名刀物語
- 2016/02/12
- 23:29
時代劇を見ていると、鎧武者に日本刀で立ち向かいバッタバッタと切り倒すシーンに出くわしますな。でも冷静に考えて、これって有り得ないですよ。鎧兜に身を固めた人間に日本刀で致命傷を与えるのは、余程に上手く隙間に入りでもしなければマズ無理でしょう.。
明治時代ですよ。直心影流の榊原鍵吉が明治天皇の前で真剣による兜割りをやったと伝わります。人によって語られる内容はマチマチですが、兜に5センチ以上食い込んだのは確からしいです。でも明治期きっての剣豪が息を整えて、しかも重い刀を使用してのスエモノ切りでこのくらいなのです。
日本刀は鉄を何度も打ち直して作ります。これはコークスの使えなかった日本では、低い温度の炭をフイゴで風を送り少しでも温度を上げるとともに、叩いて伸ばし、折るを何度も繰り返し、鉄の内部の不純物を除去する必要があったのです。
日本刀も昔は村の鍛冶屋でも作っていました。不純物の除去が不十分ですから、実戦ではたやすく折れたり曲がったりしてしまいます。いわゆる「ナマクラ」という奴です。
いくらナマクラだとは言え、そこは鉄ですから、研ぎを入れて刃を作れば、無抵抗の人一人を殺傷する事くらいは出来ます。
尺八の構図とソックリですね。作家の水上勉のお父さんは人に頼まれると、竹藪に入って切ってきた竹で尺八を作っていたそうです。勿論「地無し」の尺八であったことは言うまでもありません。
二代河野玉水さんに聞いたのですが、この節を抜いただけの尺八でも、竹の内部構造が偶然に良く鳴る形をしているケースが20本に1本くらいの比率で存在するそうです。
ですから「地無し」製作が上手だという人は、この竹の見極めに長けているのです。
生活域が狭く、多くの人がその範囲内でだけ生活していた時代は、日本刀と同じく尺八を作る人も今の郡単位でいたに違いありません。
竹の外観の良いモノが、内部も尺八として良い構造をしているとは限りません。そこで漆や膠に砥粉を混ぜて内部の形を成形する事が始まりました。昔、刃の付いた鉄板が日本刀に変化した過程とソックリですよね。
日本刀には、名刀正宗や妖刀村正はじめ数々のエピソード、「名刀物語」が有ります。これが尺八となると有りません。極めて狭い地域や特定社中内だけで語られる、あまりアテにならない「尺八名器物語」が存在するだけです。
その理由。例えば真山。この中には途方もない名器が有りますが、琴古の人達からは「吹き方とか嗜好に合わない」と言われます。本当はそんな事は無いのですがね。
例えば泉州。これは言わばスポーツカーですよ。高速道路をぶっ飛ばすには最高ですが、運転技術の低い人が田舎道を転がしてタバコ買いに行くのは軽自動車の方が便利ですもの。
例えば龍畝。二段メリを上手に使えない吹き手には「値段だけの事は無い」と言われるでしょうし、澤山もヘタな人相手には真価を発揮しません。「宝の持ち腐れ」です。
伊達や酔狂で挙げているんじゃ有りませんぜ。こういう尺八は現在の日本で本当の意味での最高ランクの尺八です。
流派会派の理屈で「駄もの」が高額で売買されていた「囲い込み商売」の時代は明確に終わっています。もっと時間が経つと、尺八も単なる楽器となり、普遍性を持つ「名器物語」が語られる様になりますとも。
明治時代ですよ。直心影流の榊原鍵吉が明治天皇の前で真剣による兜割りをやったと伝わります。人によって語られる内容はマチマチですが、兜に5センチ以上食い込んだのは確からしいです。でも明治期きっての剣豪が息を整えて、しかも重い刀を使用してのスエモノ切りでこのくらいなのです。
日本刀は鉄を何度も打ち直して作ります。これはコークスの使えなかった日本では、低い温度の炭をフイゴで風を送り少しでも温度を上げるとともに、叩いて伸ばし、折るを何度も繰り返し、鉄の内部の不純物を除去する必要があったのです。
日本刀も昔は村の鍛冶屋でも作っていました。不純物の除去が不十分ですから、実戦ではたやすく折れたり曲がったりしてしまいます。いわゆる「ナマクラ」という奴です。
いくらナマクラだとは言え、そこは鉄ですから、研ぎを入れて刃を作れば、無抵抗の人一人を殺傷する事くらいは出来ます。
尺八の構図とソックリですね。作家の水上勉のお父さんは人に頼まれると、竹藪に入って切ってきた竹で尺八を作っていたそうです。勿論「地無し」の尺八であったことは言うまでもありません。
二代河野玉水さんに聞いたのですが、この節を抜いただけの尺八でも、竹の内部構造が偶然に良く鳴る形をしているケースが20本に1本くらいの比率で存在するそうです。
ですから「地無し」製作が上手だという人は、この竹の見極めに長けているのです。
生活域が狭く、多くの人がその範囲内でだけ生活していた時代は、日本刀と同じく尺八を作る人も今の郡単位でいたに違いありません。
竹の外観の良いモノが、内部も尺八として良い構造をしているとは限りません。そこで漆や膠に砥粉を混ぜて内部の形を成形する事が始まりました。昔、刃の付いた鉄板が日本刀に変化した過程とソックリですよね。
日本刀には、名刀正宗や妖刀村正はじめ数々のエピソード、「名刀物語」が有ります。これが尺八となると有りません。極めて狭い地域や特定社中内だけで語られる、あまりアテにならない「尺八名器物語」が存在するだけです。
その理由。例えば真山。この中には途方もない名器が有りますが、琴古の人達からは「吹き方とか嗜好に合わない」と言われます。本当はそんな事は無いのですがね。
例えば泉州。これは言わばスポーツカーですよ。高速道路をぶっ飛ばすには最高ですが、運転技術の低い人が田舎道を転がしてタバコ買いに行くのは軽自動車の方が便利ですもの。
例えば龍畝。二段メリを上手に使えない吹き手には「値段だけの事は無い」と言われるでしょうし、澤山もヘタな人相手には真価を発揮しません。「宝の持ち腐れ」です。
伊達や酔狂で挙げているんじゃ有りませんぜ。こういう尺八は現在の日本で本当の意味での最高ランクの尺八です。
流派会派の理屈で「駄もの」が高額で売買されていた「囲い込み商売」の時代は明確に終わっています。もっと時間が経つと、尺八も単なる楽器となり、普遍性を持つ「名器物語」が語られる様になりますとも。
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