プロのルート
- 2015/12/25
- 22:21
芸大出身者が尺八プロとして続々と出てくる以前は大学の邦楽クラブがプロへの近道でした。大学の尺八でも1年に何人かはビックリするような名手が出ます。
私が現役の時ですが、私の3年上には明治大学の佐野達也(鈴霏)さんがいました。関東学生三曲協会の委員長で、1年生だった私には見上げる様な存在でした。2年上ですと電機大学の河野正明さん、中央大の香川朝則(一朝)さん、慶応の牧原伸一郎(一路)さん、東洋大の郡川直樹さん、明治の北原康夫(鈴淳)さん。このうち北原さんはプロになりませんでしたが、この人は才能から言ってプロになっていれば成功したはずだと思います。ここまでは「雲の上の人」。
私の1年上ですと青山に三橋貴風さんがいて中央に橋本竹詠さんがいました。そして学芸大学に古屋輝夫さん、そしてクラブではないけど法政大学の真玉和司さん。1年上ですと意識の上では身近ですわ。
ところが私の代には尺八演奏のプロがいないんですよ。早稲田に鈴木という男がいて、私の代では一番でしたが、私の頃の人気ナンバーワン企業である東京海上に就職しました。
私の1年下には中央の難波竹山さんがいますので私の代はエアポケットです。難波さんの下の代からも関東以外の大学からも大勢のプロが出ていますのに何故私達の代にはいないのでしょう?
その前に我が法政大学三曲会からはプロが出ていません。何年か前に現役の学生から「自分達のクラブからはプロだ出ていない、練習方法が間違がっているのでは」と言われ、皆が大笑いしました。それと同時に妙に感心もしました。
法政で私の知る範囲ですと一番プロに近かったのは田中恥山ですが、米澤浩さんには「中山裕史が本気でチャレンジしたらプロになったかも知れませんよ」と言われました。その他にも、それなりに上手な者はいたんですがね、プロになれたかと言うと疑問ですよ。
では何故に法大からはプロの演奏家が出なかったのか、一番の理由は私の知っている者の中には、熱烈に尺八のプロになりたいと思っていた人間がいなかった。それじゃ何で?理由ははっきり分からないですが、私達の年代に限っては見当がつきます。
直接指導をうけた尺八吹奏のプロが憧れの対象になりにくかったということが大きいと思います。誤解の無いように言っておきますが、坂田誠山先生は今では超のつく大家ですし、当時から技量的に言うことの無い人でしたが、私と8歳しか違わないのです。1年生の私ですら入門した時点では坂田先生は電機大学を出て5年目です。その頃で稼ぎは、先生がペロっとクチを滑らしたところによると月30万。大学出の初任給がボーナスヌキの手取りで3万ですから「スゲエ」には違いないのですが、まだ賄いつきの学生下宿に間借りしていて、乗っている車もスバルの軽。それに服装にも金をかけていませんでしたから、マアなんですな、憧れるという感じでは無かったですよ。
あくまで私達が学生の時は、ですぜ。
何にせよ、世間知らずの若いうちにプロに、それも熱烈になりたいと思わせなければなりません。その為にはプロが憧れる存在でなくっては・・・。夢や幻想を与えて若い者を騙せなければ、この世界は本当に夢も希望も無くなりまっせ。
私が現役の時ですが、私の3年上には明治大学の佐野達也(鈴霏)さんがいました。関東学生三曲協会の委員長で、1年生だった私には見上げる様な存在でした。2年上ですと電機大学の河野正明さん、中央大の香川朝則(一朝)さん、慶応の牧原伸一郎(一路)さん、東洋大の郡川直樹さん、明治の北原康夫(鈴淳)さん。このうち北原さんはプロになりませんでしたが、この人は才能から言ってプロになっていれば成功したはずだと思います。ここまでは「雲の上の人」。
私の1年上ですと青山に三橋貴風さんがいて中央に橋本竹詠さんがいました。そして学芸大学に古屋輝夫さん、そしてクラブではないけど法政大学の真玉和司さん。1年上ですと意識の上では身近ですわ。
ところが私の代には尺八演奏のプロがいないんですよ。早稲田に鈴木という男がいて、私の代では一番でしたが、私の頃の人気ナンバーワン企業である東京海上に就職しました。
私の1年下には中央の難波竹山さんがいますので私の代はエアポケットです。難波さんの下の代からも関東以外の大学からも大勢のプロが出ていますのに何故私達の代にはいないのでしょう?
その前に我が法政大学三曲会からはプロが出ていません。何年か前に現役の学生から「自分達のクラブからはプロだ出ていない、練習方法が間違がっているのでは」と言われ、皆が大笑いしました。それと同時に妙に感心もしました。
法政で私の知る範囲ですと一番プロに近かったのは田中恥山ですが、米澤浩さんには「中山裕史が本気でチャレンジしたらプロになったかも知れませんよ」と言われました。その他にも、それなりに上手な者はいたんですがね、プロになれたかと言うと疑問ですよ。
では何故に法大からはプロの演奏家が出なかったのか、一番の理由は私の知っている者の中には、熱烈に尺八のプロになりたいと思っていた人間がいなかった。それじゃ何で?理由ははっきり分からないですが、私達の年代に限っては見当がつきます。
直接指導をうけた尺八吹奏のプロが憧れの対象になりにくかったということが大きいと思います。誤解の無いように言っておきますが、坂田誠山先生は今では超のつく大家ですし、当時から技量的に言うことの無い人でしたが、私と8歳しか違わないのです。1年生の私ですら入門した時点では坂田先生は電機大学を出て5年目です。その頃で稼ぎは、先生がペロっとクチを滑らしたところによると月30万。大学出の初任給がボーナスヌキの手取りで3万ですから「スゲエ」には違いないのですが、まだ賄いつきの学生下宿に間借りしていて、乗っている車もスバルの軽。それに服装にも金をかけていませんでしたから、マアなんですな、憧れるという感じでは無かったですよ。
あくまで私達が学生の時は、ですぜ。
何にせよ、世間知らずの若いうちにプロに、それも熱烈になりたいと思わせなければなりません。その為にはプロが憧れる存在でなくっては・・・。夢や幻想を与えて若い者を騙せなければ、この世界は本当に夢も希望も無くなりまっせ。
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