紙芝居
- 2015/11/29
- 21:47
子供の頃は町にやってくる紙芝居が楽しみでした。どこでも中年すぎたオッサンが自転車に紙芝居道具の一式を載せて来るのが定番ですね。尺八界の八割の人にはそのまま話が通じます。
カチカチと拍子木の音が響くと、アチコチの家から小銭を握りしめた子供達が出てきました。最低5円だったか、ともかく駄菓子を買わないと見せてもらえないのですが、当時とあって5円でも持たない子もいまして、そういう時「ショウガナイナ、明日は持ってくるんだよ」と言ってダイタイの紙芝居屋が見せていましたね。
本当に貧しい家庭の子供はいつだって金を持っていませんでしたが、良くしたもので子供同士がおごっていました。あるいは紙芝居屋が菓子を買わない子を見て見ぬふりをしたりもしました。
紙芝居屋を最後に見たのは、私は昭和38年です。そういう商売全般が昭和30年代いっぱいでダイタイ終焉しました。たしかに東京オリンピックの前と後では日本社会は別の段階に入ったような気がします。
東京は「外国人に見られたら恥ずかしい」というので町中にゴミ箱が設置されました。その前はポイ捨て当たり前ですからね。なにしろ背中に籠を背負ってゴミを拾い歩く通称バタヤが生活手段として有ったんですから。
盛り場のすぐ横の貧民街は大きな立看で目隠し、当時、山手線に乗ると新大久保と高田馬場の間に広い地域にわたってバラックが立ち並ぶ一画が見えたものですが、そこも巨大な看板を延々と建て並べて電車から見えないようにしました。
テレビとかポスターあるいは学校で「ゴミのポイ捨て、立小便、あたりかまわず唾を吐く、こういうのは恥ずかしいことですから止めましょう」と教育していたのです。
今、中国に行くとテレビでそっくり同じキャンペーンをやっていてオカシイやら懐かしいやら、いつかの光景です。当時を憶えている人間は、とても今日の中国人のマナー違反を笑いものには出来ませんや。
紙芝居屋という商売の発生は昭和4年の大恐慌からだと言われています。ですからホンの30年チョイ続いたに過ぎないのですね。それにかかわっていた人達って、その後どうなったんですかね。その後に貸本漫画を経て漫画家として大成功した水木しげるみたいな人もいますよ、だけど大方はその後恵まれた人生を送ったとは思えません。
これは紙芝居屋だけに言えることでは有りませんよ。今は尺八という商売が終焉を迎えるかも知れない時です。もう尺八界で「教え屋さん」で生活出来ないことは明らかです。製管師もプロといわれる者の半分が、もう尺八製作だけでは生活が難しくなりました。
これから尺八のブームが起こり需要が急拡大したとします、根拠の無い話ではなく今後の数年で起こり得る事態です。そうなったらなったで従来の尺八界とは全く違う様相を呈しますわな。外国人はもとより工業が競合相手として参入して来ます。
紙芝居とか近い時代だけでなく洋楽器でもそう、産業形態の変遷を学習すれば自明になる事だと思いますがね。箏三弦は需要がピークを迎えた昭和40年代が変わり目でしたね。尺八は遅ればせながらガラリ一変の時を迎えました。ただ落ちぶれたままなら企業の新規参入は起らないでしょうが、その場合でも廃業下で再編そのものは進みます。その時はますます小さくなる世界で更なる機会を待って生きますわ。
カチカチと拍子木の音が響くと、アチコチの家から小銭を握りしめた子供達が出てきました。最低5円だったか、ともかく駄菓子を買わないと見せてもらえないのですが、当時とあって5円でも持たない子もいまして、そういう時「ショウガナイナ、明日は持ってくるんだよ」と言ってダイタイの紙芝居屋が見せていましたね。
本当に貧しい家庭の子供はいつだって金を持っていませんでしたが、良くしたもので子供同士がおごっていました。あるいは紙芝居屋が菓子を買わない子を見て見ぬふりをしたりもしました。
紙芝居屋を最後に見たのは、私は昭和38年です。そういう商売全般が昭和30年代いっぱいでダイタイ終焉しました。たしかに東京オリンピックの前と後では日本社会は別の段階に入ったような気がします。
東京は「外国人に見られたら恥ずかしい」というので町中にゴミ箱が設置されました。その前はポイ捨て当たり前ですからね。なにしろ背中に籠を背負ってゴミを拾い歩く通称バタヤが生活手段として有ったんですから。
盛り場のすぐ横の貧民街は大きな立看で目隠し、当時、山手線に乗ると新大久保と高田馬場の間に広い地域にわたってバラックが立ち並ぶ一画が見えたものですが、そこも巨大な看板を延々と建て並べて電車から見えないようにしました。
テレビとかポスターあるいは学校で「ゴミのポイ捨て、立小便、あたりかまわず唾を吐く、こういうのは恥ずかしいことですから止めましょう」と教育していたのです。
今、中国に行くとテレビでそっくり同じキャンペーンをやっていてオカシイやら懐かしいやら、いつかの光景です。当時を憶えている人間は、とても今日の中国人のマナー違反を笑いものには出来ませんや。
紙芝居屋という商売の発生は昭和4年の大恐慌からだと言われています。ですからホンの30年チョイ続いたに過ぎないのですね。それにかかわっていた人達って、その後どうなったんですかね。その後に貸本漫画を経て漫画家として大成功した水木しげるみたいな人もいますよ、だけど大方はその後恵まれた人生を送ったとは思えません。
これは紙芝居屋だけに言えることでは有りませんよ。今は尺八という商売が終焉を迎えるかも知れない時です。もう尺八界で「教え屋さん」で生活出来ないことは明らかです。製管師もプロといわれる者の半分が、もう尺八製作だけでは生活が難しくなりました。
これから尺八のブームが起こり需要が急拡大したとします、根拠の無い話ではなく今後の数年で起こり得る事態です。そうなったらなったで従来の尺八界とは全く違う様相を呈しますわな。外国人はもとより工業が競合相手として参入して来ます。
紙芝居とか近い時代だけでなく洋楽器でもそう、産業形態の変遷を学習すれば自明になる事だと思いますがね。箏三弦は需要がピークを迎えた昭和40年代が変わり目でしたね。尺八は遅ればせながらガラリ一変の時を迎えました。ただ落ちぶれたままなら企業の新規参入は起らないでしょうが、その場合でも廃業下で再編そのものは進みます。その時はますます小さくなる世界で更なる機会を待って生きますわ。
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