遠砧の思い出
- 2016/01/18
- 23:20
遠砧という宮城道雄の曲は尺八を始めてからダイタイ一年以内に練習する、マア言うてみれば軽い曲だということなんでしょうが、私は個人的に好きなのです。これまで何回か舞台で演奏しました。何ていうかリズムが心地良いのです。私みたいなレベルで乗れる嬉しい曲です。
宮城道雄には他に唐砧とか砧とか有ります。唐砧は名曲だと思いますが、尺八で吹くことは出来ません。宮城曲には「こういう様に中途半端な洋楽知識が入り込んで出来ている」とのマイナス評価がついてまわりますが、何でも良いじゃないですか、聴いて良ければ理屈はいらないと思うのですが・・・。
唐砧は道雄の朝鮮時代の曲ですが、この他「水の変態」でしょ、「春の夜」でしょ、「初鶯」でしょ、朝鮮時代には良い曲が有りますな。
砧は言ってみれば昔のアイロンで、洗った布を敲いてシワを伸ばす為の道具です。現実に使っているのを見た事の有る人はもういないでしょう。私も砧の実物は見た記憶が有りますが、使っているのを見た事は有りません。でも聞いた事は有るのでは、と思っています。若い頃に韓国の田舎で聞いたと思うのですが、もしかして違うかも知れません。
遠砧とか地歌の砧地のイメージではなくて、カーン、カーンと乾いた音が単調に響いていました。ただ、音だけですから別のものを砧と思いこんでいるのかもしれません。
砧は秋の風物詩で物寂しいイメージが有ります。中国がこのステレオタイプのイメージの御本家で、李白や白楽天の詩と共に心象風景も伝わったのでしょう。この辺りは日本や朝鮮に共通する事だと思います。
古代にも炭火や熱湯を入れて使うアイロンは有りましたが、庶民が手っ取り早く使える道具が砧だったと思います。
もう今では想像で作ったイメージですから秋の情景と言っても「オリャア砧なんぞ聞いたことも無いし、何とも思わねえ」と言う人がいるのは当然です。残念ながら現実感や実際の記憶に基ずく印象ではありません。
私はこういう古い時代の美意識も良いなあと思いますが、教え込んだり強制したりするのは反対です。百人一首は私の息子達の時代は中学で丸暗記させられました。ですから3ヶ月もするとキレイに忘れてしまいました。昔は遊びですからね、自然に覚えられました。そしていつまでも憶えています。
私の子供の頃、「二ケタの足し算も出来ねえんじゃねえか」と日頃思っていたオトナが何かの拍子に「みよしのの 山の秋風さよふけて」とか言って驚いたものですわ。
でも昔の人が知らない事を今の子供はたくさん知っています。昔のオトナが束になっても太刀打ちできない古典オタクの少年もいます。そういう多層で厚みの有る社会に日本もなったと思うんですよ。
つまり、何時も言ってる事。尺八も何でも有。方法論でも価値観でもゴチャゴチャの多様化した状態から、自然に有るべき姿が出てきて、そしてしばらくすると、またゴチャゴチャになる、こういうの好きですねえ・・・。.
昔の洗濯は洗って砧でたたいてシワをとる、。それだって階層が異なると違う方法でやっていた人だっていました。今は砧を使う人なんて趣味でもいないでしょう。
宮城道雄には他に唐砧とか砧とか有ります。唐砧は名曲だと思いますが、尺八で吹くことは出来ません。宮城曲には「こういう様に中途半端な洋楽知識が入り込んで出来ている」とのマイナス評価がついてまわりますが、何でも良いじゃないですか、聴いて良ければ理屈はいらないと思うのですが・・・。
唐砧は道雄の朝鮮時代の曲ですが、この他「水の変態」でしょ、「春の夜」でしょ、「初鶯」でしょ、朝鮮時代には良い曲が有りますな。
砧は言ってみれば昔のアイロンで、洗った布を敲いてシワを伸ばす為の道具です。現実に使っているのを見た事の有る人はもういないでしょう。私も砧の実物は見た記憶が有りますが、使っているのを見た事は有りません。でも聞いた事は有るのでは、と思っています。若い頃に韓国の田舎で聞いたと思うのですが、もしかして違うかも知れません。
遠砧とか地歌の砧地のイメージではなくて、カーン、カーンと乾いた音が単調に響いていました。ただ、音だけですから別のものを砧と思いこんでいるのかもしれません。
砧は秋の風物詩で物寂しいイメージが有ります。中国がこのステレオタイプのイメージの御本家で、李白や白楽天の詩と共に心象風景も伝わったのでしょう。この辺りは日本や朝鮮に共通する事だと思います。
古代にも炭火や熱湯を入れて使うアイロンは有りましたが、庶民が手っ取り早く使える道具が砧だったと思います。
もう今では想像で作ったイメージですから秋の情景と言っても「オリャア砧なんぞ聞いたことも無いし、何とも思わねえ」と言う人がいるのは当然です。残念ながら現実感や実際の記憶に基ずく印象ではありません。
私はこういう古い時代の美意識も良いなあと思いますが、教え込んだり強制したりするのは反対です。百人一首は私の息子達の時代は中学で丸暗記させられました。ですから3ヶ月もするとキレイに忘れてしまいました。昔は遊びですからね、自然に覚えられました。そしていつまでも憶えています。
私の子供の頃、「二ケタの足し算も出来ねえんじゃねえか」と日頃思っていたオトナが何かの拍子に「みよしのの 山の秋風さよふけて」とか言って驚いたものですわ。
でも昔の人が知らない事を今の子供はたくさん知っています。昔のオトナが束になっても太刀打ちできない古典オタクの少年もいます。そういう多層で厚みの有る社会に日本もなったと思うんですよ。
つまり、何時も言ってる事。尺八も何でも有。方法論でも価値観でもゴチャゴチャの多様化した状態から、自然に有るべき姿が出てきて、そしてしばらくすると、またゴチャゴチャになる、こういうの好きですねえ・・・。.
昔の洗濯は洗って砧でたたいてシワをとる、。それだって階層が異なると違う方法でやっていた人だっていました。今は砧を使う人なんて趣味でもいないでしょう。
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