国際派
- 2015/12/30
- 22:47
1988年のソウルオリンピックの時ですわ、食堂で昼飯を食べていると丁度テレビでオリンピックのバレー中継をやっていて、何人かの工員達がそれを見て声を挙げて応援していました。
しばらく見ていて分かりましたよ。日本チームを応援してたんじゃありませんぜ、相手の東ドイツ(タブン)を応援していたんです。「国籍なんて関係ねえ、顔の良いほうを応援してんだ」という事ダス。ナルホド、オレッチだって何時だったか、キム・ヨナが金メダルを取った時ですよ、浅田じゃなくってヨナ様の方を応援していましたから気持ちは良く分かる。後で聞くと、私ばかりではなく、キム・ヨナに声援を送っていた日本男児は多かったみたいですよ。見上げた国際派です。
その昔、今の「肝心な時に転ぶ」ネエサンと同じく、転んで人気が出たジャネット・リンというのがいましたぜ。女子の体操だってチャフラフスカの人気たるや凄くて、メキシコ大会の時なんかクチンスカヤ派と別れて応援合戦。今にも乱闘が起こるかという騒然たる世相を呈しました。ちなみに私はクチンスカヤ派ですな。ナターシャ、今どうしているの?
私達の青春時代には今よりずっとアメリカやヨーロッパの女優が若者のアイドルでした。また「プレイボーイ」や「平凡パンチ」といったニキビズラの土鍋ニイチャン御用達の雑誌は毎号外人と言うよりアメリカ女性のヌードであふれていました。もっともこれには事情が有って、昭和50年代までは日本女性にはヌードになることに抵抗が有ッた事と、「日活ロマンポルノ」とかの女優も、今のアダルトビデオに出てる姫君みたいに、世界のどこに出しても恥ずかしくないというグレードには達していなかったという事が有ります。
音楽だってテレビドラマだって外国モノは人気がありましたぜ。食い物なんか若者には今だって日本食はイマイチでしょう。
だけど勝ち負けとか記録が絡むとどうしてかナショナリズムが出てきますな。こういった傾向は時代を遡るにつれ強くなります。
相撲も今は強い力士はモンゴルですが、その昔は外国人は力量を正当には評価されませんでした。勝ち負けで優劣がハッキリしていてすら人種の壁が有りました。
尺八は日本の楽器の中で文句無しに一番外国人の参入が多い楽器です。世界各国に「尺八界」というものを形成しておりますし、定期的に世界大会を催すまでのレベルに至っています。
トップクラスの吹奏力を持つ尺八家は、もう人口比では日本より外国人の方がはるかに多いでしょうし、古典における「オタク知識」でも全体としては日本人はかなわなくなっていますね。
でも外国人に言わせると、優遇される反面で力量を正当に評価されないと言います。優遇される面とは?、デビット・ウィラーさんが言っていました、「人間が玉乗りしても人は喜ばないけど、熊が玉乗りすると喝采する」。でも、その反面、「五世古童の息子さん、まるっきりのガイジンだろ、あれじゃ古典の舞台ではチットマズイわな」。こう聞いたのも一度や二度ではありません。
しかしマア、あと10年の事でしょうよ。外国人が尺八をやってたって不思議がられなくなるのは。考えてみれば日本人が洋服を普通に着ているんですから、外国人が着物を着て尺八を吹いたって別におかしくは無いですわな。
もっとも日本ですっかり廃れてしまって、逆に日本人が尺八を吹いていると珍しがられたりして・・・。
しばらく見ていて分かりましたよ。日本チームを応援してたんじゃありませんぜ、相手の東ドイツ(タブン)を応援していたんです。「国籍なんて関係ねえ、顔の良いほうを応援してんだ」という事ダス。ナルホド、オレッチだって何時だったか、キム・ヨナが金メダルを取った時ですよ、浅田じゃなくってヨナ様の方を応援していましたから気持ちは良く分かる。後で聞くと、私ばかりではなく、キム・ヨナに声援を送っていた日本男児は多かったみたいですよ。見上げた国際派です。
その昔、今の「肝心な時に転ぶ」ネエサンと同じく、転んで人気が出たジャネット・リンというのがいましたぜ。女子の体操だってチャフラフスカの人気たるや凄くて、メキシコ大会の時なんかクチンスカヤ派と別れて応援合戦。今にも乱闘が起こるかという騒然たる世相を呈しました。ちなみに私はクチンスカヤ派ですな。ナターシャ、今どうしているの?
私達の青春時代には今よりずっとアメリカやヨーロッパの女優が若者のアイドルでした。また「プレイボーイ」や「平凡パンチ」といったニキビズラの土鍋ニイチャン御用達の雑誌は毎号外人と言うよりアメリカ女性のヌードであふれていました。もっともこれには事情が有って、昭和50年代までは日本女性にはヌードになることに抵抗が有ッた事と、「日活ロマンポルノ」とかの女優も、今のアダルトビデオに出てる姫君みたいに、世界のどこに出しても恥ずかしくないというグレードには達していなかったという事が有ります。
音楽だってテレビドラマだって外国モノは人気がありましたぜ。食い物なんか若者には今だって日本食はイマイチでしょう。
だけど勝ち負けとか記録が絡むとどうしてかナショナリズムが出てきますな。こういった傾向は時代を遡るにつれ強くなります。
相撲も今は強い力士はモンゴルですが、その昔は外国人は力量を正当には評価されませんでした。勝ち負けで優劣がハッキリしていてすら人種の壁が有りました。
尺八は日本の楽器の中で文句無しに一番外国人の参入が多い楽器です。世界各国に「尺八界」というものを形成しておりますし、定期的に世界大会を催すまでのレベルに至っています。
トップクラスの吹奏力を持つ尺八家は、もう人口比では日本より外国人の方がはるかに多いでしょうし、古典における「オタク知識」でも全体としては日本人はかなわなくなっていますね。
でも外国人に言わせると、優遇される反面で力量を正当に評価されないと言います。優遇される面とは?、デビット・ウィラーさんが言っていました、「人間が玉乗りしても人は喜ばないけど、熊が玉乗りすると喝采する」。でも、その反面、「五世古童の息子さん、まるっきりのガイジンだろ、あれじゃ古典の舞台ではチットマズイわな」。こう聞いたのも一度や二度ではありません。
しかしマア、あと10年の事でしょうよ。外国人が尺八をやってたって不思議がられなくなるのは。考えてみれば日本人が洋服を普通に着ているんですから、外国人が着物を着て尺八を吹いたって別におかしくは無いですわな。
もっとも日本ですっかり廃れてしまって、逆に日本人が尺八を吹いていると珍しがられたりして・・・。
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