戻り道
- 2016/02/25
- 22:53
専業虚無僧の野入虚彗は私の大学の2年後輩で、1977年から81年まで4年間インドで生活しました。乞食に毛の生えた様な暮らしですが、それでも当時で月に4万円かかったと言います。日本でも月8万から10万で暮らせましたが、まあ、まだ円が1ドル240円程度でしたし、インドのルピ―も今みたいに1ルピーが2円もしないのではなく、30円くらいしていましたからね。
帰国後に、インドで住んでいた、当人が「家」と称するモノの写真を見ました。「友人達が建ててくれたんですよ」と自慢していましたが、6畳くらいのスペースに板を敷き(床下は有ったようです)、柱として竹が10本くらい立っている、そしてニッパ椰子の葉かなんかで屋根が葺いてある、それだけです。
野入、テメエは工学部だったからというわけではアンメイが、ダイタイがモノを知らなすぎる。愚昧な後輩を教導するのも先輩の役目だから教えてやる。こういうのはなあ、家ではない、掘っ建て小屋ですらない、乞食のネグラと言うんだ。
たとえ何であれ、そこで年単位での生活、生存が正しい用語であるにせよ、ともかくも暮らせたのです。インドでは樹木や塀から斜めに日除けの布を垂らして道路で暮らしている家族がいますし、それ未満、家財道具もイッサイ無しで道路で生活している人達も普通の風景として存在しています。
ここが虚無僧の出発点だったのでしょうか?
17世紀以前の虚無僧についてはヒトマズ置くとして、1600年の「関ケ原の戦い」が終わり、領土の再編成が済むと、もう戦争は無い状況となり、何処の大名も新たな軍団増員の必要が無く、武士の再就職は難しくなりました。以後半世紀にわたって大小問わず大名の改易は続き大量の行き場の無い浪人が出てしまいました。
その中で尺八による虚無僧を選んだ人達も、とりあえずの生存を考えた時、お堂や廃屋に住みついたのでしょう。日本の気候条件では北国と日本海側を除いてテントや段ボールハウスでも長期の生活は可能です。
ただ、その人達も伊達や酔狂、まして修行の為に虚無僧になったわけでは無いので、必死で生活条件の上昇を図るります。結果、その過程で集団化して行くのは当然です。「戻り道」が無いので、当然今までの疑似政体、すなわち武力を背景に年貢を徴収するという形を思いつきますな。あくまで「ニッチ」としてですが。
豊かになった現代の虚無僧達は誰もが「一匹オオカミ」です。基本的に集団化して行く以外に生きる道は無いので、傍からはどう見えようと、個別に托鉢以外に収入の手だてを持っていますが、それにしても現代で虚無僧の集団化は可能でしょうか?
熊本にいた普化宗谷派、その後は名称が変わりましたが、その西村虚空が周りに自身の信奉者を集め、一つの尺八村みたいになっていたのは50年前から30年前位までです。ここで一時は虚無僧がある程度の人数にまで再生産されました。でも「徒党を組んで何とか」というのではないので、生活するという人間の大命題を突破できず、今では野入と白土の二人ですね。もう二人に「戻り道」は無い。
前は西村虚空の弟子で、本業は別にあって、時たま托鉢をしていた人もいましたが、諸条件の変化でもう出来なくなっています。結局、集団農場のような形態でなければ無理でしょうね。
豊かになった現代において、なおかつ虚無僧になる人の心の襞に興味が有れば、取材するなら今のうちですよ。
帰国後に、インドで住んでいた、当人が「家」と称するモノの写真を見ました。「友人達が建ててくれたんですよ」と自慢していましたが、6畳くらいのスペースに板を敷き(床下は有ったようです)、柱として竹が10本くらい立っている、そしてニッパ椰子の葉かなんかで屋根が葺いてある、それだけです。
野入、テメエは工学部だったからというわけではアンメイが、ダイタイがモノを知らなすぎる。愚昧な後輩を教導するのも先輩の役目だから教えてやる。こういうのはなあ、家ではない、掘っ建て小屋ですらない、乞食のネグラと言うんだ。
たとえ何であれ、そこで年単位での生活、生存が正しい用語であるにせよ、ともかくも暮らせたのです。インドでは樹木や塀から斜めに日除けの布を垂らして道路で暮らしている家族がいますし、それ未満、家財道具もイッサイ無しで道路で生活している人達も普通の風景として存在しています。
ここが虚無僧の出発点だったのでしょうか?
17世紀以前の虚無僧についてはヒトマズ置くとして、1600年の「関ケ原の戦い」が終わり、領土の再編成が済むと、もう戦争は無い状況となり、何処の大名も新たな軍団増員の必要が無く、武士の再就職は難しくなりました。以後半世紀にわたって大小問わず大名の改易は続き大量の行き場の無い浪人が出てしまいました。
その中で尺八による虚無僧を選んだ人達も、とりあえずの生存を考えた時、お堂や廃屋に住みついたのでしょう。日本の気候条件では北国と日本海側を除いてテントや段ボールハウスでも長期の生活は可能です。
ただ、その人達も伊達や酔狂、まして修行の為に虚無僧になったわけでは無いので、必死で生活条件の上昇を図るります。結果、その過程で集団化して行くのは当然です。「戻り道」が無いので、当然今までの疑似政体、すなわち武力を背景に年貢を徴収するという形を思いつきますな。あくまで「ニッチ」としてですが。
豊かになった現代の虚無僧達は誰もが「一匹オオカミ」です。基本的に集団化して行く以外に生きる道は無いので、傍からはどう見えようと、個別に托鉢以外に収入の手だてを持っていますが、それにしても現代で虚無僧の集団化は可能でしょうか?
熊本にいた普化宗谷派、その後は名称が変わりましたが、その西村虚空が周りに自身の信奉者を集め、一つの尺八村みたいになっていたのは50年前から30年前位までです。ここで一時は虚無僧がある程度の人数にまで再生産されました。でも「徒党を組んで何とか」というのではないので、生活するという人間の大命題を突破できず、今では野入と白土の二人ですね。もう二人に「戻り道」は無い。
前は西村虚空の弟子で、本業は別にあって、時たま托鉢をしていた人もいましたが、諸条件の変化でもう出来なくなっています。結局、集団農場のような形態でなければ無理でしょうね。
豊かになった現代において、なおかつ虚無僧になる人の心の襞に興味が有れば、取材するなら今のうちですよ。
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