雑多の素晴らしさ
- 2015/11/20
- 23:54
昔、東京でヤキトリと言えば豚の臓物を串に刺して焼いたものを意味していました。今は鳥を焼いたものも有りますが、ゴッチャです。臓物焼きは明治時代から下層肉体労働者の食べ物として存在していましたが、普通の人には気持ち悪がられていました。戦後の食糧難の時代に人々の間に広まりましたが、その美味が浸透していた私の若い頃で、まだ女性で口にする人は稀でしたね。
これらは戦後間もなくの日本にふさわしく、ヤキトリや朝鮮焼肉など材料の呼び名すら良い加減です。タン、ハツ、レバーそしてロースなんかは英語、シロ、コブクロ、ナンコツなどは日本語、カルビは朝鮮語、中には一応の語源らしきものは有りますが、出所不明のミノとかガツとか有ります。ミノは簑笠とか日本古語ミゲからとか説は有りますね。万葉集に「わがミゲはミ塩のはやし」とか出てきますから、まんざらヨタではないのでしょう。
こういう出所ゴッチャの言葉が特に区別も無く使われているのは尺八も一緒ですね。ダイタイからして尺八の専門用語でも流によっても社中単位でも違う場合すら有ります。一つだけ、「ユリ」って何ですか?答えで貴方の流が分かります。
古くから使われていたであろう尺八の吹奏用語に新しく作られた言葉、戦後には洋楽の用語が入りました。こういった言葉の混乱には不快感をしめす人がいますが、私は歓迎です。メチャクチャに見えて時間とともに定着して行く言葉も有れば、いつの間にか使われなくなる言葉も有ります。日本語に限らず豊富な表現を持つ言語の共通項だと思います。
昨日までベトナムにいてニョクマムをサンザン食べてきました。タイのナンプラーや日本のショッツルと同じく魚醬ですが、ベトナム料理には欠かせませんね。この魚醬がケチャップ(トマトケチャップとかのケチャップですよ)の語源だと言います。ですからチョット上等の英語辞典には最低3種類のケチャップの表記が出ています。つまり私の学生時代において、なおスペルの定着をみないほど新しい時代に入り込んだ言葉だからです。
今ではほとんどの尺八家にピッチ=音程で通じますが、私の若い頃には「ピッチを上げて」とかの混同で速度だと思う人がいましたし、A管Ⅾ管とかの通用度も低かったのです。でも無理な日本語、たとえば黄鏡管、一越管などは実情に合っていません。かろうじて通じはしますが、明らかに用法として間違っています。
和楽器の中で尺八ほど種々雑多な音楽用語が使われている世界は他に無いと思います。これこそ音楽として多様な要素を取り入れた尺八楽の素晴らしさだと私は思います。
若い時に韓国人に「韓国は日本にタクサンの文化を教えた。その逆って有るか?」と言われ、コチュ、タンべ、コグマ、カムジャ(唐辛子、タバコ、サツマイモ、ジャガイモ)と笑いを取っておいてから、近代における概念用語や器物用語などは大半が日本語をそのまま使っていることを言いました。もっとコダワリ無く良い加減にツマムと枷が消えて楽ですよ。便利だけでなく結局は正確です。複雑な概念を表現できる言葉ってこうして出来てきたのだと思いますが・・・。
これらは戦後間もなくの日本にふさわしく、ヤキトリや朝鮮焼肉など材料の呼び名すら良い加減です。タン、ハツ、レバーそしてロースなんかは英語、シロ、コブクロ、ナンコツなどは日本語、カルビは朝鮮語、中には一応の語源らしきものは有りますが、出所不明のミノとかガツとか有ります。ミノは簑笠とか日本古語ミゲからとか説は有りますね。万葉集に「わがミゲはミ塩のはやし」とか出てきますから、まんざらヨタではないのでしょう。
こういう出所ゴッチャの言葉が特に区別も無く使われているのは尺八も一緒ですね。ダイタイからして尺八の専門用語でも流によっても社中単位でも違う場合すら有ります。一つだけ、「ユリ」って何ですか?答えで貴方の流が分かります。
古くから使われていたであろう尺八の吹奏用語に新しく作られた言葉、戦後には洋楽の用語が入りました。こういった言葉の混乱には不快感をしめす人がいますが、私は歓迎です。メチャクチャに見えて時間とともに定着して行く言葉も有れば、いつの間にか使われなくなる言葉も有ります。日本語に限らず豊富な表現を持つ言語の共通項だと思います。
昨日までベトナムにいてニョクマムをサンザン食べてきました。タイのナンプラーや日本のショッツルと同じく魚醬ですが、ベトナム料理には欠かせませんね。この魚醬がケチャップ(トマトケチャップとかのケチャップですよ)の語源だと言います。ですからチョット上等の英語辞典には最低3種類のケチャップの表記が出ています。つまり私の学生時代において、なおスペルの定着をみないほど新しい時代に入り込んだ言葉だからです。
今ではほとんどの尺八家にピッチ=音程で通じますが、私の若い頃には「ピッチを上げて」とかの混同で速度だと思う人がいましたし、A管Ⅾ管とかの通用度も低かったのです。でも無理な日本語、たとえば黄鏡管、一越管などは実情に合っていません。かろうじて通じはしますが、明らかに用法として間違っています。
和楽器の中で尺八ほど種々雑多な音楽用語が使われている世界は他に無いと思います。これこそ音楽として多様な要素を取り入れた尺八楽の素晴らしさだと私は思います。
若い時に韓国人に「韓国は日本にタクサンの文化を教えた。その逆って有るか?」と言われ、コチュ、タンべ、コグマ、カムジャ(唐辛子、タバコ、サツマイモ、ジャガイモ)と笑いを取っておいてから、近代における概念用語や器物用語などは大半が日本語をそのまま使っていることを言いました。もっとコダワリ無く良い加減にツマムと枷が消えて楽ですよ。便利だけでなく結局は正確です。複雑な概念を表現できる言葉ってこうして出来てきたのだと思いますが・・・。
スポンサーサイト