故郷の味
- 2015/12/10
- 21:13
長く海外に出た日本人が恋しがるのが米の飯だと言います。私はべつに米がなくとも何てこと無いですが、しいて言うと食べたくなるのは寿司ですから、マアそれも米飯ですかね。
ドイツ人はライ麦の黒パン、韓国がキムチ、メキシコがタコス、こんなふうに言われますが、さて、それでは中国はどうですか、アラブ人だと何ですか?
もう今の日本はじめ先進国では手に入らない食材なんか無いのですが、かつてはそうでは無かった。牛乳を欲しがった初代駐日アメリカ公使タウンゼント・ハリスとかの時代は別にしても、1960年代までは日本に来て、食べ物に困った外国人は多かった。1970年代になっても地方に行くと「食べるものが無い」と言っていたものです。
私は若い頃の長期旅行でも食べ物に困った記憶が有りませんが、値段と味にさえ目を瞑れば、当時から少し大きな町に行けば日本料理の店が有った韓国や東南アジアは良いとして、ネをアゲル同行者に手を焼いて、日本食かせめて代用品を探したことは有ります。
旧共産圏はお手上げ、欧米では日本料理店は無くとも中華料理屋はダイタイ有りました。
今時分は寿司、ラーメンなどは世界に広がっていますが、やはり中近東、アフリカ、ラテンアメリカでは見つけるのに苦労するのと違いますか。
何でも揃うようですが日本だって、厳格なイスラムやユダヤ教徒、あるいは、カツオ出汁すら拒否する完全菜食主義者などは苦労すると思います。
ところで民謡や演歌なんかではなく、たとえば本格的な尺八音楽みたいなものを聴きたいのだが何処へ行けば聴けるのか?こういう質問を日本人からだって受けます。本当ですよね、何処に言ったら良いのでしょう。今は手っ取り早く「ユーチューブで探せば」と答えますが、たしかにレコード屋に行っても「純邦楽」のコーナーに決まりきった種類の曲がほんの少し有るだけですね。当たり前ですよ、ニーズが無いものを置くわけないですわ。
歎いたって仕方がない、それが現状です。では40年前は? 同じ。私の記憶の範囲では50年前も同様でした。それでは戦前は?
遠く日本を離れて久しい兵隊の為に、慰問団として尺八も外地に行きました。誰でもが口を揃えて言うことは。「古典をやっても喜ばないので、民謡や歌謡曲、唱歌、国民歌謡なんかを吹くと、皆が涙を流して喜んだ」
はるか記憶に有る昔から邦楽は「故郷の味」なんかじゃなかったのです。今、何処で邦楽の演奏ボランティアをやるにしろ、この前提をないがしろにする限り、それは徒労です。
この30年に限っても、通算で数万回の邦楽広報の為のボランティア演奏が有ったと思います。そして、この現状です。
ドイツ人はライ麦の黒パン、韓国がキムチ、メキシコがタコス、こんなふうに言われますが、さて、それでは中国はどうですか、アラブ人だと何ですか?
もう今の日本はじめ先進国では手に入らない食材なんか無いのですが、かつてはそうでは無かった。牛乳を欲しがった初代駐日アメリカ公使タウンゼント・ハリスとかの時代は別にしても、1960年代までは日本に来て、食べ物に困った外国人は多かった。1970年代になっても地方に行くと「食べるものが無い」と言っていたものです。
私は若い頃の長期旅行でも食べ物に困った記憶が有りませんが、値段と味にさえ目を瞑れば、当時から少し大きな町に行けば日本料理の店が有った韓国や東南アジアは良いとして、ネをアゲル同行者に手を焼いて、日本食かせめて代用品を探したことは有ります。
旧共産圏はお手上げ、欧米では日本料理店は無くとも中華料理屋はダイタイ有りました。
今時分は寿司、ラーメンなどは世界に広がっていますが、やはり中近東、アフリカ、ラテンアメリカでは見つけるのに苦労するのと違いますか。
何でも揃うようですが日本だって、厳格なイスラムやユダヤ教徒、あるいは、カツオ出汁すら拒否する完全菜食主義者などは苦労すると思います。
ところで民謡や演歌なんかではなく、たとえば本格的な尺八音楽みたいなものを聴きたいのだが何処へ行けば聴けるのか?こういう質問を日本人からだって受けます。本当ですよね、何処に言ったら良いのでしょう。今は手っ取り早く「ユーチューブで探せば」と答えますが、たしかにレコード屋に行っても「純邦楽」のコーナーに決まりきった種類の曲がほんの少し有るだけですね。当たり前ですよ、ニーズが無いものを置くわけないですわ。
歎いたって仕方がない、それが現状です。では40年前は? 同じ。私の記憶の範囲では50年前も同様でした。それでは戦前は?
遠く日本を離れて久しい兵隊の為に、慰問団として尺八も外地に行きました。誰でもが口を揃えて言うことは。「古典をやっても喜ばないので、民謡や歌謡曲、唱歌、国民歌謡なんかを吹くと、皆が涙を流して喜んだ」
はるか記憶に有る昔から邦楽は「故郷の味」なんかじゃなかったのです。今、何処で邦楽の演奏ボランティアをやるにしろ、この前提をないがしろにする限り、それは徒労です。
この30年に限っても、通算で数万回の邦楽広報の為のボランティア演奏が有ったと思います。そして、この現状です。
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