プロレス界の尺八熱
- 2015/12/26
- 21:07
昭和44年頃はプロレスラーの間で一時的に尺八の稽古が流行りました。尺八は昔のレスラーの豊登が吹いていたそうですが、私は知りません。藤原喜明も尺八に堪能だということですが、私は藤原組長とは会った事すら有りません。
昭和44年の10月だったと思いますが、大学1年の私はプロレスの巡業に同行して鹿児島市の体育館にいました。駒さん、永源さん、安達(ミスター・ヒト)さんなんかと話していると、顔も体も名前の通り熊そっくりの大熊選手がオッホッホ、オッホッホと女の子みたいに笑い転げながらやって来ました。なんでも控室でテレビアニメのタイガーマスクの初回放送を見ていたとかで、そこに出てくる馬場や猪木が実物とソックリだったので、あまりの可笑しさに堪えられなくなって控室を飛び出してきたというわけです。
大熊選手は駒さんの舎弟と言う感じの人です。駒さんは常ずね「何でも話せるのは馬場さんとミツ・平井さん」と言っていましたが、私が「大熊さんは?」と聞くと、「アイツは兄弟みたいなもんだ」と言うくらい仲が良かったのです。二人とも生粋の馬場派でしたが、猪木との関係も良好でした。そこから猪木が最近尺八に凝っている話題になりました。
尺八のコーチは林牛之助(ミスター・ハヤシ)です。この人には無口でオトナシイ人という印象しか有りませんが、酒場で絡んできたヤクザ4人を瞬時に叩きのめして警察に引っ張られた経歴が有りますから怒らせるとコワイ人です。引っぱられた警察で「たとえ相手が悪くてもプロレスラーが手を出してはいけません」と油を搾られて、「それじゃ今後たとえ目の前で女性が襲われていても助けませんよ」と言って無事に放免になりました。
この人は尺八で歌謡曲でも民謡でも何でも自在に暗譜で吹きこなしました。当時尺八歴半年の私よりはるかに上手でした。
猪木の尺八は上達しないままヤメになりましたが、同じころ林さんの弟子になっていた馬場となると、20年ほど前にテレビで民謡「刈り干し切り唄」を披露した時に尺八伴奏をつけた米谷龍男(篁)さんに「出張稽古」を持ちかけたと言いますから興味は失ってはいなかったのですね。
馬場の声は低いという印象が有りますが、篁さんによると2尺1寸だそうです。
昭和45年の夏にドリーとテリーのファンク兄弟が来日しましたが、どういうわけか尺八に興味を持ち買って吹いていました。見よう見まねで結構吹けるものですね。「尺八は難しい」と言う反面で「師匠につかなければ簡単に吹ける」とも言われますが、こういうのを見ると本当だとも思います。
当時、兄のドリーは現役の世界チャンピオンでした。昭和40年代はアメリカでもプロレスは退潮期に入っていましたが、それでも組織がしっかりしていたので世界チャンピオンともなると週3千ドルは稼いでいました。1ドル360円時代です。
弟テリーも週に千ドルくらいは貰っていたでしょう。特に日本ともなるとギャラは2,3倍が普通ですから、目についた尺八を気楽に買うくらいは何でもなかったと思います。
この兄弟の実家はテキサス州アマリロのフライングメイヤーランチ(首投げ牧場)という牧場で、この隣の牧場が竹盟社のクリストファー・ブレイズデルさんの実家です。縁の繋がりって面白いですね。
昭和44年の10月だったと思いますが、大学1年の私はプロレスの巡業に同行して鹿児島市の体育館にいました。駒さん、永源さん、安達(ミスター・ヒト)さんなんかと話していると、顔も体も名前の通り熊そっくりの大熊選手がオッホッホ、オッホッホと女の子みたいに笑い転げながらやって来ました。なんでも控室でテレビアニメのタイガーマスクの初回放送を見ていたとかで、そこに出てくる馬場や猪木が実物とソックリだったので、あまりの可笑しさに堪えられなくなって控室を飛び出してきたというわけです。
大熊選手は駒さんの舎弟と言う感じの人です。駒さんは常ずね「何でも話せるのは馬場さんとミツ・平井さん」と言っていましたが、私が「大熊さんは?」と聞くと、「アイツは兄弟みたいなもんだ」と言うくらい仲が良かったのです。二人とも生粋の馬場派でしたが、猪木との関係も良好でした。そこから猪木が最近尺八に凝っている話題になりました。
尺八のコーチは林牛之助(ミスター・ハヤシ)です。この人には無口でオトナシイ人という印象しか有りませんが、酒場で絡んできたヤクザ4人を瞬時に叩きのめして警察に引っ張られた経歴が有りますから怒らせるとコワイ人です。引っぱられた警察で「たとえ相手が悪くてもプロレスラーが手を出してはいけません」と油を搾られて、「それじゃ今後たとえ目の前で女性が襲われていても助けませんよ」と言って無事に放免になりました。
この人は尺八で歌謡曲でも民謡でも何でも自在に暗譜で吹きこなしました。当時尺八歴半年の私よりはるかに上手でした。
猪木の尺八は上達しないままヤメになりましたが、同じころ林さんの弟子になっていた馬場となると、20年ほど前にテレビで民謡「刈り干し切り唄」を披露した時に尺八伴奏をつけた米谷龍男(篁)さんに「出張稽古」を持ちかけたと言いますから興味は失ってはいなかったのですね。
馬場の声は低いという印象が有りますが、篁さんによると2尺1寸だそうです。
昭和45年の夏にドリーとテリーのファンク兄弟が来日しましたが、どういうわけか尺八に興味を持ち買って吹いていました。見よう見まねで結構吹けるものですね。「尺八は難しい」と言う反面で「師匠につかなければ簡単に吹ける」とも言われますが、こういうのを見ると本当だとも思います。
当時、兄のドリーは現役の世界チャンピオンでした。昭和40年代はアメリカでもプロレスは退潮期に入っていましたが、それでも組織がしっかりしていたので世界チャンピオンともなると週3千ドルは稼いでいました。1ドル360円時代です。
弟テリーも週に千ドルくらいは貰っていたでしょう。特に日本ともなるとギャラは2,3倍が普通ですから、目についた尺八を気楽に買うくらいは何でもなかったと思います。
この兄弟の実家はテキサス州アマリロのフライングメイヤーランチ(首投げ牧場)という牧場で、この隣の牧場が竹盟社のクリストファー・ブレイズデルさんの実家です。縁の繋がりって面白いですね。
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