プロって?
- 2016/02/11
- 18:08
若い人から、尺八の演奏家ってプロの音楽家って言えないのではないか、そう質問された事があります。まだ藤原道山さんみたいな純然たるコンサートプロが出てくる前ですよ。
その若者は、プロを狭く限定して考えていたんですね。、レコードやチケットを弟子をあてにせずガチで売る、収入のほとんどがギャラ、免状売りはしない、「手打ちコンサート」もしない。プロにこういうイメージを抱いていたんでしょうが、当時にあっては、そんな人ってネプチューンさんとか坂田誠山先生とか、ほかにいくらも存在していなかったのです。
もし当時の尺八家の収入の仕組みをもって、「プロでない」と断じるならば、プロ野球選手や落語家の大半もプロじゃなくなります。たとえどんな形であれ、その人の持ってるモノに価値を見出す人がいて、命の次の次くらいに大切な金を出し、それで暮らしが立つなら立派なプロでしょうが。
山口五郎先生には私の企画した演奏会に3回出ていただきました。その3回目ですよ、山口先生から謝礼について御要望が出されました。
御存知の方もいらしゃると思いますが、山口先生は謝礼については全く何もおっしゃらない方です。初めて出ていただく時に、おそるおそる聞きましたが、「お任せします。もし、いただけないから、それでも結構ですよ」がご返事でした。
ですから、これは異例の事なのです。
その時は山口先生には二曲お願いしていました。福田種彦先生、柴山三栄子先生とで「松竹梅」。これは私のオーダーです。もう一曲は山口先生ご自身の希望で「五段砧」。相方も御指名で米川敏子先生でした。
「米川先生には私の希望で出ていただくわけです。私の分はいりませんから、その分を米川先生の謝礼にプラスしていただけませんか」、これが山口先生のお申し出でした。
私の企画した演奏会は異例に謝礼が薄いことは先刻ご承知でしたから、米川先生に気を使われたわけです。
それで? 「ああ、そうですかと先方の言う通りにした」ですと、アナタは私の人間性について相当の偏見を持っていますな。
「山口、米川ご両人とも謝礼を3倍にした」。正解、良く分かりましたねえ、と言えたら良いんですがね。これって難問ですよ。
他に大勢の邦楽家に出ていただいていましたし、何回か演奏会を重ねるうちに、「ギャラは安くとも良い。その代りに平等にして欲しい」というのが邦楽家の皆さんの気持ちだと分かっていました。当たり前ですよね、皆がそれぞれ大勢の一門を率いるトップなのですから。面子が有ります。そうかと言って全員の謝礼を倍にしたら、会は大赤字になります。
結局は、山口先生とご相談して、米川先生の謝礼に少々色を付けることでまとまりましたが、相手は山口五郎と米川敏子ですから、たとえ謝礼が幾らであれ絶対に文句も出ませんし、他に明かすことも無いのです。何しろ米川先生にその半年前に出ていただいた時に、謝礼を渡す係の者がうっかりして渡しそびれて、私が翌日大慌てでご自宅にお持ちしたことが有りましたが、謝礼を受け取らずにお帰りになって、それで恐縮して謝りに行くと、「わざわざいらしていただいて、かえって悪かったですね。私が持って帰れば良かったのに、うっかりしたばかりに貴方には余計なご足労をおかけしました」とのお言葉です。
問題となるのは気持ち、心映えの有り様です。金は後回し。これがプロの邦楽家の意気地でした。その品格は家元制度と御弟子さん達によって守られました。ですから私は良い時代だったと思いますよ。時代にすでに合わなくなったというだけです。
御弟子さんだって、社会でもまれた人達は、全て分かった上で「邦楽を支える分担金」のつもりで応分負担に応じていた人が多かったと思いますよ。
その若者は、プロを狭く限定して考えていたんですね。、レコードやチケットを弟子をあてにせずガチで売る、収入のほとんどがギャラ、免状売りはしない、「手打ちコンサート」もしない。プロにこういうイメージを抱いていたんでしょうが、当時にあっては、そんな人ってネプチューンさんとか坂田誠山先生とか、ほかにいくらも存在していなかったのです。
もし当時の尺八家の収入の仕組みをもって、「プロでない」と断じるならば、プロ野球選手や落語家の大半もプロじゃなくなります。たとえどんな形であれ、その人の持ってるモノに価値を見出す人がいて、命の次の次くらいに大切な金を出し、それで暮らしが立つなら立派なプロでしょうが。
山口五郎先生には私の企画した演奏会に3回出ていただきました。その3回目ですよ、山口先生から謝礼について御要望が出されました。
御存知の方もいらしゃると思いますが、山口先生は謝礼については全く何もおっしゃらない方です。初めて出ていただく時に、おそるおそる聞きましたが、「お任せします。もし、いただけないから、それでも結構ですよ」がご返事でした。
ですから、これは異例の事なのです。
その時は山口先生には二曲お願いしていました。福田種彦先生、柴山三栄子先生とで「松竹梅」。これは私のオーダーです。もう一曲は山口先生ご自身の希望で「五段砧」。相方も御指名で米川敏子先生でした。
「米川先生には私の希望で出ていただくわけです。私の分はいりませんから、その分を米川先生の謝礼にプラスしていただけませんか」、これが山口先生のお申し出でした。
私の企画した演奏会は異例に謝礼が薄いことは先刻ご承知でしたから、米川先生に気を使われたわけです。
それで? 「ああ、そうですかと先方の言う通りにした」ですと、アナタは私の人間性について相当の偏見を持っていますな。
「山口、米川ご両人とも謝礼を3倍にした」。正解、良く分かりましたねえ、と言えたら良いんですがね。これって難問ですよ。
他に大勢の邦楽家に出ていただいていましたし、何回か演奏会を重ねるうちに、「ギャラは安くとも良い。その代りに平等にして欲しい」というのが邦楽家の皆さんの気持ちだと分かっていました。当たり前ですよね、皆がそれぞれ大勢の一門を率いるトップなのですから。面子が有ります。そうかと言って全員の謝礼を倍にしたら、会は大赤字になります。
結局は、山口先生とご相談して、米川先生の謝礼に少々色を付けることでまとまりましたが、相手は山口五郎と米川敏子ですから、たとえ謝礼が幾らであれ絶対に文句も出ませんし、他に明かすことも無いのです。何しろ米川先生にその半年前に出ていただいた時に、謝礼を渡す係の者がうっかりして渡しそびれて、私が翌日大慌てでご自宅にお持ちしたことが有りましたが、謝礼を受け取らずにお帰りになって、それで恐縮して謝りに行くと、「わざわざいらしていただいて、かえって悪かったですね。私が持って帰れば良かったのに、うっかりしたばかりに貴方には余計なご足労をおかけしました」とのお言葉です。
問題となるのは気持ち、心映えの有り様です。金は後回し。これがプロの邦楽家の意気地でした。その品格は家元制度と御弟子さん達によって守られました。ですから私は良い時代だったと思いますよ。時代にすでに合わなくなったというだけです。
御弟子さんだって、社会でもまれた人達は、全て分かった上で「邦楽を支える分担金」のつもりで応分負担に応じていた人が多かったと思いますよ。
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