無銭旅行
- 2016/01/25
- 20:10
昭和39年に海外旅行が一般の人間にも解禁されました。それでも普通の人間にとっては海外旅行は夢。まして金の無い若者には夢のまた夢です。
何しろ昭和39年といえば大学出て貰う初めての月給が総支給2万円程度。解禁されてすぐの海外ツアーがヨーロッパ17日間71万5千円ですものね。
私が大学に入った昭和44年頃に大学生協の積立金旅行というのが有りました。毎月5千円位ずつ積むのです。それで4年積むと20何万かになって卒業旅行にヨーロッパへ20日間ほど行けるというものでした。つまり解禁の時からくらべると大分安くなってはいましたが、やっぱり手が届かない事に変わりはありません。
大学の時を過ぎて、就職してしまえばモハヤ長期の休みはとれません。かと言って、その頃はワーキングホリデーなんぞは有りません。
それでも金が無いのに長期にわたる海外旅行をしたモサがいました。
まずドカタみたいな稼げるバイトをします。当時はキツイことさえ厭わなければ、若い者には金の稼げるドカタ仕事がいくらでも有りました。必死でやれば半年で20万は貯まりました。
前に言ったように、当時のヨーロッパ最安値ルートは、横浜ーナホトカ間船、ナホトカ―ハバロフスク間シベリア鉄道、ハバロフスクーモスクワ間ソ連国内航空、モスクワーヘルシンキ国際鉄道です。
日本を出る時に20万円もっていれば、ヘルシンキの駅に降り立った時、まだ10万がところ財布に入っているはずです。
当時の貧乏学生はまずオトナリ、スウェーデンのストックホルムを目指しました。高給、人手不足、ビザについてウルサイ事を言わない、労働環境が良いなど、貧乏旅行が目的の学生にとってストックホルムは楽園でした。その上に名だたる北欧のフリーセックスとくれば、性欲の絶頂期にあった大学生は聞いただけで涎を垂らしたものです。
ストックホルムのレストランで皿洗いのバイトを探すと、何回か足を運ぶとバイトの口は見つかったそうです。そうやって何か月か働いて金を貯めて旅行。その金が無くなると、またストックホルムに舞い戻ってバイトを再開して長期のヨーロッパ滞在を実現しました。
アメリカとなると、かなり難易度は高くなります。基本的にビザ無し労働では生きていけませんでした。
その頃、すこし後かな、尺八の托鉢で日本一周無銭旅行をした人がいるのです。週刊誌で読みましたもの・・・。
今、この時点で尺八で海外無銭旅行って可能でしょうか?いくら無銭とは言えゲルピンで出来るわけないです。そこで、欧米、半年間、飛行機代は別で20万円は持って行く事にしましょう。それで尺八以外では金を稼がない。どうです?
