困った話 壱
- 2016/01/14
- 23:14
箏で海外演奏をする場合には大変ですね。前は飛行機でも無料で運んでくれたんですけどね。その上、旅行支度の上に箏を持って海外旅行では面倒な事この上も無いと同情します。
昔は糸方には目の見えない人が多く、その場合には「お手引き」と称する付き添いの人がいました。私の若い頃では健常者でも女性邦楽家は一人では演奏会に来なかったものです。
箏をタクシーで運ぶのも、当時のタクシーの運転手は今と違って態度の悪い者もいましたので、時にはイヤな思いもしたようです。
そのうちに女性でも運転免許をとって、自分で自動車を運転する人達が多くなりました。現在の人にはピンとこないでしょうが、昭和30年代までは女性で運転免許を持っている人なんていなかったのですよ。箏曲の世界で最初の女性ドライバーというと、タブン小橋幹子先生あたりではないですかね。
昭和40年代までは「イチ姫ニ虎サンダンプ」といって女性ドライバーは、その運転の下手さ故に、それは怖がられたものです。かつては酔っ払い運転は横行していましたし、ダンプのマナーは最悪でしたが、女性の未熟運転のオッカナサはそれ以上だったということです。
大きな声じゃ言えないから、こうして声を出さない方法で密かにバラすのですが、小橋先生と宮城喜代子、数江の両御大を乗せた車が箱根の駐車場から転落したのは昭和50年だったですかね。どうしてって?自動車が自分で落ちるわけネエでしょうが・・・。でも御三方とも入院ですんだのは不幸中の幸いでしたな。
尺八でも私の場合は展示会で多数の尺八を運ぶ必要がありますから自動車でなければなりません。北海道や九州では人は飛行機で行って、荷物はあらかじめ宅急便で送っておくのです。後はレンタカーです。
海外展示会では同時に飛行機に積む以外に方法がありませんから、心配が付き纏います。私は運が良いんですね。これまで百回近く海外に行っていますが、バッケージトラブルに巻き込まれたのは2回だけです。
一回目は30年以上前に家内とパリに行った時にくらいました。空港でホテル名を記録して、「後で送るから」と言われましたが、何日待っても届きません。私はフランス語はメルシーとボンジュール、あとウエ~(~は何処ですか?)くらいしか分かりませんし、私の下手な英語では、私以上にヘタなフランス人とはキッチリとした話が出来ません。
困っていたらホテルのボーイが目に入りました。その人はカンボジア人で、おそらくは留学していた元エリートで、ポルポトの大虐殺の有った後も混乱の続くカンボジアに帰りそびれていたんでしょう。
聞くとフランス語はモチロン英語もペラペラとのこと、彼に交渉してもらい無事に荷物はホテルに届きました。
二回目はおととしのドイツ展示会でした。この時も尺八をギッシリつめこんだ大型トランク3個のうち1個がミュンヘンの空港に届いていなかったのです。空港職員に説明してホテルでマル一日待ちましたが来ないので、やむなく展示会場のラドルフツエルに移動しましたよ。
頼りにしたのは英語に堪能な柿堺香さんです。でも柿堺さんが言うには、「電話でドイツ人と交渉するにはジムさんが良いです」とのこと。でもドイツ尺八の大ボス、ジム・フランクリンは英語、ドイツ語は自由に話せても日本語が上手ではないのです。結局、日英独を自在に操る女性尺八家ニーナ・ハーラーに依頼しました。トランクはフランクフルトに行っていたとの事で、翌日無事に届きました。
今、尺八は本格的な海外展開の始まったところです。毎年海外展示会をおこなっているのは私の所だけです。揺籃期特有の笑える話、笑えない話、困った話。これからオリにふれお話ししましょうよ。
昔は糸方には目の見えない人が多く、その場合には「お手引き」と称する付き添いの人がいました。私の若い頃では健常者でも女性邦楽家は一人では演奏会に来なかったものです。
箏をタクシーで運ぶのも、当時のタクシーの運転手は今と違って態度の悪い者もいましたので、時にはイヤな思いもしたようです。
そのうちに女性でも運転免許をとって、自分で自動車を運転する人達が多くなりました。現在の人にはピンとこないでしょうが、昭和30年代までは女性で運転免許を持っている人なんていなかったのですよ。箏曲の世界で最初の女性ドライバーというと、タブン小橋幹子先生あたりではないですかね。
昭和40年代までは「イチ姫ニ虎サンダンプ」といって女性ドライバーは、その運転の下手さ故に、それは怖がられたものです。かつては酔っ払い運転は横行していましたし、ダンプのマナーは最悪でしたが、女性の未熟運転のオッカナサはそれ以上だったということです。
大きな声じゃ言えないから、こうして声を出さない方法で密かにバラすのですが、小橋先生と宮城喜代子、数江の両御大を乗せた車が箱根の駐車場から転落したのは昭和50年だったですかね。どうしてって?自動車が自分で落ちるわけネエでしょうが・・・。でも御三方とも入院ですんだのは不幸中の幸いでしたな。
尺八でも私の場合は展示会で多数の尺八を運ぶ必要がありますから自動車でなければなりません。北海道や九州では人は飛行機で行って、荷物はあらかじめ宅急便で送っておくのです。後はレンタカーです。
海外展示会では同時に飛行機に積む以外に方法がありませんから、心配が付き纏います。私は運が良いんですね。これまで百回近く海外に行っていますが、バッケージトラブルに巻き込まれたのは2回だけです。
一回目は30年以上前に家内とパリに行った時にくらいました。空港でホテル名を記録して、「後で送るから」と言われましたが、何日待っても届きません。私はフランス語はメルシーとボンジュール、あとウエ~(~は何処ですか?)くらいしか分かりませんし、私の下手な英語では、私以上にヘタなフランス人とはキッチリとした話が出来ません。
困っていたらホテルのボーイが目に入りました。その人はカンボジア人で、おそらくは留学していた元エリートで、ポルポトの大虐殺の有った後も混乱の続くカンボジアに帰りそびれていたんでしょう。
聞くとフランス語はモチロン英語もペラペラとのこと、彼に交渉してもらい無事に荷物はホテルに届きました。
二回目はおととしのドイツ展示会でした。この時も尺八をギッシリつめこんだ大型トランク3個のうち1個がミュンヘンの空港に届いていなかったのです。空港職員に説明してホテルでマル一日待ちましたが来ないので、やむなく展示会場のラドルフツエルに移動しましたよ。
頼りにしたのは英語に堪能な柿堺香さんです。でも柿堺さんが言うには、「電話でドイツ人と交渉するにはジムさんが良いです」とのこと。でもドイツ尺八の大ボス、ジム・フランクリンは英語、ドイツ語は自由に話せても日本語が上手ではないのです。結局、日英独を自在に操る女性尺八家ニーナ・ハーラーに依頼しました。トランクはフランクフルトに行っていたとの事で、翌日無事に届きました。
今、尺八は本格的な海外展開の始まったところです。毎年海外展示会をおこなっているのは私の所だけです。揺籃期特有の笑える話、笑えない話、困った話。これからオリにふれお話ししましょうよ。
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