ベトナムから帰ってきました
- 2015/11/20
- 13:16
昨日の夜ベトナムから戻りました。今回は中部のダナンを中心に回りましたが、流石に経済発展の著しい地域だけに、何処でも建築ラッシュです。驚くのは物乞いを見ないことです。経済が上昇していて、なお未発達なので未だスラムが形成される前の段階なのでしょう。
いずれにしても「ドイモイ政策」で、ベトナムは統一後のドン底の段階を過ぎたようです。共産主義の経済政策が非現実的な夢物語であることは1960年代の後半には周知の事になっていました。私の大学時代にはサミュエルソンやハンセンの「新古典派総合」が経済学の主流で、「マルクス主義経済学」はすでに経済学とは認識されていませんでした。論争は同じ「マルクス主義経済学者」との間でのみなされ、けっして近代経済学者との論争の場には出てきませんでした。ですから「共産主義は正しい」と信じていたのはサヨクの学者、文化人と、その人達に洗脳されていた学生に限られました。その学生だった人の多くは今では右になっています。洗脳されやすい人達ですもの・・・。
よく安酒場でドカタにからかわれていましたよ。「アンちゃん、さっきから聞いてると共産主義がエラク良いみたいだけんどよ、それじゃ何でアッチ(共産圏)からは人が逃げてくるのにコッチからは誰もアッチに逃げねえんだ?」
これで後はナニを言っても勝負有りでしたね。農民は知りませんが、ドカタ、工員、彼等こそ「共産主義社会建設の主体」のはずが、私の知る限り共産主義者が大嫌いでしたね。
中国、ロシア、ベトナムなど昔の社会主義国はもう社会主義みたいじゃないですが、社会主義の長所まで捨てたわけではないです。日本や西欧諸国は見ようによっては社会主義国みたいですが、資本主義の長所を放棄していないのと、まあ似ていますかね。要するに現実に合わせて変わる。教条では駄目。
近代経済学だって、私らの時代のは古くなったんですかね。1995年でしたか、ロバート・ルーカスがノーベル経済学賞を受賞して、私は時代の移り変わりを痛感しました。でも「古典派経済学」だって、昔のホントウの古典とは違いマッセ。その後の主流だった経済学に学び、取り入れている要素も多いです。
私、当時の感覚で「右翼」と言われた私ですが、「共産主義の長所を言え」と言われれば15分くらいなら話せますよ。今の自由主義だって共産主義の要素を取り入れなかったならば、文字通り「弱肉強食」が横行して世は闇です。そうなれば「アカ嫌い」のドカタや工員も立ち上がり、本当に共産革命が起きていましたぜ。
さてさて、資本主義、共産主義を尺八ですから古典とか現代曲とか自由に言葉を入れ替えてみますかね。
もう古典は今の人達には「心おどる音楽」ではないですね。では現代曲は?そうであればもっとファンが増えています。ようするに「何でもオーケー」でやるしかないないでしょう。支持を受けないものは消えていく。もうイヤオウ無くそうなってます。
どんなに人気が無いモノでも、支持する人がいるかぎり少数でも残りますし、「本当に大切なもの」は、残ったモノの中に構成要素として残ります。これは趣味の世界のアリガタサです。
いずれにしても「ドイモイ政策」で、ベトナムは統一後のドン底の段階を過ぎたようです。共産主義の経済政策が非現実的な夢物語であることは1960年代の後半には周知の事になっていました。私の大学時代にはサミュエルソンやハンセンの「新古典派総合」が経済学の主流で、「マルクス主義経済学」はすでに経済学とは認識されていませんでした。論争は同じ「マルクス主義経済学者」との間でのみなされ、けっして近代経済学者との論争の場には出てきませんでした。ですから「共産主義は正しい」と信じていたのはサヨクの学者、文化人と、その人達に洗脳されていた学生に限られました。その学生だった人の多くは今では右になっています。洗脳されやすい人達ですもの・・・。
よく安酒場でドカタにからかわれていましたよ。「アンちゃん、さっきから聞いてると共産主義がエラク良いみたいだけんどよ、それじゃ何でアッチ(共産圏)からは人が逃げてくるのにコッチからは誰もアッチに逃げねえんだ?」
これで後はナニを言っても勝負有りでしたね。農民は知りませんが、ドカタ、工員、彼等こそ「共産主義社会建設の主体」のはずが、私の知る限り共産主義者が大嫌いでしたね。
中国、ロシア、ベトナムなど昔の社会主義国はもう社会主義みたいじゃないですが、社会主義の長所まで捨てたわけではないです。日本や西欧諸国は見ようによっては社会主義国みたいですが、資本主義の長所を放棄していないのと、まあ似ていますかね。要するに現実に合わせて変わる。教条では駄目。
近代経済学だって、私らの時代のは古くなったんですかね。1995年でしたか、ロバート・ルーカスがノーベル経済学賞を受賞して、私は時代の移り変わりを痛感しました。でも「古典派経済学」だって、昔のホントウの古典とは違いマッセ。その後の主流だった経済学に学び、取り入れている要素も多いです。
私、当時の感覚で「右翼」と言われた私ですが、「共産主義の長所を言え」と言われれば15分くらいなら話せますよ。今の自由主義だって共産主義の要素を取り入れなかったならば、文字通り「弱肉強食」が横行して世は闇です。そうなれば「アカ嫌い」のドカタや工員も立ち上がり、本当に共産革命が起きていましたぜ。
さてさて、資本主義、共産主義を尺八ですから古典とか現代曲とか自由に言葉を入れ替えてみますかね。
もう古典は今の人達には「心おどる音楽」ではないですね。では現代曲は?そうであればもっとファンが増えています。ようするに「何でもオーケー」でやるしかないないでしょう。支持を受けないものは消えていく。もうイヤオウ無くそうなってます。
どんなに人気が無いモノでも、支持する人がいるかぎり少数でも残りますし、「本当に大切なもの」は、残ったモノの中に構成要素として残ります。これは趣味の世界のアリガタサです。
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