袖すりあうも 其の四(武満徹さん)
- 2014/11/12
- 10:46
袖すりあうも. このシリーズは幾つかのお約束のもとに書いております。
一度しかお会いしていない人、ともかくも会話した人、そして利害関係の無い人です。
武満徹さんとは2回会っていますが、まあ良いことにします。
1982年に在米のハンガリー人ピアニストであるアルビン・二レジハジが来日したおり、その誕生日パーティーに私もお呼ばれしました。出席者は豪華でしたよ。俳優の菅原文太、文学畑からは井上ひさし、安岡章太郎。音楽関係ですと山本直純、服部良一、あと映画監督の山田太一もいましたね。
その会場に永六輔さんもいて、初対面でしたが、永さんは私の高校の先輩にあたり、そんなことも有って長話になり、いろいろ話すうち「悪いけど僕と席を変わってくれないかな」と言われました。
永さんはどうしても途中で退席しなければならず、目立つ席なので私と席を交替して欲しいという事でした。
そして交替した席のとなりが武満徹さんの席でした。痩身で見るからに気難しそうな感じの人です。
武満徹と言えば私達尺八を吹く者には「ノヴェンバーステップス」でしょう。
私が大学に入学したのが1969年。琵琶と尺八の「エクリプス」が1966年。そして歴史的な「ノヴェンバーステップス」が1967年です。
指揮・小澤征爾、尺八・横山勝也、琵琶・鶴田錦史。オーケストラがニューヨークフィル。これっきゃないと言うメンバーです。
武満さんとは会話が成り立ちませんでした。何を話しかけても、返事が返ってくるまでにワンテンポ。それも「はい」 「いいえ」 「まあ」。スープだけしか召し上がらないので「お加減でも悪いのですか」と聞いても 「いいえ、別に」。唯一会話らしい会話と言えば、私が「もう尺八曲はつくらないのですか?」と聞いたときだけです。しばらく考えて「尺八は難しいですから・・・」
それでいて私を無視しているのとは感じが違うし、別に不愉快でもなさそうだし、フシギナ2時間でした。
まあ芸術家の変わったタイプなのだろうと思っていましたが、友人のプロ琵琶弾きに聞くと「この前、一緒にオーストラリアに行ったけど、よく話すし、よく笑う人だよ。」
「それじゃなんでだよ?」
「小澤さんも鶴田先生もいたから気心がしれていたんだろ」
「そんなもんかね」
「アンタとは話の接点が無かったんじゃない?」
「・・・・・」
その2年後、今度は横山勝也先生の出版記念パーティーで再びお会いしましたが、相変わらずのお人柄です・・・
シャイなのか、気難しいのか、それとも作曲の悩みでブルーな時期だったのか。
その頃は武満先生も海外で評価がかなり厳しくなっていました。
一度しかお会いしていない人、ともかくも会話した人、そして利害関係の無い人です。
武満徹さんとは2回会っていますが、まあ良いことにします。
1982年に在米のハンガリー人ピアニストであるアルビン・二レジハジが来日したおり、その誕生日パーティーに私もお呼ばれしました。出席者は豪華でしたよ。俳優の菅原文太、文学畑からは井上ひさし、安岡章太郎。音楽関係ですと山本直純、服部良一、あと映画監督の山田太一もいましたね。
その会場に永六輔さんもいて、初対面でしたが、永さんは私の高校の先輩にあたり、そんなことも有って長話になり、いろいろ話すうち「悪いけど僕と席を変わってくれないかな」と言われました。
永さんはどうしても途中で退席しなければならず、目立つ席なので私と席を交替して欲しいという事でした。
そして交替した席のとなりが武満徹さんの席でした。痩身で見るからに気難しそうな感じの人です。
武満徹と言えば私達尺八を吹く者には「ノヴェンバーステップス」でしょう。
私が大学に入学したのが1969年。琵琶と尺八の「エクリプス」が1966年。そして歴史的な「ノヴェンバーステップス」が1967年です。
指揮・小澤征爾、尺八・横山勝也、琵琶・鶴田錦史。オーケストラがニューヨークフィル。これっきゃないと言うメンバーです。
武満さんとは会話が成り立ちませんでした。何を話しかけても、返事が返ってくるまでにワンテンポ。それも「はい」 「いいえ」 「まあ」。スープだけしか召し上がらないので「お加減でも悪いのですか」と聞いても 「いいえ、別に」。唯一会話らしい会話と言えば、私が「もう尺八曲はつくらないのですか?」と聞いたときだけです。しばらく考えて「尺八は難しいですから・・・」
それでいて私を無視しているのとは感じが違うし、別に不愉快でもなさそうだし、フシギナ2時間でした。
まあ芸術家の変わったタイプなのだろうと思っていましたが、友人のプロ琵琶弾きに聞くと「この前、一緒にオーストラリアに行ったけど、よく話すし、よく笑う人だよ。」
「それじゃなんでだよ?」
「小澤さんも鶴田先生もいたから気心がしれていたんだろ」
「そんなもんかね」
「アンタとは話の接点が無かったんじゃない?」
「・・・・・」
その2年後、今度は横山勝也先生の出版記念パーティーで再びお会いしましたが、相変わらずのお人柄です・・・
シャイなのか、気難しいのか、それとも作曲の悩みでブルーな時期だったのか。
その頃は武満先生も海外で評価がかなり厳しくなっていました。
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