村治という大阪を中心にした小流派が有ります。都山から分離したのが上田流ですが、その上田から分離した流派です。上田流は開祖の上田芳憧先生が穏やかな人柄だったので、そんなに締め付けが有ったとは思えませんが、それでも人間の集団ですからマアいろいろ当事者でなければ分からない事も有るのでしょう。上田からは菊水流や敷島流とかも独立しています。
20年ほど前、ここの当主の村治虚憧先生は私の事を気にかけて下さり、励ましのお便りも戴きましたし、仕事に役立てろという意味か、名簿も下さいました。その頃で百人弱でしたね。
この村治流は木下登一先生が関西大学の尺八を指導していた関係で、20年前でも会員は関西大学のОBが多かったですね。全員の経歴なんて知りようも無いですが、七割はそうだったと村治の人から聞きました。
ここは今では関西大学出身者が運営する珍しい形状を持つ流となっております。現在の会長は大西登桜さんです。
大学のクラブから新会員が加わるはずですが、それで流の会員が増える事はないですね。大学新卒者は就職が有りますから、尺八は吹いていられない人がほとんどです。
それより大学ОBの会、流です。毎年仕事をリタイアした関西大学のОBが新たに加わります。流イコール大学のОB会なんて、これまで聞いたことが有りませんわ。
私達の世代も、もう停年世代です。この人達が仕事が一段落して人生を振り返った時、懐かしく思い出すのは学生時代。青春は尺八と共に有りました。
尺八に一瞬の夢を見た人間だって多いのですよ。悩んで見たところで生活と長い人生設計を考えたら、尺八に賭ける事も出来ないので就職。何時しか尺八も吹かなくなって数十年。それが停年と同時に見果てぬ夢がぶり返した人が多いのです。
昔取ったキネズカ、久しぶりに尺八を引っぱり出して吹いてみると、ものの1ヶ月で復活します。若い時の修行は脳が憶えているんですね。
この昔の夢の続きは、ヒョットすると大きな流れになりますぜ。社会人として40年も過ごしてきた人って、人生経験も身に付けた能力も大変なモノですし、仕事で培った人脈も広いと思います。その上にたって本格始動したら、もう生活の心配が無いだけに途方もないパワーを発揮するのは確実です。
広島の山本観山、長崎の林嵐山、山口の後山邦秋、秋田の小玉苑山、宮城の三塚竹幽、同じく宮澤寒山、亡くなってしまいましたが奈良の松村蓬盟、こういう方達を見ていると、尺八人生は停年後に本当の意味で大きな事が出来るのだと分かります。
だが、その一方、大久保園山さん、なんで社会人生活の終了と同時に尺八の会も終えてしまったのさ。広島で会社の社長をやりながら怪物的な尺八吹きとして活動してたのに・・・。今どき、演奏会は毎回満杯で赤字無しなんて他では考えられないですよ。燃え尽きたんですかね?。
尺八って、夢が還る反面、「もう良いや」という気分になることって有りますよね。だって本当の事を言ったら聴衆っていないもん。ハリアイが無いったらありゃしない。
だからこそ、既成流派のジイチャンでなく、夢のただ中にいて頑張っている若い人に刺激を貰う事も必要なんです。
理解できる。広島ではナカナカそういう機会って無いと思います。でも同じ広島にいて山本観山さんは夢を膨らませていますよ。
同じ世代、同じ時代を生き、同じ夢をみた仲間達。皆、夢から覚めるまで、まだ時間が有る。
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