童の弟子の横山勝也によって復活した「蘭童曲」ですが、今では横山門下だけでなく、かなり広い範囲で吹かれています。竹心会に続いてレパートリー化したのは米谷会だと思いますが、もうボーダレスの時代ですから、流派社中と関係なく国の内外で吹かれています。
この「蘭童曲」が復活したのと同じパターンで、「新曲」と呼ばれるものの中から再び脚光を浴びる曲が出てこないとも限りません。
今の若い人は、かえって私達の世代より抵抗が無いみたいです。私達の世代は、戦前のものを「古い」と感じましたが、江戸時代のものになると「古い」という感覚とは少し違います。少し飛躍しますが、「古今集」とか「新古今集」が古典であっても、「古い」と表現されないような感じですかね。
もう「新曲」という名の古い曲も現代の若い層には新鮮さを感じさせるかも・・・。
私は、美しくて尺八の特徴を良く理解していると思い、それから結婚式などで頼まれると「月草の夢」、「桔梗幻想曲」、「月光弄笛」などを吹きました。2,3分で終わり、初めて尺八を聴く人にも好評でした。それまで結婚式などで尺八を依頼されると吹く曲に困っていました。「春の海」なら一番良いのでしょうが、箏が必要です。ちなみに私も「春の海」を結婚式で吹いたのは一回だけです。藤田都志先生直々の御指名でしたので吹かせていただきました。
藤田先生の相方は宮田耕八朗が多いのですが、かつては青木鈴慕、山本邦山、横山勝也といった人達とも演奏していました。ですが私との「春の海」が一番出来が良かったようです。その何よりの証拠に、演奏中にもかかわらず「イヨー日本一」と声がかかりました。日本一ですから、これ以上は原理的に無いはずです。
すこし脱線しましたが、ようするに私個人の見解としては、結婚式などには「蘭童曲」に勝るものは無いということです。
この曲を評価しない人の言い分も、それはそれで分かります。退嬰的、大正浪漫みたい、短すぎて演奏会向きではない、時代遅れの演歌を聞いてるみたい。
まあ、これは好みで、どちらが正しいということでは無いですから、ようは嫌いな人は吹かなければ良い。ただそれだけの事です。
福田蘭童の弟子の横山勝也によって復活した「蘭童曲」ですが、今では横山門下だけでなく、かなり広い範囲で吹かれています。竹心会に続いてレパートリー化したのは米谷会だと思いますが、もうボーダレスの時代ですから、流派社中と関係なく国の内外で吹かれています。
この「蘭童曲」が復活したのと同じパターンで、「新曲」と呼ばれるものの中から再び脚光を浴びる曲が出てこないとも限りません。
今の若い人は、かえって私達の世代より抵抗が無いみたいです。私達の世代は、戦前のものを「古い」と感じましたが、江戸時代のものになると「古い」という感覚とは少し違います。少し飛躍しますが、「古今集」とか「新古今集」が古典であっても、「古い」と表現されないような感じですかね。
もう「新曲」という名の古い曲も現代の若い層には新鮮さを感じさせるかも・・・。
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