道場破り
- 2016/01/08
- 21:59
江戸時代には、剣術の道場に時たま腕に覚えの有る食い詰め浪人が道場破りとして現れたそうです。剣術修行をしている者だが一手ご教授をお願いしたい、そういう口上で他流試合を依頼するのです。
弱ければコテンパンにノサレて、場合によっては大ケガか片輪にされてオシマイですから、やる方も命がけです。とは言うものの、表面をとりつくろう事以外は諸事生ぬるい江戸時代ですから、江戸後期ともなれば、そうそうヘタな事には成りません。
道場破りは生活のかかった言わばプロですし、町道場の主も主で人気商売ですから、そこはプロ同士の論理で終始するのが普通です。
道場破りは、栄養不足でスタミナに欠ける体に鞭うって弟子を次々に撃破しても、満を持して(かどうかわかりませんが)出てくる道場主にはワザと負けるのです。「恐れ入りました。さすがは音に聞こえたⅩ先生。とうてい私ごときが歯のたつ相手ではございません」。そこで「いやいや、ソコモトもなかなか」。そして奥に通されて金一封を貰う。概ねこういう筋ガキでした。
勿論その前で弟子に惨敗したり、道場主が出てくるころには息をきらせてフラフラしていて、これならガチでも万が一にも負けることはない、そう思われたら、このカギリではないですよ。
この構図を守らない者も時にはいたでしょう。本気で「腕試しに来た」と言って道場主に呆れられる前に、理由を構えて門弟一同がよってたかって袋叩き、さもなければ契約してある他の道場の者がやってくる。実戦では通用するかどうか不明の軽い竹刀を見事に操る「道場剣法」の達人です。日頃「竹刀稽古」をしていない浪人相手では無敵でしょう。
ただ集団で袋にすれば評判が落ちるし、人を呼んでくるのも道場主の評価が上がらないのに金はかかりますから、これは愈々の場合です。
この呼吸は尺八を売る立場の者の心がけねばならない事ですね。師匠からの依頼で門人達が集まる練習日に尺八を持って稽古場に行きます。そこで、製管師自身が良い音で吹けなければ信用されません。でも、そこで万が一にも師匠の面子を潰す様な事があってはなりません。
「当たり前だ」とおっしゃりますかい。では、師匠がドベタだったらどうします。見え透いたベンチャラなんざ意味が有りませんぜ。何しろ尺八の弟子たるや、尺八の稽古場の外でなら社会経験の豊富な百戦錬磨の御歴歴なんですよ。
そこでどう立ち回れるかで、プロとしてのもう一面での上手下手が問われます。その弟子達の前で師匠の評価を上手に上げて、なお自分の商売にもする為には一定の主張もしなければなりません。言うほど簡単ではありませんぜ。
かつて、と言っても昭和30年代までは、尺八に入れ込んだ人が多く、尺八の師匠の所に「一手所望」と来た人がいたらしいのです。こっちは銭稼ぎではなくマジ修行です。戦前だと、本当の果し合いみたいな雰囲気を漂わせていた人がいたと聞きます。
昭和40年代でも。青木先生のところに郡川直樹さんが現れました。「八重衣を教えてください」。そこで少し吹かせてみた。「ああ、その程度なら六段からが良いでしょう」。そこで郡川さんが入門しました。この話はお二人から別々の機会に直接聞きました。こういう熱き血潮の滾った時代が尺八にも有ったのですよ。
弱ければコテンパンにノサレて、場合によっては大ケガか片輪にされてオシマイですから、やる方も命がけです。とは言うものの、表面をとりつくろう事以外は諸事生ぬるい江戸時代ですから、江戸後期ともなれば、そうそうヘタな事には成りません。
道場破りは生活のかかった言わばプロですし、町道場の主も主で人気商売ですから、そこはプロ同士の論理で終始するのが普通です。
道場破りは、栄養不足でスタミナに欠ける体に鞭うって弟子を次々に撃破しても、満を持して(かどうかわかりませんが)出てくる道場主にはワザと負けるのです。「恐れ入りました。さすがは音に聞こえたⅩ先生。とうてい私ごときが歯のたつ相手ではございません」。そこで「いやいや、ソコモトもなかなか」。そして奥に通されて金一封を貰う。概ねこういう筋ガキでした。
勿論その前で弟子に惨敗したり、道場主が出てくるころには息をきらせてフラフラしていて、これならガチでも万が一にも負けることはない、そう思われたら、このカギリではないですよ。
この構図を守らない者も時にはいたでしょう。本気で「腕試しに来た」と言って道場主に呆れられる前に、理由を構えて門弟一同がよってたかって袋叩き、さもなければ契約してある他の道場の者がやってくる。実戦では通用するかどうか不明の軽い竹刀を見事に操る「道場剣法」の達人です。日頃「竹刀稽古」をしていない浪人相手では無敵でしょう。
ただ集団で袋にすれば評判が落ちるし、人を呼んでくるのも道場主の評価が上がらないのに金はかかりますから、これは愈々の場合です。
この呼吸は尺八を売る立場の者の心がけねばならない事ですね。師匠からの依頼で門人達が集まる練習日に尺八を持って稽古場に行きます。そこで、製管師自身が良い音で吹けなければ信用されません。でも、そこで万が一にも師匠の面子を潰す様な事があってはなりません。
「当たり前だ」とおっしゃりますかい。では、師匠がドベタだったらどうします。見え透いたベンチャラなんざ意味が有りませんぜ。何しろ尺八の弟子たるや、尺八の稽古場の外でなら社会経験の豊富な百戦錬磨の御歴歴なんですよ。
そこでどう立ち回れるかで、プロとしてのもう一面での上手下手が問われます。その弟子達の前で師匠の評価を上手に上げて、なお自分の商売にもする為には一定の主張もしなければなりません。言うほど簡単ではありませんぜ。
かつて、と言っても昭和30年代までは、尺八に入れ込んだ人が多く、尺八の師匠の所に「一手所望」と来た人がいたらしいのです。こっちは銭稼ぎではなくマジ修行です。戦前だと、本当の果し合いみたいな雰囲気を漂わせていた人がいたと聞きます。
昭和40年代でも。青木先生のところに郡川直樹さんが現れました。「八重衣を教えてください」。そこで少し吹かせてみた。「ああ、その程度なら六段からが良いでしょう」。そこで郡川さんが入門しました。この話はお二人から別々の機会に直接聞きました。こういう熱き血潮の滾った時代が尺八にも有ったのですよ。
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