尺八の生きやすい時代
- 2016/02/26
- 18:09
昔も私の経験の範囲では、尺八の専業演奏家として生きやすい時は無かったように思います。30~40年前の民謡ブームの時には、「こんな程度で」という様な人達が専業化していましたが、唄の弟子が多くいただけで尺八の弟子だけでは生活できませんでした。
その頃に私は尺八製作でデビューしましたが、当時の民謡が市や郡単位で有った「民謡00連合会」に行くと、チョット圧倒されるほどタクサンの人がいました。気楽な事は古典邦楽の比ではなく、酒食が給されながらの発表会も珍しく無かったですよ。
その中で知り合った民謡の師匠達に、今度イツイツ自分の会の発表会が有るので是非来て吹いて欲しい、社交辞令にしろ、そう言われる事は毎度です。そして行くと、帰りには決まって「お車代」として5千円が包まれていました。私は尺八屋ですから、貰った寸志は必ずその会に寄付しましたが、会のカケモチすら有りました。もっとも民謡の会は日曜だけですし、ほとんど無い月も多いので、それを専業化するのは無理が有りました。
30年前は今と違って、尺八では、ある程度ではあっても上手な人がほとんどいなかったので、大学のクラブ出身者は何処に行っても大きな顔が出来ました。また、当時は人をまるっきりのボランティアで使うという習慣が無い、と言うより、それは恥ずかしい事だと師匠達が思っていましたので、貰う貰わないは別にして、ナニガシカのものにありつけました。
その頃でもプロを依頼するとすれば2万では恥ずかしい、最低でも3万。反面、普通の会ではプロの必要も無いし、そうかといって中には水準以上の尺八も入れたいで、「寸志」で済む吹き手の需要が有ったのです。
今はこういう「ニッチ」が無くなりました。アマチュアで本当に上手な人が何処の地方にもいますし、また、そういう人達がまるっきりのノーギャラ、ボランティアで演奏しますのでプロの仕事がくわれています。プロだと言ったところで、一般の人には無名ですし、「誰々に来てもらった」という師匠の自己満足に今は弟子が良い顔をしない時代です。
それでは今は「生きにくい時代」なのか?発想を変えると意外にそうでもないと思うのですよ。ヨーロッパや中国のプロ尺八家は他の楽器との抱き合わせで暮らしを立てています。
他に職業を持ちながらでなければ、初めから生活が成立しない楽器もタクサン有りますから、最初からそういうものと考えてかかれば、楽に力を抜いて生きられると思います。
良く知られている事ですが、琵琶の鶴田錦史、竹保流の酒井兄弟、飯吉正山、山下無風、山本観山、皆他に安定した職業が有りました。ですから、意に染まぬ仕事の依頼を断れる余裕になっていたのです。
今の時代は、職業観も大きく変化していますので、その気になれば昔とは違った生活の立て方が幾つでも見つかります。「複数の収入源を持つ」。それを前提に人生設計をする、「尺八はその一部」。こう考えないでやると、ほとんどの人が生活の壁を乗り越えられない時代になったし、今までだって結婚して家庭を持つと、共稼ぎ無しに尺八人生を全うできたプロなんて、実はほとんどいないのですよ。
その頃に私は尺八製作でデビューしましたが、当時の民謡が市や郡単位で有った「民謡00連合会」に行くと、チョット圧倒されるほどタクサンの人がいました。気楽な事は古典邦楽の比ではなく、酒食が給されながらの発表会も珍しく無かったですよ。
その中で知り合った民謡の師匠達に、今度イツイツ自分の会の発表会が有るので是非来て吹いて欲しい、社交辞令にしろ、そう言われる事は毎度です。そして行くと、帰りには決まって「お車代」として5千円が包まれていました。私は尺八屋ですから、貰った寸志は必ずその会に寄付しましたが、会のカケモチすら有りました。もっとも民謡の会は日曜だけですし、ほとんど無い月も多いので、それを専業化するのは無理が有りました。
30年前は今と違って、尺八では、ある程度ではあっても上手な人がほとんどいなかったので、大学のクラブ出身者は何処に行っても大きな顔が出来ました。また、当時は人をまるっきりのボランティアで使うという習慣が無い、と言うより、それは恥ずかしい事だと師匠達が思っていましたので、貰う貰わないは別にして、ナニガシカのものにありつけました。
その頃でもプロを依頼するとすれば2万では恥ずかしい、最低でも3万。反面、普通の会ではプロの必要も無いし、そうかといって中には水準以上の尺八も入れたいで、「寸志」で済む吹き手の需要が有ったのです。
今はこういう「ニッチ」が無くなりました。アマチュアで本当に上手な人が何処の地方にもいますし、また、そういう人達がまるっきりのノーギャラ、ボランティアで演奏しますのでプロの仕事がくわれています。プロだと言ったところで、一般の人には無名ですし、「誰々に来てもらった」という師匠の自己満足に今は弟子が良い顔をしない時代です。
それでは今は「生きにくい時代」なのか?発想を変えると意外にそうでもないと思うのですよ。ヨーロッパや中国のプロ尺八家は他の楽器との抱き合わせで暮らしを立てています。
他に職業を持ちながらでなければ、初めから生活が成立しない楽器もタクサン有りますから、最初からそういうものと考えてかかれば、楽に力を抜いて生きられると思います。
良く知られている事ですが、琵琶の鶴田錦史、竹保流の酒井兄弟、飯吉正山、山下無風、山本観山、皆他に安定した職業が有りました。ですから、意に染まぬ仕事の依頼を断れる余裕になっていたのです。
今の時代は、職業観も大きく変化していますので、その気になれば昔とは違った生活の立て方が幾つでも見つかります。「複数の収入源を持つ」。それを前提に人生設計をする、「尺八はその一部」。こう考えないでやると、ほとんどの人が生活の壁を乗り越えられない時代になったし、今までだって結婚して家庭を持つと、共稼ぎ無しに尺八人生を全うできたプロなんて、実はほとんどいないのですよ。
スポンサーサイト