素人芸
- 2015/12/12
- 17:10
尺八なんぞを吹いていると思わぬ出会いに恵まれるものです。もう40年をはるか越えた昔になりましたが、今一緒に仕事をしている林嵐山は当時は井之頭線の浜田山の学生相手の下宿にいました。
私達は学生の気安さでショッチュウそこに行っていました。井之頭公園や人のいない公園、空き地などでよく尺八を吹いていましたので、頻繁に人から話かけられました。尺八を吹く若い者が珍しかったからでしょうね。
ある時、浜田山で4,5人の中年の男性達に話しかけられました。「モンテンルパの会」の人達でした。このイキサツは私の年代の者には常識に属することで、渡辺はま子の歌う戦後の大ヒット曲「ああ、モンテンルパの夜は更けて」は誰でも聞いたことが有るでしょうし、私のように2番まで歌える人間も珍しくないと思います。
「知ってる?」と聞かれたので尺八で吹いたら大喜びされました。モンテンルパの収容所で死刑を待つ戦犯の人達だったのが、渡辺はま子をはじめ数多くの人達の尽力で日本に帰還することが出来ました。フィリピンのキリノ大統領の英断が決め手だったのですが、その心を動かしたのが「ああ、モンテンルパの夜は更けて」だったと言われます。
この歌は作詞も作曲も素人です。ですから詩も曲も練れていない。でも、それだからこそ真実味が有り、切々と聞く人の胸をうったのではないでしょうか。
同じく収容所で生まれたものに世紀の名歌、「異国の丘」が有りますが、この作りては復員後に大作曲家となった吉田正ですから、厳密には素人の作品とは言い難いですね。
素人の作ったモノが、どういうわけか大化けすることが有ります。今日なお歴代2位のレコード販売記録を持つ「女の道」もそうですし、その少し後の「あなた」なんかもそうですな。
「女の道」は私の大嫌いな曲で、この曲がテレビで流れると耳を塞ぎます。同じくトイレに立つのが「女の操」、ゲロをあげるのが「昭和枯れすすき」ですわ。
ピンカラ兄弟とは一度だけですが芝の郵便貯金ホールでリハーサルの時間に舞台の裾で会っています。言葉使いや態度も丁寧で別にイヤな印象は有りませんが、この曲はイヤですね。昭和40年代の後半って、どうしてこういう吐き気を催す曲が多いのでしょう・・・。
尺八の古典本曲は今でも私は尺八最強ソフトだと思っています。この古典本曲って全部素人の作曲、と言うより再構成曲ですよね。現代の人気曲である諸井誠の「竹籟五章」とか松村禎三の「詩曲」も古典本曲の再構成曲と言った方が良くはないですかね。
元になったのは古典本曲ですが、それらは始めは素人の思いつきでも、長い時間と多くの尺八吹きによって磨かれた曲です。ですから私は感動もするし貴いと思うのですよ。
私達は学生の気安さでショッチュウそこに行っていました。井之頭公園や人のいない公園、空き地などでよく尺八を吹いていましたので、頻繁に人から話かけられました。尺八を吹く若い者が珍しかったからでしょうね。
ある時、浜田山で4,5人の中年の男性達に話しかけられました。「モンテンルパの会」の人達でした。このイキサツは私の年代の者には常識に属することで、渡辺はま子の歌う戦後の大ヒット曲「ああ、モンテンルパの夜は更けて」は誰でも聞いたことが有るでしょうし、私のように2番まで歌える人間も珍しくないと思います。
「知ってる?」と聞かれたので尺八で吹いたら大喜びされました。モンテンルパの収容所で死刑を待つ戦犯の人達だったのが、渡辺はま子をはじめ数多くの人達の尽力で日本に帰還することが出来ました。フィリピンのキリノ大統領の英断が決め手だったのですが、その心を動かしたのが「ああ、モンテンルパの夜は更けて」だったと言われます。
この歌は作詞も作曲も素人です。ですから詩も曲も練れていない。でも、それだからこそ真実味が有り、切々と聞く人の胸をうったのではないでしょうか。
同じく収容所で生まれたものに世紀の名歌、「異国の丘」が有りますが、この作りては復員後に大作曲家となった吉田正ですから、厳密には素人の作品とは言い難いですね。
素人の作ったモノが、どういうわけか大化けすることが有ります。今日なお歴代2位のレコード販売記録を持つ「女の道」もそうですし、その少し後の「あなた」なんかもそうですな。
「女の道」は私の大嫌いな曲で、この曲がテレビで流れると耳を塞ぎます。同じくトイレに立つのが「女の操」、ゲロをあげるのが「昭和枯れすすき」ですわ。
ピンカラ兄弟とは一度だけですが芝の郵便貯金ホールでリハーサルの時間に舞台の裾で会っています。言葉使いや態度も丁寧で別にイヤな印象は有りませんが、この曲はイヤですね。昭和40年代の後半って、どうしてこういう吐き気を催す曲が多いのでしょう・・・。
尺八の古典本曲は今でも私は尺八最強ソフトだと思っています。この古典本曲って全部素人の作曲、と言うより再構成曲ですよね。現代の人気曲である諸井誠の「竹籟五章」とか松村禎三の「詩曲」も古典本曲の再構成曲と言った方が良くはないですかね。
元になったのは古典本曲ですが、それらは始めは素人の思いつきでも、長い時間と多くの尺八吹きによって磨かれた曲です。ですから私は感動もするし貴いと思うのですよ。
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