今昔語り
- 2016/02/22
- 22:26
イラン革命からもう37年たつんですね。イランのパーレビ国王はトルコに習って、イスラム教を国政から排除して近代化をなそうとして失敗しました。王政、それも専制王政のもとでの近代化が可能かどうかはヒトマズ置くとして、まさか中途半端にでも近代化していた国家が革命、しかも共産主義革命ではない革命で転覆するとは思いもしませんでした。
イスラム革命の前のイランは、豊富なオイルマネーに支えられ、都テヘランの美しさや発展ぶりは観光や仕事で行った人達が口々に賛美していました。当時イランはオリンピック招致にも力をいれていて、よそ目には発展の一途と見えました。
勿論、支配者階級は贅沢のし放題。貧富の差や社会矛盾が影の部分として存在したからこそ革命が起きたわけですが、アメリカや三井グループですら読み違えたのですもの、私等みたいなモノに内実が深刻だなどと分かるワケありませんや。
それにしてもイスラム教ってスゴイですね。未だにトルコを除いては中東諸国では法律そのものですもんね。マロン派のキリスト教徒の方が多いレバノンだってイスラム教を無視しては何も出来ないですよ。
第一次世界大戦の後で連合国がトルコを解体しようと企て、イスラム勢力がその手先になってトルコの人民の憤激をかわなかったら、いかに偉大なケマル・アタテュルクがいたって、トルコは今でもイスラム教が実質支配をしていたと思いますよ。
ところで、その頃のイラン、その首都テヘランでの事。若き日の青木鈴慕、横山勝也両御大が危うく殴り合いのケンカになるところでした。
発端は前日のインタビューで、青木先生が、昔の尺八家に比べて今の尺八はなってない、そんな意味の事を言って、聞き咎めた横山先生との間に一時険悪な雰囲気が漂った事だと言います。
横山先生も「今の尺八が二流だと決めつける青木さんは三流だ」と発言したのが青木先生の気に障ったのです。その場は公式的な報道インタビューの場でしたので、それで治まりましたが、翌日ホテルの朝食の時に、怒りの治まらない青木先生により蒸し返されました。
言い合いはエスカレートして殴り合い寸前になったところで、同行した箏の人達が中に入って宥めたという結末です。
「見てきたように・・・。オマエその場にいたのかよ」って。
聞いたんですよ。「誰から?」。アンタ正気?青木先生にそんなこと聞く度胸がオイラに有ると思う?
昔の尺八家に比べて今の尺八家はスケールが小さくなった。これは青木師匠がしばしば口にする事です。この意味を私なりに考えました。
今日残っている音源を聞く限り、昔の尺八家は「下手」です。でもヘタと言ってオシマイにすると、青木先生の見ていた重大な側面を見落としてしまうと思うんですよ。
洗練された音楽性、正確に音程やリズムを採れる、譜面を見て支持通りに演奏できる、ちゃんとハモれる。こういった点で昔の名人は、おそらく今の大学尺八の気の利いた者にすら及ばないかも知れません。
でも、それは物差しが西洋音楽です。モチロン西洋音楽の基準値は大切です。でも、それは「唯一」でも「絶対」でも有りません。文化は記録競技や自然科学とは違います。直線発展では無く、多方向展開です。
「自己完結した価値体系を持ち、異なる発展形態の文化は優劣を論じられない」というのは常識です。だから異なる発展の仕方をした異文化を取り入れる事も素晴らしいし、そのまま固有のモノに価値限定する事も素晴らしいことです。
そういう意味で、青木先生は昔の尺八を称賛するのでしょう。「個性が有った」とよく表現なさいました。
万葉集より後の古今集、中国文化の美意識の影響を受けた時代の歌が価値が上ということも無いでしょう。けど正岡子規の言うように「万葉が素晴らしく古今はダメ」と言うことも無いと私は思うのですよ。
もし殴り合いになっていたら、「当然ボクが勝っていたよ」と言っていた人がいました。「当然体格から言っても先生でしょう」こう私が言ったところ、「ボクには先祖のヤクザの血が流れているからね、ケンカとなったら絶対にひかないよ」と横山先生は笑いいました。
