鹿の遠音
- 2016/02/06
- 21:47
「鹿の遠音」は古典本曲の中で、と言うより本曲の中で最も有名な曲です。中学の音楽の時間の鑑賞曲となっていますが、聞いてみると、ほとんどの人が印象に残っていないようです。ですから本曲中最高知名度と言っても、「春の海」と比べものにならない程度に知られているんですね。だって、他の本曲って正確な言葉で言うと、無名です。
「鹿の遠音」は夫婦の愛情を表現した曲で、同じく親子の情愛を表した「鶴の巣籠」と共に、古典本曲の中で珍しく宗教性の無い曲である。こういう解説を聞いた事があるでしょう。私は学者じゃないので、そう言われれば、あえて逆らいはしませんよ。でもねえ・・・。本当なの?それはまたの機会にでも・・・。
もう40年前ですが、本州で一番早く初日の出が見られる鹿島セントラルホテルに雇われて、大晦日から1月3日まで泊まり客のために尺八の演奏をしました。尺八2に箏2で、1日2回それぞれ30分の演奏をする契約でした。
最後の日になると出す曲が無くなり、もう一人の尺八と相談して「鹿の遠音」を吹くことにしました。相方は都山の尺八吹きでしたが、「何とかなる、どうせ知ってる者なんかいない、それらしく吹けばそれで世間は通るんだ」と心で思ったわけではケッシテないですよ。そうハッキリ相方に言ったのです。
そうしたら、いるんですよね、琴古の「鹿の遠音」を知ってた人が。それで恥をかいたかって、アナタ本気で聞いてるの。
都山流に「鶴の巣籠」という本曲が有ります。これって古典本曲ですか?「古典」という概念を狭く限定すれば違うでしょうね。でも20年前に都山流尺八楽会の理事長だった高平艟山先生は、古典本曲を吹きたいなら、この曲を吹けば良い、確かにそう言いましたよ。
この曲は「三段巣篭」プラス初代都山のオリジナルです。私は高平先生の言い分にも一理有ったと思います。
青木鈴慕先生や横山勝也先生の「鹿の遠音」は、私の若い頃には川瀬派のお年寄りから「川瀬派では、あんな吹き方はしない」と言われていました。
私は竹保流の「鹿の遠音」を二代竹保先生から習いましたがね、それは琴古のとかなり違っています。
「鹿の遠音」は全部吹くと40分かかります。誰もが適当に端折るんです。何処をどのくらい削るかは本来自由のはずです。
つまりは古典本曲とは、かなりの融通性をもっていて、それだけ吹く人の裁量とか感性に左右されるんです。だから素晴らしい。流という存在は、それを「形」というカタチに固定して誠実に復元するわけです。だから、それも素晴らしい。
音楽には、いろんな在り方が有って、それだから素晴らしい。
適当にしか吹けない者は適当に吹けばよい。これって誰が言ったと思います?文章にすると真意が伝わらないかも知れませんが、青木鈴慕先生です。
「鹿の遠音」は夫婦の愛情を表現した曲で、同じく親子の情愛を表した「鶴の巣籠」と共に、古典本曲の中で珍しく宗教性の無い曲である。こういう解説を聞いた事があるでしょう。私は学者じゃないので、そう言われれば、あえて逆らいはしませんよ。でもねえ・・・。本当なの?それはまたの機会にでも・・・。
もう40年前ですが、本州で一番早く初日の出が見られる鹿島セントラルホテルに雇われて、大晦日から1月3日まで泊まり客のために尺八の演奏をしました。尺八2に箏2で、1日2回それぞれ30分の演奏をする契約でした。
最後の日になると出す曲が無くなり、もう一人の尺八と相談して「鹿の遠音」を吹くことにしました。相方は都山の尺八吹きでしたが、「何とかなる、どうせ知ってる者なんかいない、それらしく吹けばそれで世間は通るんだ」と心で思ったわけではケッシテないですよ。そうハッキリ相方に言ったのです。
そうしたら、いるんですよね、琴古の「鹿の遠音」を知ってた人が。それで恥をかいたかって、アナタ本気で聞いてるの。
都山流に「鶴の巣籠」という本曲が有ります。これって古典本曲ですか?「古典」という概念を狭く限定すれば違うでしょうね。でも20年前に都山流尺八楽会の理事長だった高平艟山先生は、古典本曲を吹きたいなら、この曲を吹けば良い、確かにそう言いましたよ。
この曲は「三段巣篭」プラス初代都山のオリジナルです。私は高平先生の言い分にも一理有ったと思います。
青木鈴慕先生や横山勝也先生の「鹿の遠音」は、私の若い頃には川瀬派のお年寄りから「川瀬派では、あんな吹き方はしない」と言われていました。
私は竹保流の「鹿の遠音」を二代竹保先生から習いましたがね、それは琴古のとかなり違っています。
「鹿の遠音」は全部吹くと40分かかります。誰もが適当に端折るんです。何処をどのくらい削るかは本来自由のはずです。
つまりは古典本曲とは、かなりの融通性をもっていて、それだけ吹く人の裁量とか感性に左右されるんです。だから素晴らしい。流という存在は、それを「形」というカタチに固定して誠実に復元するわけです。だから、それも素晴らしい。
音楽には、いろんな在り方が有って、それだから素晴らしい。
適当にしか吹けない者は適当に吹けばよい。これって誰が言ったと思います?文章にすると真意が伝わらないかも知れませんが、青木鈴慕先生です。
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