不易流行
- 2016/01/02
- 10:17
韓国のキムチは50年前には、ほとんどの日本人が名を知りませんでした。「朝鮮漬け」という名前は皆知っていましたが、要するに白菜なんかの浅漬けに唐辛子を入れただけの物で本格キムチとはチョット違います。
東京でも50年前には朝鮮料理屋は、まだ、ほとんど無い時代です。上野とか浅草、鎌田、江東などにコリアン居住区域が有りまして、そこに行けば朝鮮の物は何でも売っていましたが、それだって大阪の猪飼野みたいに大きくはありませんし、あまり知られていませんでした。。まだ日本人には唐辛子、ニンニクというより「朝鮮」に拒否感が濃厚に有った時代です。それが今や普通に食べられています。
朝鮮・韓国の人にとって国を代表する食べ物は何と言ってもキムチです。でも、唐辛子は4百年前に日本から伝わったわけで、それ以前の朝鮮料理には使われていないはずです。保守的な支配者階級でなく、まず庶民の間で広まっていったのです。
その証拠です。18世紀に書かれた『春香伝』、韓国古典文学の中で最も有名なモノです。この文学的評価は、本音を言うと韓国人とケンカになりますから言いませんが、トモカクその中に春香の家で李夢龍を豪華な料理でもてなす箇所が有るんですよ。でも、もう唐辛子が入って来て百年以上になるのに、そこには唐辛子を使った料理が出てきません。
李朝時代の宮廷料理を食べさせるレストランが有りますが、あまり唐辛子が入っていないのも、それが本来の宮廷料理かどうかは別にして、李朝の王宮では伝統が守られたでしょうから、王朝の最後の方は別にして唐辛子を使わなかったのでしょう。
イギリスやドイツで主食らしき物と言えばジャガイモが思い当たりますが、これも唐辛子と同じく新大陸から入って来たものです。インドだってカレーは唐辛子抜きで辛くなかったと言います。
いずれも庶民から。上の人達は保守的で頭が固いと言う以上に、経済的に恵まれていますから、極めて狭い範囲だけのチョイスしか無くても、それだけでも相対的にかなり広い範囲になる為、庶民階級ほど簡単に新しいモノを受け入れなくても良いのでしょう。
食い物の話しばかりで恐縮ですが、代表的な日本食と外国人が思うものでも寿司、天麩羅、スキヤキ、ウナギの蒲焼、蕎麦、ラーメン、ヤキトリなど江戸時代以前には遡りません。「家康が天麩羅を食って死んだじゃないか」、「ヤキトリは縄文以前から有ったぞ」、「馴れ鮨は昔からだ」とか、面倒だから言いませんが、トモカクここ三百年の伝統です。陰旋律で奏される尺八の古典なんかも同じです。
幕末には、ほとんどの者が鎖国は日本の古来からの国策だと思っていました。辛亥革命の後でも辮髪に固執した漢人が多かったと言います。ほんの10年前までは、戦前の軍国主義は間違っていたが天皇制そのものは良かったと主張する人がマダいました。正しいとか間違っているとかは、しょせん見解の相違ですが今では極く少数でしょう。
「伝統」を売り文句にする人って、何かウソくささが有りますが、いずれにしろ時代の一局面を切り貼りして「伝統」を声高に主張する事も無くてはならないと思います。同時に強権による弾圧でもなければ、常に新しく伝統が積み上がる。これが芭蕉の言う「不易流行」でしょう。
その物が存在する以上は変わらない「不易」の部分。それでは尺八の「不易」とは。中を覗くと向こうが見える、それと歌口を外側から切る。この2点だけです。私はそう思います。
「伝統」とは壊すモノでもなければ、壊さなければならないモノでも無く、常に新しく積み上がるモノです。尺八を生活手段にして生きる我々も今からの伝統を創っているんですよ。
東京でも50年前には朝鮮料理屋は、まだ、ほとんど無い時代です。上野とか浅草、鎌田、江東などにコリアン居住区域が有りまして、そこに行けば朝鮮の物は何でも売っていましたが、それだって大阪の猪飼野みたいに大きくはありませんし、あまり知られていませんでした。。まだ日本人には唐辛子、ニンニクというより「朝鮮」に拒否感が濃厚に有った時代です。それが今や普通に食べられています。
朝鮮・韓国の人にとって国を代表する食べ物は何と言ってもキムチです。でも、唐辛子は4百年前に日本から伝わったわけで、それ以前の朝鮮料理には使われていないはずです。保守的な支配者階級でなく、まず庶民の間で広まっていったのです。
その証拠です。18世紀に書かれた『春香伝』、韓国古典文学の中で最も有名なモノです。この文学的評価は、本音を言うと韓国人とケンカになりますから言いませんが、トモカクその中に春香の家で李夢龍を豪華な料理でもてなす箇所が有るんですよ。でも、もう唐辛子が入って来て百年以上になるのに、そこには唐辛子を使った料理が出てきません。
李朝時代の宮廷料理を食べさせるレストランが有りますが、あまり唐辛子が入っていないのも、それが本来の宮廷料理かどうかは別にして、李朝の王宮では伝統が守られたでしょうから、王朝の最後の方は別にして唐辛子を使わなかったのでしょう。
イギリスやドイツで主食らしき物と言えばジャガイモが思い当たりますが、これも唐辛子と同じく新大陸から入って来たものです。インドだってカレーは唐辛子抜きで辛くなかったと言います。
いずれも庶民から。上の人達は保守的で頭が固いと言う以上に、経済的に恵まれていますから、極めて狭い範囲だけのチョイスしか無くても、それだけでも相対的にかなり広い範囲になる為、庶民階級ほど簡単に新しいモノを受け入れなくても良いのでしょう。
食い物の話しばかりで恐縮ですが、代表的な日本食と外国人が思うものでも寿司、天麩羅、スキヤキ、ウナギの蒲焼、蕎麦、ラーメン、ヤキトリなど江戸時代以前には遡りません。「家康が天麩羅を食って死んだじゃないか」、「ヤキトリは縄文以前から有ったぞ」、「馴れ鮨は昔からだ」とか、面倒だから言いませんが、トモカクここ三百年の伝統です。陰旋律で奏される尺八の古典なんかも同じです。
幕末には、ほとんどの者が鎖国は日本の古来からの国策だと思っていました。辛亥革命の後でも辮髪に固執した漢人が多かったと言います。ほんの10年前までは、戦前の軍国主義は間違っていたが天皇制そのものは良かったと主張する人がマダいました。正しいとか間違っているとかは、しょせん見解の相違ですが今では極く少数でしょう。
「伝統」を売り文句にする人って、何かウソくささが有りますが、いずれにしろ時代の一局面を切り貼りして「伝統」を声高に主張する事も無くてはならないと思います。同時に強権による弾圧でもなければ、常に新しく伝統が積み上がる。これが芭蕉の言う「不易流行」でしょう。
その物が存在する以上は変わらない「不易」の部分。それでは尺八の「不易」とは。中を覗くと向こうが見える、それと歌口を外側から切る。この2点だけです。私はそう思います。
「伝統」とは壊すモノでもなければ、壊さなければならないモノでも無く、常に新しく積み上がるモノです。尺八を生活手段にして生きる我々も今からの伝統を創っているんですよ。
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