古管を復元
- 2016/02/27
- 22:29
古い尺八って何故残っていないのでしょうか?奈良の正倉院に8本の古代尺八が保存されている事は良く知られています。あと法隆寺に1本有って、今は国立博物館に入っています。ここまでは良いのです。それから八百年もの間、おびただしい尺八が使われていたはずなのに、実物が残っているという話は聞きません。「古い」という伝承の尺八も科学鑑定を受けると多くは江戸時代を遡りません。
一つには竹なので、今ひとつは、古い時代には尺八そのものには、それほどの値打ちが認められていなかったからでしょう。尺八には有名なエピソードが無いですもの。たとえば博雅三位の「鬼の笛」とか敦盛の「青葉の笛」とか。
戦国後期に小田原で北条幻庵がいて、その作る「一節切」は名品として有名だったと言います。去年の暮、地元の議員さんに頼まれて「幻庵作の一節切」の復元品を作りました。テレビの「お宝鑑定団」という番組で紹介されたそうで、その時に「北条幻庵の作ではないか」という鑑定を受けていました。実物を1ヶ月預かって計測し、細部まで復元しました。
実物は今年の春に小田原城にガラスケースに入って展示され、私の作った復元品は表に出して、手で触れるようにする予定だとの事です。
本物かどうかを質問されましたが、私に答えられたのは以下の様な事です。
私には古管鑑定の能力は無い。
幻庵作ではないかというテレビの鑑定は、誰がどういう方法で判定したか分からないので、鑑定結果は尊重はしても信頼度は分からない。
幻庵の一節切は圧倒的にサンプル数が少なく、したがって「感覚鑑定」で真贋を判定できる人など存在しない。
もし真実を知りたければ科学鑑定にかけるしかない。放射性炭素(Ⅽ₁₄)で判定すれば、少なくとも年代的には幻庵と矛盾しないかどうかは分かる。
幻庵作の一節切は箱根権現神社に有る物は信用しても良いのではないか。それと、今は知らないが、小田原の山本家に伝わったモノが有り、こっちは詳細な計測図が有る。今ここに有るモノとは寸法が著しく異なるが、それは別に問題無い。
私が神田可游さんと志村哲先生に見せた方が良いと言うと、すでに神田さんには見せてあるとの事。そこで志村先生を紹介しました。
このお二人からも、実は上述の理由で「本物」との「折り紙」をもらうことは有り得ません。でも、このお二人が今の日本における古管研究の第一人者であることは間違いないので、この二人が否定しなければ、「伝北条幻庵一節切」で何の支障も無いのです。
こういう骨董品や美術品って、必ずしも科学鑑定をくぐった本物である必要なんて無いと思うんです。売買の対象になれば別ですがね。だけど言ってみれば「三種の神器」みたいな物ですよ。本当に現存しているかどうかは論争が有りますが、もし仮に本当に存在しているとして、それがイワク通りの物であるはずが無いなんてことは、日本人のほとんどが知っていますよ。
子供の頃に神社の社殿の中を覗いて、中に何も無かったという経験をした人も多いと思います。
王様とかだってそうでしょう。「どうしてエライ」のか本質は説明できませんよ。時代状況によるメリットやデメリットは、そりゃあ社会学という科学ですから、詳細に説明できますけどね。
「そういう事にしておきましょう。別に今のところ実害は無いから」で良いのではないかしら・・・。
ロシアのロマノフ朝のアナスタシア、フランスのブルボン朝のドーフィン、近い所ではヒットラーの日記。ズイブンと真贋論争が有りましたが、科学鑑定で偽とはっきりしましたね。ですが、同時に「アヤフヤの効力」も消してしまいましたぞ。
一つには竹なので、今ひとつは、古い時代には尺八そのものには、それほどの値打ちが認められていなかったからでしょう。尺八には有名なエピソードが無いですもの。たとえば博雅三位の「鬼の笛」とか敦盛の「青葉の笛」とか。
戦国後期に小田原で北条幻庵がいて、その作る「一節切」は名品として有名だったと言います。去年の暮、地元の議員さんに頼まれて「幻庵作の一節切」の復元品を作りました。テレビの「お宝鑑定団」という番組で紹介されたそうで、その時に「北条幻庵の作ではないか」という鑑定を受けていました。実物を1ヶ月預かって計測し、細部まで復元しました。
実物は今年の春に小田原城にガラスケースに入って展示され、私の作った復元品は表に出して、手で触れるようにする予定だとの事です。
本物かどうかを質問されましたが、私に答えられたのは以下の様な事です。
私には古管鑑定の能力は無い。
幻庵作ではないかというテレビの鑑定は、誰がどういう方法で判定したか分からないので、鑑定結果は尊重はしても信頼度は分からない。
幻庵の一節切は圧倒的にサンプル数が少なく、したがって「感覚鑑定」で真贋を判定できる人など存在しない。
もし真実を知りたければ科学鑑定にかけるしかない。放射性炭素(Ⅽ₁₄)で判定すれば、少なくとも年代的には幻庵と矛盾しないかどうかは分かる。
幻庵作の一節切は箱根権現神社に有る物は信用しても良いのではないか。それと、今は知らないが、小田原の山本家に伝わったモノが有り、こっちは詳細な計測図が有る。今ここに有るモノとは寸法が著しく異なるが、それは別に問題無い。
私が神田可游さんと志村哲先生に見せた方が良いと言うと、すでに神田さんには見せてあるとの事。そこで志村先生を紹介しました。
このお二人からも、実は上述の理由で「本物」との「折り紙」をもらうことは有り得ません。でも、このお二人が今の日本における古管研究の第一人者であることは間違いないので、この二人が否定しなければ、「伝北条幻庵一節切」で何の支障も無いのです。
こういう骨董品や美術品って、必ずしも科学鑑定をくぐった本物である必要なんて無いと思うんです。売買の対象になれば別ですがね。だけど言ってみれば「三種の神器」みたいな物ですよ。本当に現存しているかどうかは論争が有りますが、もし仮に本当に存在しているとして、それがイワク通りの物であるはずが無いなんてことは、日本人のほとんどが知っていますよ。
子供の頃に神社の社殿の中を覗いて、中に何も無かったという経験をした人も多いと思います。
王様とかだってそうでしょう。「どうしてエライ」のか本質は説明できませんよ。時代状況によるメリットやデメリットは、そりゃあ社会学という科学ですから、詳細に説明できますけどね。
「そういう事にしておきましょう。別に今のところ実害は無いから」で良いのではないかしら・・・。
ロシアのロマノフ朝のアナスタシア、フランスのブルボン朝のドーフィン、近い所ではヒットラーの日記。ズイブンと真贋論争が有りましたが、科学鑑定で偽とはっきりしましたね。ですが、同時に「アヤフヤの効力」も消してしまいましたぞ。
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