生活の重み
- 2016/02/19
- 20:57
私が大学2年だった1970年の秋、大学にほど近い自衛隊の市ヶ谷駐屯所で三島由紀夫が割腹自殺をしました。三島は当時、たいへんに人気が有った作家で、『金閣寺』、『仮面の告白』はじめ代表作の幾つかは、文学部の学生なら誰でも読んでいたでしょう。
川端康成がノーベル文学賞をとる前、三島も候補だと言われていました。志賀直哉、谷崎潤一郎なども以前の下馬評には上がっていたと噂されますが、三島の場合は、そろそろ日本人がとるだろうという予想も有り、かなり信憑性が高いと思われていました。ともかくも当時にあっては日本を代表する作家だったわけです。
それが右翼活動のはてに、こともあろうに自衛隊で総監を人質にとって、「クーデターを起こせ」というアジ演説の挙句、失敗したと判断すると切腹ですから、そりゃ皆がたまげましたよ。
三島由紀夫の言っていたことの趣旨は
日本はアメリカの手先じゃないか➡だから憲法を改正しろ➡その為に自衛隊が立ち上がってクーデターを起こせ
それなのに、左翼運動をしている学生達を鎮圧する為に警察機動隊が出来てしまった。4年も待ったけど今立ち上がらないと駄目だぞ。
こういうのどうですかね。バルコニーに立って三島が演説しているのを自衛官達が聞いていましたが、バカにして嗤いながら聞いていたことを当時の人は皆知っていました。アジっている三島は明らかに上滑りしている印象でした。
日本国民はあらためて自衛隊の暴発などは有り得ないと心強く思ったでしょう。豊になった日本。もうオトナは言葉では動かない時代に入っていました。
その日、11月25日は新宿、花園神社の縁日(酉の市でしたかね)で、私はガマの油売りのショバ割り当てが貰えず、仕方が無いので親分に言われてセルロイドのお面を売っていました。
すぐ近くの市ヶ谷で、三島由紀夫が何やらドエライ事をやらかしている、そういう情報は入ってきていました。でも、右だと一般には思われているヤクザの中に、三島の演説に胸を熱くして、滾り立つ血潮のままに呼応して立ち上がった者なんか、一人だっていたはずがありませんわ。タカマチでのシノギの方が何倍も重要ですからな・・・。
尺八を仕事にした若い頃と今とでは、尺八に対する気持ちは当然違っています。と言うよりも若い時って生活を何十年も続けていくことの怖さも重要性もイマイチ分かっていませんでした。今では、それ方が何倍もの重みをもっています。
若い時には事の後先も考えずに尺八ビジネスに飛びこみましたが、その頃と違って、私も守るモノが出来ました。今さら人の煽動で人生を賭けるなんて事はやりませんや。
豊な時代に安全な国。私は素直に感謝します。
川端康成がノーベル文学賞をとる前、三島も候補だと言われていました。志賀直哉、谷崎潤一郎なども以前の下馬評には上がっていたと噂されますが、三島の場合は、そろそろ日本人がとるだろうという予想も有り、かなり信憑性が高いと思われていました。ともかくも当時にあっては日本を代表する作家だったわけです。
それが右翼活動のはてに、こともあろうに自衛隊で総監を人質にとって、「クーデターを起こせ」というアジ演説の挙句、失敗したと判断すると切腹ですから、そりゃ皆がたまげましたよ。
三島由紀夫の言っていたことの趣旨は
日本はアメリカの手先じゃないか➡だから憲法を改正しろ➡その為に自衛隊が立ち上がってクーデターを起こせ
それなのに、左翼運動をしている学生達を鎮圧する為に警察機動隊が出来てしまった。4年も待ったけど今立ち上がらないと駄目だぞ。
こういうのどうですかね。バルコニーに立って三島が演説しているのを自衛官達が聞いていましたが、バカにして嗤いながら聞いていたことを当時の人は皆知っていました。アジっている三島は明らかに上滑りしている印象でした。
日本国民はあらためて自衛隊の暴発などは有り得ないと心強く思ったでしょう。豊になった日本。もうオトナは言葉では動かない時代に入っていました。
その日、11月25日は新宿、花園神社の縁日(酉の市でしたかね)で、私はガマの油売りのショバ割り当てが貰えず、仕方が無いので親分に言われてセルロイドのお面を売っていました。
すぐ近くの市ヶ谷で、三島由紀夫が何やらドエライ事をやらかしている、そういう情報は入ってきていました。でも、右だと一般には思われているヤクザの中に、三島の演説に胸を熱くして、滾り立つ血潮のままに呼応して立ち上がった者なんか、一人だっていたはずがありませんわ。タカマチでのシノギの方が何倍も重要ですからな・・・。
尺八を仕事にした若い頃と今とでは、尺八に対する気持ちは当然違っています。と言うよりも若い時って生活を何十年も続けていくことの怖さも重要性もイマイチ分かっていませんでした。今では、それ方が何倍もの重みをもっています。
若い時には事の後先も考えずに尺八ビジネスに飛びこみましたが、その頃と違って、私も守るモノが出来ました。今さら人の煽動で人生を賭けるなんて事はやりませんや。
豊な時代に安全な国。私は素直に感謝します。
スポンサーサイト