ああ、あの頃が懐かしいナア・・・。
イスラム革命の前のイランは、豊富なオイルマネーに支えられ、都テヘランの美しさや発展ぶりは観光や仕事で行った人達が口々に賛美していました。当時イランはオリンピック招致にも力をいれていて、よそ目には発展の一途と見えました。
勿論、支配者階級は贅沢のし放題。貧富の差や社会矛盾が影の部分として存在したからこそ革命が起きたわけですが、アメリカや三井グループですら読み違えたのですもの、私等みたいなモノに内実が深刻だなどと分かるワケありませんや。
それにしてもイスラム教ってスゴイですね。未だにトルコを除いては中東諸国では法律そのものですもんね。マロン派のキリスト教徒の方が多いレバノンだってイスラム教を無視しては何も出来ないですよ。
第一次世界大戦の後で連合国がトルコを解体しようと企て、イスラム勢力がその手先になってトルコの人民の憤激をかわなかったら、いかに偉大なケマル・アタテュルクがいたって、トルコは今でもイスラム教が実質支配をしていたと思いますよ。
ところで、その頃のイラン、その首都テヘランでの事。若き日の青木鈴慕、横山勝也両御大が危うく殴り合いのケンカになるところでした。
発端は前日のインタビューで、青木先生が、昔の尺八家に比べて今の尺八はなってない、そんな意味の事を言って、聞き咎めた横山先生との間に一時険悪な雰囲気が漂った事だと言います。
横山先生も「今の尺八が二流だと決めつける青木さんは三流だ」と発言したのが青木先生の気に障ったのです。その場は公式的な報道インタビューの場でしたので、それで治まりましたが、翌日ホテルの朝食の時に、怒りの治まらない青木先生により蒸し返されました。
言い合いはエスカレートして殴り合い寸前になったところで、同行した箏の人達が中に入って宥めたという結末です。
「見てきたように・・・。オマエその場にいたのかよ」って。
聞いたんですよ。「誰から?」。アンタ正気?青木先生にそんなこと聞く度胸がオイラに有ると思う?
昔の尺八家に比べて今の尺八家はスケールが小さくなった。これは青木師匠がしばしば口にする事です。この意味を私なりに考えました。
今日残っている音源を聞く限り、昔の尺八家は「下手」です。でもヘタと言ってオシマイにすると、青木先生の見ていた重大な側面を見落としてしまうと思うんですよ。
洗練された音楽性、正確に音程やリズムを採れる、譜面を見て支持通りに演奏できる、ちゃんとハモれる。こういった点で昔の名人は、おそらく今の大学尺八の気の利いた者にすら及ばないかも知れません。
でも、それは物差しが西洋音楽です。モチロン西洋音楽の基準値は大切です。でも、それは「唯一」でも「絶対」でも有りません。文化は記録競技や自然科学とは違います。直線発展では無く、多方向展開です。
「自己完結した価値体系を持ち、異なる発展形態の文化は優劣を論じられない」というのは常識です。だから異なる発展の仕方をした異文化を取り入れる事も素晴らしいし、そのまま固有のモノに価値限定する事も素晴らしいことです。
そういう意味で、青木先生は昔の尺八を称賛するのでしょう。「個性が有った」とよく表現なさいました。
万葉集より後の古今集、中国文化の美意識の影響を受けた時代の歌が価値が上ということも無いでしょう。けど正岡子規の言うように「万葉が素晴らしく古今はダメ」と言うことも無いと私は思うのですよ。
もし殴り合いになっていたら、「当然ボクが勝っていたよ」と言っていた人がいました。「当然体格から言っても先生でしょう」こう私が言ったところ、「ボクには先祖のヤクザの血が流れているからね、ケンカとなったら絶対にひかないよ」と横山先生は笑いいました。
ああ、あの頃が懐かしいナア・・・。
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