需要の趨勢
- 2016/02/01
- 10:09
昨晩遅く東海地方の展示会から戻りました。展示会で間断なく日本全国、あるいは海外をまわって、たくさんの人と話していると、尺八の今が見えてきます。そしてチョッピリ将来も見えます。
20年前ですと、展示会は年に1,2回しか出来ませんでした。やれば売れる事は分かっていましたが、生産が注文に追い付かず、展示する商品が無いので実行出来ませんでした。
やがて私の会社も人が育ってきて、ようやく全国展開が可能になったのが1998年です。
当時は大都市がターゲットで同じ会場で2日間やりました。それで出来た都市は、札幌、盛岡、仙台、千葉、大宮、東京、横浜、鎌倉、名古屋、京都、大阪、神戸、姫路、岡山、広島、下関、高松、北九州、福岡。これだけ有りました。まだまだ尺八界は元気だったのですね。
これだけ有ると2,3年おきにしか回れない都市が大多数で、毎年のレギュラーは鎌倉と大阪だけです。中小の街は、たとえそれが県庁所在地でも行けませんでしたわ。
それが10年前くらいから、同じ街で2回やると、2日目には売り上げがガタンと落ちはじめ、2都市に分散する事が段々多くなっていき、東京でも3年前から、大阪でも去年から連続2日は出来無くなりました。
そして今は交通費と宣伝費が節約できる3都市開催です。これは尺八界が超高齢化した為、1時間以内でないと人が出てこなくなった事が大きいですね。近く4都市開催になります。もう九州と北海道はそれでないと経費倒れになるでしょう。
体はキツクなりましたが、マイナスばかりではありません。これまで行けなかった規模の街に行けるようになり、より詳細に事情が分かるようになってきました。
10年前くらいから「インターネットで宣伝を見た」と言う方が少しずつ増えました。好みも軽く細い尺八に移ったのも高齢化と女性が増えた為ですし、、民謡尺八がほとんど新需要を生み出していない事も分かりました。
何よりの変化は、尺八を単なる楽器と捉える人が増えた事です。その為、これまでの「神秘性」は薄れました。ですから、尺八に精神性や哲学を求める人達がいなくなり、バカバカしいけど妙に同感するする話も聞けなくなりました。
とは言え、今のところまだ尺八界での音楽知識は洋楽の人が聞けば笑うレベルですが、それでも以前と比べたら・・・。過渡期ですから、やがてはこの面でも高度化しますよ。「それは洋楽の音楽理論だ」と愚かな事を言って笑われる人は、ホントウ、少なくなりましたねえ。でも「邦楽の理論」を理解している人も昔よりズ~と増えました。つまり文化や音楽を分かる人が増えたということです。
この尺八界の変化は展示会を開いて、あらゆる流派の人と接しているとハッキリ分かります。流に実体が無くなった事も、社中は今後は一代限りのファンクラブと化すということも自明の事です。「信じない」というオカタ、自由ですよ、それは自由。
その判断の結果は、それで生活している人間以外は関係無いですよ。
エッ、自分は尺八で生活してるって・・・。それなら後で泣きついてこないでね。これまでは微力ながら援助しましたが、もう私もそんな気前の良いことはしていられませんし、それにこれだけ言ってきたんですからね。
20年前ですと、展示会は年に1,2回しか出来ませんでした。やれば売れる事は分かっていましたが、生産が注文に追い付かず、展示する商品が無いので実行出来ませんでした。
やがて私の会社も人が育ってきて、ようやく全国展開が可能になったのが1998年です。
当時は大都市がターゲットで同じ会場で2日間やりました。それで出来た都市は、札幌、盛岡、仙台、千葉、大宮、東京、横浜、鎌倉、名古屋、京都、大阪、神戸、姫路、岡山、広島、下関、高松、北九州、福岡。これだけ有りました。まだまだ尺八界は元気だったのですね。
これだけ有ると2,3年おきにしか回れない都市が大多数で、毎年のレギュラーは鎌倉と大阪だけです。中小の街は、たとえそれが県庁所在地でも行けませんでしたわ。
それが10年前くらいから、同じ街で2回やると、2日目には売り上げがガタンと落ちはじめ、2都市に分散する事が段々多くなっていき、東京でも3年前から、大阪でも去年から連続2日は出来無くなりました。
そして今は交通費と宣伝費が節約できる3都市開催です。これは尺八界が超高齢化した為、1時間以内でないと人が出てこなくなった事が大きいですね。近く4都市開催になります。もう九州と北海道はそれでないと経費倒れになるでしょう。
体はキツクなりましたが、マイナスばかりではありません。これまで行けなかった規模の街に行けるようになり、より詳細に事情が分かるようになってきました。
10年前くらいから「インターネットで宣伝を見た」と言う方が少しずつ増えました。好みも軽く細い尺八に移ったのも高齢化と女性が増えた為ですし、、民謡尺八がほとんど新需要を生み出していない事も分かりました。
何よりの変化は、尺八を単なる楽器と捉える人が増えた事です。その為、これまでの「神秘性」は薄れました。ですから、尺八に精神性や哲学を求める人達がいなくなり、バカバカしいけど妙に同感するする話も聞けなくなりました。
とは言え、今のところまだ尺八界での音楽知識は洋楽の人が聞けば笑うレベルですが、それでも以前と比べたら・・・。過渡期ですから、やがてはこの面でも高度化しますよ。「それは洋楽の音楽理論だ」と愚かな事を言って笑われる人は、ホントウ、少なくなりましたねえ。でも「邦楽の理論」を理解している人も昔よりズ~と増えました。つまり文化や音楽を分かる人が増えたということです。
この尺八界の変化は展示会を開いて、あらゆる流派の人と接しているとハッキリ分かります。流に実体が無くなった事も、社中は今後は一代限りのファンクラブと化すということも自明の事です。「信じない」というオカタ、自由ですよ、それは自由。
その判断の結果は、それで生活している人間以外は関係無いですよ。
エッ、自分は尺八で生活してるって・・・。それなら後で泣きついてこないでね。これまでは微力ながら援助しましたが、もう私もそんな気前の良いことはしていられませんし、それにこれだけ言ってきたんですからね。
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