尊敬心
- 2015/12/17
- 21:17
今の若い人って尊敬する人はいるんですかね。私らの小学生時代は、「尊敬する人」という題で作文を書かされました。私達の頃は誰だったですかね。もう詳しくは憶えていませんが、エジソンやシュバイツアーは定番で、何故か野口英世は入っていました。その次の世代の様に「お父さん、お母さん」というのは無かったですねえ。
私?中学からは「力道山」と答えていました。勿論シャレで、本当は誰でも無かったと思います。強いて言うと中学時代までなら東急コンツェルンの総帥・五島慶太だったかも知れません。だって子供ですから、実際に実物を見た著名人って五島慶太しかいないですもの。
私って五島慶太に頭を撫でられたことが有るんですよ。それでいて何故こんなにバカなんだろう。もっとも撫でられたからこそ、この程度で済んでいるのかも知れません。
私が五つか六つ、昭和30年頃ですよ、早朝だったと思いますが、瀬田の山を祖父と散歩していると前方から5,6人の(おそらく若い屈強な)男達に囲まれた白い着物を着た人が歩いて来ました。祖父が挨拶して相手の人も何か言って、その後で私の頭を撫でてくれました。それが五島翁でした。
瀬田の山に城のような館を築いていた五島慶太の名前は皆が知っていましたが、近所でも会った人などいない。ミーハー気質の祖父は、偶然の出会いを千載一遇のチャンスだと捉え、冥途の土産ないし自慢話のタネする為に厚かましくも話かけたんですな。
話を元に戻して、「尊敬する人」って日本みたいな教養社会ですと、ナカナカいませんわな。価値観の分化という前に、情報が豊富に有ってマイナス面も知られてしまいました。
たとえば野口英世だと金にだらしないとか、他に、内村鑑三、傲慢で自分勝手。新渡戸稲造、物の見方が一面的。石川啄木、金に汚く人間が卑しい。信長、気難しい殺人狂。秀吉、誇大妄想の色魔。家康、ケチで保守的。一時的にですが日本でも熱狂的な信者のいたヒットラー、スターリン、毛沢東なんかは今「尊敬してる」と言ったら、事の当否はともかく、バカだと思われます。ケネディでどうですかね。暗殺された後しばらくは人気が有りましたがね・・・。まあ、言ってみれば「香典相場」だったんでしょう。
まあ誰にしたって欠点だけ見れば若いうちは尊敬心は湧きませんですな。
そして、自分なりの道を歩むようになると、いろいろな欠点を知った上で、また尊敬する人が出てくるんです。少年時代みたいに絶対視ではなく相対化されてはいますが、私の場合は人数としては増えました。中学高校の教師の何人かに対する尊敬心は昔より増していますし、関わった人も、歳をとると良い点をむしろ重視するようになりました。
尺八でも青木鈴慕、横山勝也は若い頃は信仰の対象でしたが、今は尊敬です。欠点にも数多く触れて、何回も嫌な思いをして、それでも、ではなく、それでこそ尊敬できるようになりました。若い時には、この「人生の妙味」は分からないと思いますよ。
私?中学からは「力道山」と答えていました。勿論シャレで、本当は誰でも無かったと思います。強いて言うと中学時代までなら東急コンツェルンの総帥・五島慶太だったかも知れません。だって子供ですから、実際に実物を見た著名人って五島慶太しかいないですもの。
私って五島慶太に頭を撫でられたことが有るんですよ。それでいて何故こんなにバカなんだろう。もっとも撫でられたからこそ、この程度で済んでいるのかも知れません。
私が五つか六つ、昭和30年頃ですよ、早朝だったと思いますが、瀬田の山を祖父と散歩していると前方から5,6人の(おそらく若い屈強な)男達に囲まれた白い着物を着た人が歩いて来ました。祖父が挨拶して相手の人も何か言って、その後で私の頭を撫でてくれました。それが五島翁でした。
瀬田の山に城のような館を築いていた五島慶太の名前は皆が知っていましたが、近所でも会った人などいない。ミーハー気質の祖父は、偶然の出会いを千載一遇のチャンスだと捉え、冥途の土産ないし自慢話のタネする為に厚かましくも話かけたんですな。
話を元に戻して、「尊敬する人」って日本みたいな教養社会ですと、ナカナカいませんわな。価値観の分化という前に、情報が豊富に有ってマイナス面も知られてしまいました。
たとえば野口英世だと金にだらしないとか、他に、内村鑑三、傲慢で自分勝手。新渡戸稲造、物の見方が一面的。石川啄木、金に汚く人間が卑しい。信長、気難しい殺人狂。秀吉、誇大妄想の色魔。家康、ケチで保守的。一時的にですが日本でも熱狂的な信者のいたヒットラー、スターリン、毛沢東なんかは今「尊敬してる」と言ったら、事の当否はともかく、バカだと思われます。ケネディでどうですかね。暗殺された後しばらくは人気が有りましたがね・・・。まあ、言ってみれば「香典相場」だったんでしょう。
まあ誰にしたって欠点だけ見れば若いうちは尊敬心は湧きませんですな。
そして、自分なりの道を歩むようになると、いろいろな欠点を知った上で、また尊敬する人が出てくるんです。少年時代みたいに絶対視ではなく相対化されてはいますが、私の場合は人数としては増えました。中学高校の教師の何人かに対する尊敬心は昔より増していますし、関わった人も、歳をとると良い点をむしろ重視するようになりました。
尺八でも青木鈴慕、横山勝也は若い頃は信仰の対象でしたが、今は尊敬です。欠点にも数多く触れて、何回も嫌な思いをして、それでも、ではなく、それでこそ尊敬できるようになりました。若い時には、この「人生の妙味」は分からないと思いますよ。
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