出来ますね。今なら。ただし、4月から9月までの半年間という限定です。
10数年前に山戸朋盟さんがやった方法と基本的には同じです。山戸さんは物価の安い中欧、東欧で虚無僧の場立をやって1日2千円弱を稼ぎましたが、虚無僧の姿でやるなら西欧。フランス、イギリス、オランダ、べルギー、スイス、ドイツ、イタリア。ここで日に3千円(20ユーロ強)稼ぐことは可能です。ヨーロッパの広場にいる大道芸人を見ていての推定です。
では1日3千円で暮らせるのか?4月から9月の半年間が、イザという場合に寝袋野宿の可能な時期ですが、私のこれまでの経験から言うと、ダイタイは泊めてくれるチャンスに巡りあうと思います。モチロン黙って待っていたって現地で友人なんて出来っこありませんよ。
「イイカゲンなことを言うな、そんなに甘いわけがない」。 ホウ、そうですかい。その反応で尺八で生活できる人かどうか分かります。これからの尺八は邦楽の枠を離れるんですよ。と言うより邦楽の中では、もう生きられないの。
虚無僧衣装、尺八という特級のカラーを持ってのヨーロッパ、アメリカ放浪ですら親しい友人が作れないような器量なら、アンタに見込みはネエよ。
何しろ昭和39年といえば大学出て貰う初めての月給が総支給2万円程度。解禁されてすぐの海外ツアーがヨーロッパ17日間71万5千円ですものね。
私が大学に入った昭和44年頃に大学生協の積立金旅行というのが有りました。毎月5千円位ずつ積むのです。それで4年積むと20何万かになって卒業旅行にヨーロッパへ20日間ほど行けるというものでした。つまり解禁の時からくらべると大分安くなってはいましたが、やっぱり手が届かない事に変わりはありません。
大学の時を過ぎて、就職してしまえばモハヤ長期の休みはとれません。かと言って、その頃はワーキングホリデーなんぞは有りません。
それでも金が無いのに長期にわたる海外旅行をしたモサがいました。
まずドカタみたいな稼げるバイトをします。当時はキツイことさえ厭わなければ、若い者には金の稼げるドカタ仕事がいくらでも有りました。必死でやれば半年で20万は貯まりました。
前に言ったように、当時のヨーロッパ最安値ルートは、横浜ーナホトカ間船、ナホトカ―ハバロフスク間シベリア鉄道、ハバロフスクーモスクワ間ソ連国内航空、モスクワーヘルシンキ国際鉄道です。
日本を出る時に20万円もっていれば、ヘルシンキの駅に降り立った時、まだ10万がところ財布に入っているはずです。
当時の貧乏学生はまずオトナリ、スウェーデンのストックホルムを目指しました。高給、人手不足、ビザについてウルサイ事を言わない、労働環境が良いなど、貧乏旅行が目的の学生にとってストックホルムは楽園でした。その上に名だたる北欧のフリーセックスとくれば、性欲の絶頂期にあった大学生は聞いただけで涎を垂らしたものです。
ストックホルムのレストランで皿洗いのバイトを探すと、何回か足を運ぶとバイトの口は見つかったそうです。そうやって何か月か働いて金を貯めて旅行。その金が無くなると、またストックホルムに舞い戻ってバイトを再開して長期のヨーロッパ滞在を実現しました。
アメリカとなると、かなり難易度は高くなります。基本的にビザ無し労働では生きていけませんでした。
その頃、すこし後かな、尺八の托鉢で日本一周無銭旅行をした人がいるのです。週刊誌で読みましたもの・・・。
今、この時点で尺八で海外無銭旅行って可能でしょうか?いくら無銭とは言えゲルピンで出来るわけないです。そこで、欧米、半年間、飛行機代は別で20万円は持って行く事にしましょう。それで尺八以外では金を稼がない。どうです?
出来ますね。今なら。ただし、4月から9月までの半年間という限定です。
10数年前に山戸朋盟さんがやった方法と基本的には同じです。山戸さんは物価の安い中欧、東欧で虚無僧の場立をやって1日2千円弱を稼ぎましたが、虚無僧の姿でやるなら西欧。フランス、イギリス、オランダ、べルギー、スイス、ドイツ、イタリア。ここで日に3千円(20ユーロ強)稼ぐことは可能です。ヨーロッパの広場にいる大道芸人を見ていての推定です。
では1日3千円で暮らせるのか?4月から9月の半年間が、イザという場合に寝袋野宿の可能な時期ですが、私のこれまでの経験から言うと、ダイタイは泊めてくれるチャンスに巡りあうと思います。モチロン黙って待っていたって現地で友人なんて出来っこありませんよ。
「イイカゲンなことを言うな、そんなに甘いわけがない」。 ホウ、そうですかい。その反応で尺八で生活できる人かどうか分かります。これからの尺八は邦楽の枠を離れるんですよ。と言うより邦楽の中では、もう生きられないの。
虚無僧衣装、尺八という特級のカラーを持ってのヨーロッパ、アメリカ放浪ですら親しい友人が作れないような器量なら、アンタに見込みはネエよ。
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